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どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

「けものたちのないしょ話」ほか

2024年12月07日 | 昔話(日本・外国)

 世界に共通している動物たちの話を聞いて幸運をつかみとる話


けものたちのないしょ話(中国民話選/君島久子訳編/岩波少年文庫/2001年初版)

 オオカミ,ヒョウ、小鹿が大王のトラに報告する話を聞いた正直な男が、領主の奥方の病気をなおし、水の出ない土地に水をもたらし、宝物を手に入れます。

 
聞耳頭巾(日本昔話百選/稲田浩二・稲田和子編著/三省堂/2003年改訂新版)

 鳥や木の話声を聞くことができる頭巾をかぶった貧乏で正直なじいさまが、からす、松の木の話を聞いて、庄屋の旦那の病気をなおし、別の庄屋のお嬢さんの病気をなおします。


ドシュマンとドウースト(子どもに語る中国アジアの昔話2/松岡享子訳/こぐま社/1997年初版)

 正直で親切、貧しい人にはおしみなくほどこすというドウーストが、トラ、オオカミ、キツネの話を聞いた金貨を手に入れ、王女の病気をなおして結婚し、さらに一年中美しい花が咲き、うまいくだものが豊かに実る場所を手にいれます。


ひんまがりとまっすぐ(シルクロードの民話3 ウズベク/小澤俊夫編 池田香代子・浅岡泰子訳/ぎょうい/2000年初版)

 ウズベキスタンの昔話。

 いずれも、自力ではなく、動物たちの力をかりて何かをつかみとります。正直で親切な者には、どこかで救いの手があらわれます。

 

・きき耳(岩手のむかし話/岩手県小学校国語教育研究会編/日本標準/1976年)

 「ねずみ浄土」と「聞き耳頭巾」をあわせた話でしょうか。

 ある日のこと、貧乏な若者が、1ぴきのネズミを助けた。
 この若者がネズミにつれられていったのは、りっぱなとこで、いままでたべたこともねえ、りっぱなごっつあんをごちそうになり、かえりぎわ、けもののなき声をきき分ける箱をもらった。夢かと思ったが、手に美しい箱があった。

 クワの木の上で、二羽のカラスがなんだかいっているようなので、箱を耳にあてがってきいてみた。
 カラスがいうことには、「この国の千万長者の娘がわけのわからない病気にかかっていて、医者という医者にみせても、すこしもよくならないのは、新しく建てた部屋の下に、大きなヘビとガマガエルが、にらみあっているので、なおらない」という。

 若者はすぐ長者の家にいき、あまりにも貧乏くさくて相手にされなかったが、生きるか死ぬかのせとぎわだからと、座敷にとおされ、念仏をとなえて、床下からヘビとガマガエルをひっぱりだして、川にはなしてやると、今までねていたお姫さまが、すぐに、あくびして、むっくりおきあがった。

 このあと、若者は、長者の娘の婿になって、しあわせにくらしたという。

 

 ネズミが 何から助けられたか、また、「りっぱなとこ」は どんなとこかはまったく不明で、とんとん話が進行していきます。           


べごをつれた雪女・・岩手

2024年12月07日 | 昔話(北海道・東北)

     岩手のむかし話/岩手県小学校国語教育研究会編/日本標準/1976年

 きかんぼうで手にあまる太一というわらしが、みんなと夢中になって遊んでいるうちに、いつかひとりなっていた。そりをひっぱって家のほうにむかったとき、けむりのような、ぼやっとした女が、片手に白いべご(牛)をつれて、太一の前に立っていた。

 おっかなくなった太一が、いそいでそこから離れようとすると、離れようとするとすればするほど、体が前にすすんで、女の前にいってしまった。太一の手をにぎった女の手はまるで冷たい。

 女は、あたりの木の上につもった雪をとってきて、べごさ食べさせはじめた。べごは、干し草のように、さもうまそうに、もぐりもぐり食べた。なんどもなんども雪を食べさせると、女は、こしをかがめて 乳しぼりをはじめた。そして、乳をてのひらさすくって、太一のところへもってきた。そして、「さ、飲め、飲め」と、太一の口へおっつけた。

 太一が真正面から女の顔を見ると、ちっちゃな口が、なにかしゃべっているように、ぱくぱく動いていた。太一が、ありったけの力ふりしぼって、そこから逃げ出そうとしたが、べごのつなが、はなれない。そのとき、女が両手ですくった乳を、太一の顔めがけて、あびせかけてよこした。太一は、「あっ」といったきり、なにもかもわからなくなり、その場へたおれてしまった。しばらくして、太一が目をさますと、さっきまで晴れていた空が、またくもって、雪が、もっさり、もっさりとふってきた。太一は、そりのひももって、雪の上にたおれていた。

 

