どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

びんぼうこびと・・ウクライナ

2015年12月08日 | 絵本(昔話・外国)


    びんぼうこびと/ウクライナ民話/内田莉莎子・再話 太田大八・画/福音館書店/1971年こどものとも発行

 日本では、貧乏神ですがウクライナではこびとが同じような役割をしているようです。

 七人のこびとに住みつかれて、働いても働いても楽にならないお百姓が、めずらしくおおきなパンとベーコンをもってかえり、うれしくなってバイオリンをひきだすと、音につられてこびとも踊りだします。
 百姓は、こびとたちをうまくいいくるめて、袋にいれ、水車小屋のひきうすの下にとじこめてしまいます。

 すると、これまでうまくいかなかった、こむぎ、キャベツ、じゃがいももよくできるようになり、あひるも、ぶたも、うしもかえるようになります。

 となりのお百姓のくらしがよくなっていくのを、いまいましく思った村一番のお金持ちが、わけを聞いて、もう一度、こびとをお百姓の家にもどそうとしますが、こびとは逆にお金持ちの家にすみついたので、お金持ちが、どんどんびんぼうになり、一文無しになります。

 貧乏であっても、音楽も子どももあるお百姓、幸せとは何かもさりげなくえがかれています。昔話にかかせない水車小屋もでてきます。


河童の話

2015年12月07日 | 昔話(日本)

        かたれやまんば第5集/藤田浩子の語りを聞く会/2003年


 河童というと古い世代?では、清水崑の艶めかしい河童を思い浮かべるが、外国の昔話をよんでみても、河童に類したものはあまりお目にかかれない。

 河童については、河童の川流れ、河童の木登り、陸へ上がった河童などのたとえがあって、日本ではおなじみがあるが、なじみがあるように思っていても日本独自のものの一つのようである。

 河童は頭のお皿の水がなくなると怪力がうしなわれるようである。

 <かっぱと五十集屋>

 五十集屋とは聞きなれないが、どうも魚を商う人のよう。
 この五十集屋が、子どもにいじめられている河童を助けたことから、次の朝、起きてみると家の前に魚がどっさり。次の日も次の日も魚がおいてある。
 楽をしすぎると不精になってしまうと、川の中へ、もういらねえぞうというが、律儀な河童は一年の間は例をするという。

 一年が過ぎて、それから半年ばかりは、ためた銭っこで楽をするが、やがてその銭っこもなくなる。

 この五十集屋、魚釣りにいくと、糸にかかったのは河童。この河童、じつは河童の神様で、助けてくれたら一生分の米をくれるという。
 しかし、神様が届けてくれたのは米俵一俵。

 この米俵がなくなって、神様が追加の米俵をもってくれるのを期待していた五十集屋。雷が落ちて亡くなってしまう。

 河童の神様、ちゃんと必要なだけの米俵しかプレゼントしてくれなかったという話。

 河童はちゃんと先をよんでいたいたようです。

 河童をほかのものにかえると、いくらでも類似した話ができそうです。


世界は気になることばかり

2015年12月06日 | 五味太郎
世界は気になることばかり  

     世界は気になることばかり/作・絵:五味 太郎/偕成社/2011年初版

 

 いろいろ探す楽しみがある絵本ですが、多分子どものほうが早く見つけそうです。

 たくさんの落ち葉がまっているなかに、なにやら魚がまっていて

 かわったお客さんが乗っているバスというので、目をこらすと がいこつが見ている人をみていたり

 運動会の綱引きの綱がヘビだったり

 凧揚げのところでは、空から星の凧がまっています

 星空をみながら、星と星をつなぐと文字になるとみるのは、やはり子どもの感性かもしれません。             


はじめてふったゆき

2015年12月04日 | 絵本(昔話・日本)
はじめてふったゆき  

     はじめてふったゆき/作:竹内智恵子 絵:田島 征彦/復刊ドットコム/2014年

 

 福島会津を舞台にした、ゆきがふらなかったころの話で、骨格がどっしりとした絵本です。

 磐梯山のふもとにてながあしながという大きな猿が住み着いていて、顔をあらった水をはねとばし、稲がながされたり、おおきなあくびすると、そのはないきにすいこまれた人は、はきだされた息にのって、むこうの山まで飛ばされてしまうなど、人泣かせの猿でした。

