昨日は横浜から和田町まで歩きました。
途中聴いたのは1932年生まれのグールドの弦楽四重奏曲。
ピアノ奏者のグールドが残した室内楽曲として、
器楽曲・室内楽曲の北アメリカ編の最後としてとりあげる。
1953年から1955年にかけて作曲されたこの作品は、
演奏時間36分を要し、録音は1960年に行われた。
曲については意見がいろいろ分かれる作品かもしれない。
少し気難しそうな彼の気質を表すような
いくらか深刻そうな感じで曲は始まる。
十二音技法などの現代音楽風というよりは、
ロマン派風もしくは印象主義風な旋律が流れる。
しかし、旋律は魅力的とはいえず、印象的なものではない。
また、各弦楽器の持ち味を十分に活かしているわけではない。
対位法的なことを弦楽四重奏というスタイルを使って、
試みようとしているような実験的な曲であることはわかる。
彼自身の表現しようとする音楽の世界が、
ピアノだけにはとどまっていなかったというのはわかるが、
どうしてこんな曲を書きたかったのかが謎に思える
何か不思議に思える室内楽である。
ちなみにこの作品は作品番号1が付いている。
彼はこれ以外にも作品番号何番まで作品を書いたのだろう。
作曲の世界で何を求めていたのだろう。
途中聴いたのは1932年生まれのグールドの弦楽四重奏曲。
ピアノ奏者のグールドが残した室内楽曲として、
器楽曲・室内楽曲の北アメリカ編の最後としてとりあげる。
1953年から1955年にかけて作曲されたこの作品は、
演奏時間36分を要し、録音は1960年に行われた。
曲については意見がいろいろ分かれる作品かもしれない。
少し気難しそうな彼の気質を表すような
いくらか深刻そうな感じで曲は始まる。
十二音技法などの現代音楽風というよりは、
ロマン派風もしくは印象主義風な旋律が流れる。
しかし、旋律は魅力的とはいえず、印象的なものではない。
また、各弦楽器の持ち味を十分に活かしているわけではない。
対位法的なことを弦楽四重奏というスタイルを使って、
試みようとしているような実験的な曲であることはわかる。
彼自身の表現しようとする音楽の世界が、
ピアノだけにはとどまっていなかったというのはわかるが、
どうしてこんな曲を書きたかったのかが謎に思える
何か不思議に思える室内楽である。
ちなみにこの作品は作品番号1が付いている。
彼はこれ以外にも作品番号何番まで作品を書いたのだろう。
作曲の世界で何を求めていたのだろう。