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医療機関の機能麻痺再び、院内はいつまで「ゼロコロナ」?

2022年12月13日 20時51分48秒 | ウイルス

医療機関の機能麻痺再び、院内はいつまで「ゼロコロナ」?

現在の医療機関を取り巻く状況は「無理ゲー」
オピニオン 2022年12月13日 (火)配信岡秀昭(埼玉医科大学総合医療センター総合診療内科教授)
 

 12月も半ばに差しかかったが、私のもとには方々の医療機関から感染対策の苦悩を聞くようになっている。埼玉県全体を見渡しても新型コロナウイルス感染症の院内クラスターに頭を悩ませている医療機関が少なくない。感染拡大を許容する雰囲気が社会全体に広がる中、「ゼロコロナ」を目標とせざるを得ない医療機関では、欠勤者が増加し、コロナ医療だけでなく通常医療の提供にも支障を来し始めている。患者報告数では7波ほどには至らないものの、8波の医療現場の逼迫感は、体感では同等レベルに感じている。

 第1波から第5波にかけては、中等症、重症者数が増加することで医療機関が逼迫していた。しかし、オミクロン株が主流となって以降は重症化率そのものは低下し、40代や50代のコロナ患者が人工呼吸器やECHMOを必要とするといった事例は非常に稀だ。一方で、社会全体に感染が蔓延する中、医療者の欠勤、院内クラスターが医療逼迫の原因となっている。

 オミクロン株以降は、重症化率や致死率だけのデータだけで新型コロナが社会や医療に与える影響を測ることは不可能だ。たとえコロナ病床が空いていたとしても、それを運用するためのスタッフが不足し、結果として医療提供体制のキャパシティーが縮小してしまうという課題が繰り返し発生している。

 コロナ病棟で対応に当たる医師として率直に感じるのは、現在報告されている感染者数の割に実際に入院するコロナ患者数や感染による職員の欠勤が多いということだ。これは、全数届出の見直しによる影響ではないかと推測している。実際の感染者数は報告されているよりも多いと考えれば、現在のコロナ病棟を取り巻く状況にも合点がいく。

中国と重なる、医療機関の置かれた状況

 中国も近頃、ようやく「ゼロコロナ」政策からの方針転換を図りつつある。このニュースを単なる海外ニュースと捉えている方が多いかもしれないが、医療機関の置かれた状況は中国と非常に近いのではないかと感じることがある。

 どれだけ社会全体が感染拡大を許容したとしても、弱者の多い病院内において感染を許容することは医療安全や何かが起きた際の責任問題を踏まえると難しい。感染した医療者は欠勤せざるを得ず、欠勤によって提供可能な医療のキャパシティーが縮小すれば、受け入れ患者を減らし、予定していた手術や検査等を延期することとなる。医療機関も社会の一部である以上、社会全体で発生している感染拡大の影響を受けることは避けられない。中国以外の国で感染が蔓延すれば、外国から感染者が入り、ゼロコロナは難しいように、医療機関内においても感染を制御することは非常に厳しい。

 こうした課題を指摘すると、一部の人々から「感染症法上の位置付けを見直せば問題ない」「早く5類感染症へ、感染症法上の扱いを引き下げろ」といった声が上がる。しかし、本当に感染症法上の位置付けを見直すだけで、現場が抱える課題は解決可能なのだろうか。

 これまで、私は感染症法上の位置付け見直しは根本的な課題解決にはならないとの考えから、こうした意見に反論してきた。そのたび、度を超えた誹謗中傷が寄せられる。だから、これ以上、こうした声に真正面から反論することを最近はやめることしてきた。その代わり、もしも感染症法上の位置付けを見直した場合に何が起きるのかを考えてみたい。

医療逼迫解消の「魔法の一手」存在せず

 前提として、コロナ患者を受け入れる全ての医療機関が補助金で潤っているため、コロナ禍を終わらせようとしていないというのは幻想だ。何より私はひとりの感染症専門医としてもコロナばかりでそれ以外の感染症診療ができず、苦しい日々だ。早く終わってほしいと願っている。通常医療の制限などで収益が減少する中、コロナ患者に関する補助金でマイナス分を何とか補っているというのが医療機関の実態に近い。仮に感染症法上の位置付けが見直され、コロナ患者受け入れに関する補助金も撤廃されたとすれば、十分な収益を確保するために医療機関はコロナ病床を削り、コロナ医療よりも収益率の高い一般医療の枠を増やさざるを得ないだろう。

