・かしこいダヌイシマン(めんどりがやいたパン 中央アジア・シベリアのむかしばなし集/小檜山 奮達男・訳 宮澤ナツ・画/新読書社/2006年初版)
貧しい娘が、王さまがお妃をむかえようとしてだした三つのなぞをとき、結婚します。
お妃になったダヌイシマンはすぐれた知恵で王さまを助けますが、王さまは自分のほかには誰にも知恵をさずけないように約束させます。
ところが、一人の役人が取り返しのつかない事件を起こし、しばり首にされそうになって、お妃に相談します。 お妃は王さまとの約束をやぶって、役人に知恵をつける。王さまは役人がこんな気の利いたことを思いつくはずがないと役人を問い詰め、役人は、お妃から教えていただいたと白状してしまう。
王さまは、約束をやぶったお妃を国から追い出すことにするが、お前が大事にしているものだけはおもいどおりにしていいいという。するとダヌイシマンは、最後の食事にしきりにワインをすすめ、眠りこんだ王さまを自分の町に連れて行きます。
そしてあなたがお前が大事にしているものを思い通りにしていいと言われたので王さまを連れてきたという。王さまは自分間違いに気づきそれからは仲良く暮らす。
ここでは王さまとしたが、汗(はん)と訳され、前段部分はもう少し複雑な構成をとっている。
・かしこいお百姓の娘(グリム童話集 下/佐々木田鶴子・訳 出久根 育・絵/岩波少年文庫/2007年)
グリムの「かしこいお百姓の娘」も同じような構成だが、なぞのだしかたにちがいがある。
王さまが娘を城によぶところで「服を着てもいけないし、はだかでもいけない。馬に乗ってもいけないし、車にのってもいけないし、道を歩いてもいけないが、道をはずれてもいけない。」
グリムは、やや複雑すぎてイメージしにくい。
「かしこいダヌイシマン」では、「東と西の間は、どれほどはなれているのか」「天上と地上の間はどれほどはなれているのか」「まこととうその間は、どれほどはなれているのか」というもの。
前段で、王さまが、自分のためだけ知恵を生かしてというのは、男の身勝手でしょう。
貧しい娘が、王さまがお妃をむかえようとしてだした三つのなぞをとき、結婚します。
お妃になったダヌイシマンはすぐれた知恵で王さまを助けますが、王さまは自分のほかには誰にも知恵をさずけないように約束させます。
ところが、一人の役人が取り返しのつかない事件を起こし、しばり首にされそうになって、お妃に相談します。 お妃は王さまとの約束をやぶって、役人に知恵をつける。王さまは役人がこんな気の利いたことを思いつくはずがないと役人を問い詰め、役人は、お妃から教えていただいたと白状してしまう。
王さまは、約束をやぶったお妃を国から追い出すことにするが、お前が大事にしているものだけはおもいどおりにしていいいという。するとダヌイシマンは、最後の食事にしきりにワインをすすめ、眠りこんだ王さまを自分の町に連れて行きます。
そしてあなたがお前が大事にしているものを思い通りにしていいと言われたので王さまを連れてきたという。王さまは自分間違いに気づきそれからは仲良く暮らす。
ここでは王さまとしたが、汗(はん)と訳され、前段部分はもう少し複雑な構成をとっている。
・かしこいお百姓の娘(グリム童話集 下/佐々木田鶴子・訳 出久根 育・絵/岩波少年文庫/2007年)
グリムの「かしこいお百姓の娘」も同じような構成だが、なぞのだしかたにちがいがある。
王さまが娘を城によぶところで「服を着てもいけないし、はだかでもいけない。馬に乗ってもいけないし、車にのってもいけないし、道を歩いてもいけないが、道をはずれてもいけない。」
グリムは、やや複雑すぎてイメージしにくい。
「かしこいダヌイシマン」では、「東と西の間は、どれほどはなれているのか」「天上と地上の間はどれほどはなれているのか」「まこととうその間は、どれほどはなれているのか」というもの。
前段で、王さまが、自分のためだけ知恵を生かしてというのは、男の身勝手でしょう。