日々

穏やかな日々を

人類は人類を消そうとしている?

2022年12月12日 22時06分47秒 | 

ナチハンター「忘却」との闘い

が放映されている。

私は又、同じことを思っている。映像は、ナチのその後だけど。

 

人間は人間を殺すことを、OKしているのだろうか?

軍事力を高める競争を、OKしている、作れば作るほど、無人の爆弾が地球を破壊する。

英知ある人間は、それを作っても、使わないと思っているのだろうか?

それなら、なぜ作るのか?

牙を使わない使わないと言いながら、牙を研ぐ、この恐ろしき童話が現実に、

でも、もう彼は、核兵器を使うことを決めていると、解説する人は言う。

この止められない、行動行為は、日本にも来る。

兵器を作っても作っても、何ら防衛にはならない

地球の破壊

人類は消滅を望んでいるのだろうか?平気でしている人類がいる。

平和な日本は、いつまで、存在するのか、分からなくなってきている。

ただ、79歳の老婆のたわ言など、どうでもいい?

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ロシア政府「ノーベル平和賞受賞は不適切だ」…人権団体「メモリアル」に圧力

2022年12月12日 21時57分11秒 | 

ロシア政府「ノーベル平和賞受賞は不適切だ」…人権団体「メモリアル」に圧力

読売新聞 - 11 時間前
 

 今年のノーベル平和賞を受賞したロシアの人権団体「メモリアル」のヤン・ラチンスキー元代表が英BBCのインタビュー番組で、露政府から受賞を辞退するよう求められていたことを明らかにした。

2022年のノーベル平和賞受賞が決まったロシアの人権団体「メモリアル」の元国際組織代表、ヤン・ラチンスキー氏
2022年のノーベル平和賞受賞が決まったロシアの人権団体「メモリアル」の元国際組織代表、ヤン・ラチンスキー氏© 読売新聞

 露政府は、ウクライナの人権団体「市民自由センター」とベラルーシの人権活動家アレシ・ビャリャツキ氏と共同受賞となることについて、「不適切だ」と理由を説明したという。

 メモリアルはプーチン政権による人権抑圧を批判し、露最高裁からの解散命令が確定した今年2月下旬に解散を表明したが、活動は継続している。

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避難指示解除から半年も帰還は1人 重い11年の歳月 福島・葛尾

2022年12月12日 21時32分41秒 | 原子力

避難指示解除から半年も帰還は1人 重い11年の歳月 福島・葛尾

9月に完成したばかりの自宅前で古里について語る大山さん=福島県葛尾村で2022年12月9日午後0時11分、肥沼直寛撮影

 東京電力福島第1原発事故に伴う帰還困難区域のうち、特定復興再生拠点区域(復興拠点)となった福島県葛尾村野行(のゆき)地区は12日、避難指示解除から半年を迎えた。原発事故前から登録していた住民の帰還は1人で、自宅を建て直して避難先と行き来する「2地域居住」をする住民もわずかにとどまっている。登録上の住民は30世帯80人(1日現在)いるが、原発事故から11年という時の経過が帰還を難しくしている。

 野行地区で生まれ育った農家、大山昭治さん(85)は9月に自宅を再建した。県道沿いにある木造平屋建てで、10月には原発事故後、初めて一夜を過ごした。「県道を走る車の音に安心した。車が通るということは、誰かが行き来しているということ。日中でさえ1台も通らなかった時もあったから。

 自宅のある場所は明治時代に先祖が開拓し、原発事故前は約1ヘクタールの田んぼでコメを作っていた。妻(84)とはキュウリやナス、ハクサイなどを一緒に育て、食卓に並べた。

 福島第1原発1号機の原子炉建屋が水素爆発した2011年3月12日には、同県浪江町から避難してきた弟家族ら7人を自宅に泊めたが、すぐに自らも避難者に。村が用意したバスに乗り込み、福島市や同県の会津坂下町、柳津町を転々とした。三春町の仮設住宅に入ったころには、事故から4カ月ほどたっていた。

北島三郎さんの演歌などを聴くのが趣味の大山さん。野行の自宅には40年以上愛用しているスピーカーを置いた=福島県葛尾村で2022年12月9日午後0時2分、肥沼直寛撮影

 自ら建てた築35年の家は、年3回ほど墓参するたびに立ち寄った。震災で瓦一つ落ちなかった自慢の家だったが、13年春に来た時には勝手口の扉が動物に破られ、室内は倒れた家具や食器、動物のふんが散乱していた。自宅周辺が帰還困難区域に指定されたのは、その頃だった。頭が真っ白になった。「人が住んでいれば、こんな無残な状態になっていなかったのに……」。悔しさがこみ上げた。

 自宅の避難指示解除のめどが立っていなかった17年、当時避難していた同県田村市船引町に家を建てた。国は18年に自宅周辺を復興拠点として除染を進める計画を発表したが、「家を建てて生活する考えはさらさらなかった。あまりにも遅すぎた」と帰還を諦めた。事故前から足が悪く、軽度の身体障害者と認定されていた妻は、長引く避難生活で容体が悪化した。自らも80代になり、何度も体調を崩した。野行に病院がないことは、帰還を諦めるには十分すぎる理由だった。

 今では月半分を野行で過ごす。日中は草刈りにいそしみ、休憩時間には趣味の音楽を聴いて過ごす。「人がいないさみしさを感じている時間なんてない」と充実感をにじませる。所有する農地や山林の利活用には頭を抱えるが、2地域居住を続けるつもりだ。「暖かくなれば女房も連れてきて、緑の芝やサツキの花を庭に植えたい」と春を待ち望む。【肥沼直寛】

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不屈の魂で「びっくり」V 難病、落選乗り越えた三原

2022年12月12日 21時12分07秒 | 運動スポーツ

不屈の魂で「びっくり」V 難病、落選乗り越えた三原

 2022年12月12日 (月)配信共同通信社
 

 全身の関節が痛む難病や3季前に全休を迫られた体調不良、2度の冬季五輪代表落選。幾多の困難から「まだまだやらなあかん」とはい上がった23歳の三原が、不屈の魂を銀盤で体現した。シニア7季目での初出場制覇に「びっくりしている。金メダルが首にかかっているのが信じられない」。目を丸くして語る言葉に喜びがにじんだ。

 初優勝したGPシリーズを含めて、この1カ月で欧州では3大会目。中野コーチが「体の調子が悪かった」と明かすように疲労は色濃く、アレルギー症状も出た。本人も「いつ倒れてもおかしくない。立っているのがやっと」と振り返った4分間のフリーで、2回転になった最後のループ以外は踏ん張った。同門でSP1位の坂本らが低調だった一戦で、2位レビト(米国)に約11点差と安定感が際立った。

 昨季は全日本選手権4位で北京五輪代表を逃し、どん底を経験した。「本当に悔しかったので、その気持ちは一生忘れてはいけない」と心に刻み、強豪ロシア勢不在の好機でつかんだ栄冠。「もっと完璧にしたかった」と妥協なき姿勢が、情感あふれる滑りを磨いていく。(共同=吉田学史)

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