温泉クンの旅日記

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京都、大原三千院(1)

2022-03-20 | 京都点描
  <京都、大原三千院(1)>

「♪ きょォとオー おーはらア さん・ぜん・いん!」
 ついつい口ずさんでしまう。
 メロディが、テレビアニメ「まんが日本昔ばなし」のオープニングテーマ曲の、「♪ ぼうや~ よいこだ ねんねしな」にそっくり似ているものだから、わたしの頭にしっかり刻み込まれているのだ。

 

 永六輔の作詞、いずみたく作曲で、1965年にデュークエイセスが歌ってヒットしたご当地ソング「女ひとり」という歌の出だしである。

 その歌われた大原の里に、ついに訪れた。
 なにかしら感慨深いものがあった。

 

 京都駅から地下鉄とバスをうまく乗り継いで小一時間、市街の北東に位置する大原の里は、市内に比べれば気温が五度は低いといわれるように、たしかにちょいと寒かった。朝霧を生みだすこの寒暖差が、みずみずしい大原野菜を育むという。

 天台宗の寺院「三千院」の山号は「魚山」で、「三千院門跡」とも称する。
 その三千院に続く、しば漬けなどの名物を売る店舗がところどころにあるゆるい坂道をのぼっていく。

 

 

 寒いせいなのだろうか、紅葉の名残りがまだ少し残っていた。京都の紅葉は遅く、例年11月後半の連休あたりから見頃が始まるのだが、市内ではとっくに終わっている。

 

 

 階段を昇り、片側に店が並ぶ平坦な路を進んだところに、三千院の「御殿門」があった。
 門を囲む自然石を使った石垣は、城郭の石積みで名高い近江坂本の穴太衆(あのうしゅう)の石工が積んだという。

 

 

 手渡されたパンフレットに、まずはこう書かれていた。

 

「三千院は、延暦年間(782‐806)に伝教大師最澄が比叡山東塔南谷(とうとうみなみだに)の山梨の大木の下に一宇を構えたことに始まる。
 その後、慈覚大師円仁に引き継がれ、最雲法親王入室により、平安後期以降、皇子皇族が住持する宮門跡となった。
 寺地は時代の流れの中で、比叡山内から近江坂本、そして洛中を火災や応仁の乱などにより幾度か移転し、その都度、寺名も円融房、梨本坊、梨本門跡、梶井宮と呼称されてきました。
 明治四年、法親王還俗にともない、梶井御殿内の持仏堂に掲げられていた霊元天皇御宸筆の勅額により、三千院と称されるようになった。
 そして明治維新後、現在の地大原に移り、「三千院」として千二百年の歴史を紡いでいる。」

 

(ふむ、なんと大原の里には明治維新の後に移転してきたのか・・・)

 

 

 客殿の庭園である「聚碧園(しゅうへきえん)」は池泉観賞式庭園で、東部は山畔を利用した上下二段式とし、南部は円形とひょうたん形の池泉をむすんだ池庭を形成している。
 江戸時代の茶人である金森宗和(かなもりそうわ)による修築と伝えられる。

 

  ― 続く ―


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