 だいだんぼうという大男が、うわさをきいてどっちが強いかのぞきにいくが、とうてい相手になりません。

 しかし、おんぼろぼろの衣をきた一人の坊様が、この大猿と話してみると、じつは村の衆と仲良くしたいというのが本音。
 そこで坊さま、大猿を子猿にかえて、六地蔵のよこっちょに、てながあしながのお地蔵さんもつくってやります。

 それからは、てながあしながのお地蔵さんも、村の子があそぶのをにこにこしながらながめます。

 だんだん村がゆたかになると、どこかさかくれていたさむらいたちが、いばりくさってやってきて、館をつくらせ、年貢をとったりと、百姓をいじめだします。

 そこへ、あの坊さまがやってきて、一晩の宿をもうしこみます・・・・。


 方言の醸し出す雰囲気がとてもぴったりです。

 ところで、なぜ雪なのかですが・・・。

 あした、きゅうに領主のつかいがみまわりにやってくるという。これまでも道に牛のふんひとつ、うまのふんひとつ落ちていたといって、ろうやにほうりこまれるやら、年貢をばいにされるなどさんざんな目にあっていた村人。

 坊さまは、じぞっこわらしを天竺までつかいにやって、かえってきた七人のわらしが踊り始めると山の上も、田んぼも道の上も雪で真っ白になり、みまわりにきたさむらいは、わらくずひとつみつけることができませんでした。

 みまわりは、どんな理由をつけてでも年貢をとりたてたいという領主の手段だったのですが、坊さまに代表される村人たちには、これをうわまる知恵があったようです。

 だいだんぼうが”ふぐり”丸出しででてくるのですが、子どもはどううけとめたでしょうか。

 はじめに、”この絵本を、今は亡き高畑 正くんにささげます”とあります。高畑氏は田島氏が大学時代の教え子で、進行性筋萎縮症で若くしてなくなっているようです。


貧乏になれなかった男

2015年12月03日 | 昔話(日本)

       かたれやまんば第5集/藤田浩子の語りを聞く会/2003年

 こんなのありかなと楽しめます。たしかにばかばかしいのですが・・・。

 たいそうなお大尽。ひとりぐらしで広ーいお屋敷。

 一枚一枚はずしたり、はめたりする雨戸を開け閉めする女ご衆。

 朝から雨戸を開け始め、全部開けるともう夕方。すぐに雨戸を閉めはじめ、閉め終わると今度は朝。
 また雨戸を開け始め・・・。

 料理番の女ご衆、料理をつくって、ながい廊下を運ぶのが一苦労。
 何しろ、冬は、料理を作って運ぶ途中、ガチガチに氷ってしまいます。

 アッツい飯やあっつい味噌汁が食べられないお大尽。なんとか貧乏になりたいと、千両箱を道端に捨てます。
 ところが、道歩いている人は、こんな千両箱をもっているのはお大尽さまだけと、旦那様にもっていきます。

 それじゃ、穴をほって千両箱を埋めてしまえと、百人ばかりの男衆をやとって、穴をほりはじめますが・・・。

 穴から千両箱がぞくぞくでてきて、さらにお大尽になるという、なんとも豪快な話。浮世のうさをわすれられます。


バナナンばあば

2015年12月02日 | 絵本(日本)
バナナンばあば  

    バナナンばあば/作:林 木林 絵:西村 敏雄/佼成出版社/2012年初版

 

 頭の上がつながっているバナナンばあば三姉妹は、料理をするのも、テレビをみるのも、お散歩をするのも一緒。

 一番上は赤いめがねをかけたバナばあ、真ん中は青いめがねをかけたナナばあ、一番下は緑の眼鏡をかけたナンばあ。
 ところがあるひ、三人の意見がわれてそれぞれが行きたいところに行くことに。

  バナばあは山の温泉
  ナナばあはまちのくだものや
  ナンばあは生まれ故郷の南の島へ 

 山の温泉にいったバナばあは、さるをだまして
 「ふふふ、よくばったり しなければバナー」
 くだものやにいったナナばあは、すてられそうになって、バナナのかわをおじさんの足元におくと、すってんころりん
 「へへへ、あしもとは ちゃんと みて あるかなけれバナー」
 ナンばあは生まれ故郷の南の島で、ゾウにとうがらしを食べさせます。

 あまり憎めないばあばのいじわるぶりに大笑いです。おばあちゃんでないとこんな感じにはなりません。
 
 みんながいっしょがいいねと最後は、あったかい感じです。

 よくみると額縁の絵にはバナナ、そしてテレビは昭和風です。