広島のむかし話/広島県小学校図書館協議会編/日本標準/1974年
”えんこう”とききなれない存在。えんこう川のほとりのおじいさん、おばあさんの二人暮らしのまずしい家にあらわれるので、もしかするとカッパなのかも。何者であるのかは最後までわかりません。
夏の夜、おばあさんが夜中に目をさまし、流しに水をくみにいくと、格子のすきまから、毛むくじゃらの長い手がのびていました。びっくりしてみていると、手は流しの棚にあったイワシの残りをつかむと、すっと手をひいて、それっきり手をだしませんでした。おじいさんは、話に聞いていたきもをくうという”えんこう”のことを思い出しました。その夜、恐ろしくて眠れなかったおじいさんとおばあさんは、朝になってすぐ流しの格子のすきまに、竹のわったのをうちつけました。しかし、わり竹は役に立たず、毛むくじゃらの手がのびてきました。
子どもがいない老夫婦は、「わしらの子ども」と思い、三日目にイワシのはらわたを流しに置いておきました。その夜、はらわたはなくなっていました。老夫婦は、それから毎晩、流しにはらわたをおきました。するとその夏には、えんこう川で泳ぐ子どもの事故はありませんでした。それだけでなく、おじいさんが魚つりにでかけると、かかる魚がみなタイでした。そのタイは、味がいいので大評判になりました。
毛むくじゃらの手がでてくるのは夏の夜だけで、ふたりは秋になると、つぎの夏のことを考えるのでした。魚が高く売れ、冬にはつれないはずの魚も、おじいさんの釣竿にはかかりました。こうしておじいさんとおばあさんは、八十に手がとどくようになっても、病気ひとつせず、元気で働きつづけました。
いつのまにか流し台がくさりはじめ、えんこうがけがでもしたら大変と、おじいさんは長しのふちに、真鍮をはめておきました。そしていつものようにイワシのはらわたもおいておきました。ところがえんこうは、それからはいつまでたってもあらわれませんでした。
(話し手のまとめ)おそろしいものを作るのが人間なので、流し台の真鍮が、ピカッピカッと光るのがおそろしくて、えんこうは あらわれんじゃったのだろう。
人間が作り出した食品にふくまれる添加物、農薬など、長い間蓄積されると人間に悪い影響を及ぼすのでは?
人間が作り出した究極のおそろしいものは核爆弾か?