 しんしんと雪が降りしきる夜の話でしょうか。眠るまえには遠慮したほうがよさそうです。


野ばら・・小川未明 紙芝居の脚色 絵本

2024年12月07日 | 創作(日本)

      定本小川未明童話集2/講談社/1976年

 小川未明(1882年~1961年)の「童話」は はじめてです。きっかけは、この話を語りで聞いたことです。「童話」というとなかなか手が出ませんが、ずーっと余韻が残りました。

 

 大きな国とそれよりはすこし小さい国が隣り合っていました。そこには両方の国から、ただ一人ずつの兵士が派遣されて、国境を定めた石碑を守っていました。大きな国の兵士は老人、小さな国の兵士は青年でした。

 都から遠く、いたってさびしい山で、まれにしか旅する人影は見られませんでした。二つの国の間は何事もおこらず、平和でした。はじめ二人はろくろくものも言いませんでしたが、ほかに話しする相手もなく、いつしか仲良しになりました。国境のところには一株の野ばらが茂っていて、その花には朝早くから蜜蜂が飛んできて、羽音を立てていました。その羽音で申し合わせたよう目を覚まし話をするようになりました。そしてのどかな昼頃には、二人は向かい合って将棋を差していました。

 冬が来て、春がくると、二つの国は、なにかの利益問題から戦争をはじめました。突然、二人は敵味方の間柄になってしまいました。青年は、北の方にいって戦いますといって去ってしまいました。青年のいなくなった日から、老人は茫然として日をおくっていました。野ばらには、蜜蜂が日が暮れるころまで群がっています。戦争はずっと遠くでしているので耳を澄ましても鉄砲の音も聞こえなければ、黒い煙の影すら見られませんでした。老人は青年の身の上を案じていました。ある日のこと、そこへ旅人が通りかかったので、戦争がどうなったかと老人はたずねました。旅人は、小さな国が負けて、その国の兵士はみなごろしになって、戦争が終わったことを告げました。

 老人は、そんなら青年も死んだのではないかと気にかけながら、石碑の礎に腰をかけてうつむいていると、いつか知らず、うとうとと居眠りをしました。

 そこへおおぜいの人の来る気配がして、みると一列の軍隊で、馬にのって指揮しているのは、かの青年でした。青年は老人の前を通るときに黙礼して薔薇の花をかぎました。老人が何かものをいおうとすると目がさめました。それはまったくの夢でした。
 

 それからひと月ばかりすると、野ばらは枯れてしまいました。その年の秋、老人は暇をもらって南の方へ帰りました。

 

 短い作品なので、老人と青年が どんな生活をおくっていたのか、何を考えていたのかがでてきませんが、青年が去っていくとき、老人は、「さあ、おまえさんと私は今日から敵どうしなったのだ。私はこんなに老いぼれても少佐だ。私の首をもっていけば、あなたは出世ができる。だから殺してください。」と青年にいいます。長い間兵士で、これまでも何回か戦争に従事したことがあったかもしれない老人は、この先短い自分の身の上より、青年の未来を案じていました。

 野ばらは、二人の友情のあいだがらを象徴的に表していました。

 戦争は絶対にごめんですが、国や民族、宗教などがからむと別の力が働いて、いやおうなしに巻き込まれるというのも・・。

 

   のばら/原作・小川未明 脚本・堀尾青史 絵・桜井誠/童心社/2005年

 紙芝居の初版は1964年。原作がどう脚色されているか気になっていました。

 ふたりが会話をしはじめるあたりが自然です。会話をしはじめると、ふたりの背景が見えてきます。
 年とった兵士は、百姓で、牧場と猟場が近くにあるので、遊びにくるよう若者に話しかけます。一方若者はピアニストで兵隊の務めが終わったら演奏会を開く夢をかたります。原作にない部分です。また年とった兵隊は、原作では少佐ですが、紙芝居の対象を考慮したのか、百姓になっています。

 また、ふたりで将棋する場面では、原作では、”駒落ち”という表現がありますが、紙芝居ではそのあたりのところはでてきません。

 原作では夢の中に死んだ若者がでてきますが、紙芝居では、ピアノの曲に、老人の思いを託しています。

 

   野ばら/小川未明 ・文 あべ弘士・絵/金の星社/2024年

 この十月の出版。絵はあべ弘士さんで、まったく予想がつきませんでした。

 ウクライナとロシアの戦争はもうすぐ三年、イスラエルとハマスなどとのとの戦争も一年をこえました。この戦争で、数多くの人びとの命がうしなわれ、先行きがみえないなかで、この絵本を出版した編集者の思いがつたわってきました。

 あべさんの絵らしく、鳥が舞っています。一株という野ばらが咲くさまは、二ページの大半を使っています。そして小さな国は、城壁で囲まれています。