子どもに聞かせる世界の民話/矢崎源九郎編/実業之日本社/1964年
先行きを心配した母親が、四人の子どもに、めいめいで仕事を探すようにいました。子どもたちがいって、いく月かたったころ、重い病気にかかり、母親とくらしていた四番目のピカフロルが、兄や姉を探しにいきました。
一番上のコルコルは、森へいって昼までは眠って、夜になったら食べ物を探していましたが、昼からでかけるのは、ねむくてたまらないと、母親のもとへ帰るのはことわりました。
二番目のレチューサは、お墓のそばに住んで、おなかがすいたら食べるものをさがしていました。母親の病状を聞いても、髪の毛を手入れするところで、悪い天気に外へ出かけたくないと、ことわりました。
三番目のアラーニャは、くらいすずしいところで、すてきな糸をおるといっていましたが、ピカフロルに、「機を織りはじめたから、よそへなんか いけません」と母親に伝えてくれるようにいいます。
やがて母親が死ぬときがくると、「わたしの四人の子どもは、それぞれに、神さまの罰や、おめぐみを、うけるだろうよ」と いいました。母親が死ぬと、神さまたちは、四人の子どもを、鳥や虫にかえてしまいました。
コルコルは、大きなミミズクに、レチューサは、みにくいフクロウに、三番目のアラーニャは糸をおりつづけましたが、だれにもよろこばれませんでした。それは、クモの糸だったからです。
そして、母親を大事にしていた四番目のピカフロルは、ハチドリになって、みんなを喜ばせています。
由来話ですが、親を大事にしなさいということもいいたかったのかもしれません。
今となっては「聞かせる」というのは、上から目線。楽しい話が多いだけにちょっと残念。