 5類感染症になれば、コロナ患者を診療可能な医療機関が増えるという意見もあるが、果たしてそうだろうか。現時点でコロナ患者を受け入れていない医療機関には十分な感染対策が取れないなどさまざまな事情が存在する。感染症法上の位置付けが見直されたところで、こうした現場の課題は残るため、コロナ患者を診療可能な医療機関の数に劇的な変化はないと予想している。

 つまり、コロナ患者を診療可能な医療機関を増やすことを目的とした感染症法上の位置付け見直しが、結果として逆効果に働く可能性もある。その時、しわ寄せを受けるのは医療機関ではなく、国民であることを強調したい。

 私は感染症法上の位置付けを5類感染症などに見直すことで、コロナ患者を診療可能な医療機関が本当に増えるのであれば、ぜひとも迅速な見直しをお願いしたいと考えている。より多くの医療機関がコロナ患者の対応をするとなれば、私が勤務する大学病院など高次医療機関は重症患者など一部の患者の対応に専念することができる。現時点でコロナ患者を診療していない医療機関が、感染症法上の位置付けが見直されるだけで診療可能となるのであれば、これほど喜ばしいことはない。だが、物事はそれほど単純ではない。

 コロナに感染し、医療を必要としているにもかかわらず、医療機関にアクセスすることができないーー。そのような事例が増えることにつながらないよう、丁寧な議論が行われることを祈っている。医療逼迫を解消する「魔法の一手」は残念ながら存在しないのだ。

一定程度の院内感染、許容も必要か

 感染症法上の位置付け見直し以外で、できることはあるのだろうか。私は社会全体で感染が拡大することを許容するのであれば、医療機関内においても一定程度の感染拡大が発生することを許容するしかないのではないかと考えている。

 外部で感染が蔓延していることを許容して、病院内はゼロコロナを要求される現在の医療機関を取り巻く状況は、かなり「無理ゲー」だ。院内での感染拡大を防ぐことに主眼を置けば、感染した医療者は欠勤し、感染者と接触した人々に対しては通常の濃厚接触者の定義よりもさらに広い範囲で検査をせざるを得ない。しかし、こうした対応によって医療機関の機能が麻痺してしまっている。

 幸いなことに院内クラスターが発生したとしても、現在は重症化する確率が以前よりもかなり低い。これは何もせずにもともとそうだったわけではなく、オミクロン株が主流であり、多くの人がワクチン接種を終え、そして重症化リスクが高い人にはパキロビッドパックなど効果の高い治療薬を投与できている努力の結果だ。

 こうした現実を踏まえ、厚労省をはじめ政府が「重症者や死亡者が増えなければある程度の院内感染の発生はやむを得ない」「新型コロナの院内感染がきっかけとなり起きた問題の責任を各医療機関には求めないので、通常医療を提供すること」とする事務連絡を発出していただけると、医療現場にとっては強い後押しとなる。

 医療機関内で実施している感染対策の一部には、院内感染など問題が発生した場合の責任を回避し、言い逃れをするための取り組みが存在しているのも事実だ。現場に責任が丸投げされている中では、保守的な対応になってしまうのも無理はない。

 「これだけ社会で感染が蔓延すれば、病院内で感染が広がることも一定程度は仕方がない。重症化する人が出なければ大きな問題はない」という考えに基づき、何よりも医療提供体制のキャパシティーを維持することを優先し、コロナの院内感染を今より許容してもらえるのであれば、少しは医療現場もコロナへの対応が容易になるのではないだろうか。

 こうした対応においてこそ、政府にはリーダーシップを発揮していただきたい。こちらの方が感染症法上の位置付け見直しよりも、よっぽど効果的だと考える。

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ほんとの12月の空

2022年12月13日 14時45分34秒 | 

12月の空

総合体育館の上空

市庁舎の工事現場の空

この青

12月

こんな空、信じられない

そして、12月13日、今日の空

これが、ほんとの、12月の空でしょ、

明日は、もしかして、雪かもとテレビは言っている

冬タイヤに替えた

 

 

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