<懐かしのレバンテ>
有楽町の丸の内側に移転した「レバンテ」を初めて訪れた。
いや、正確にいえば初めてではなく二度目となる。前回来た時は階段の下に「本日貸切」の札がかかっていたからだ。一階に結婚式ができるところがあるので、その関係の二次会だったのかもしれない。
今日はだいじょうぶ、札もかかっていない。
店の場所だが、東京国際フォーラムガラス棟の前である。いま人気絶頂の復元された東京駅からでも南口からなら、歩いてすぐだ。
階段をあがったところが広いテラスになっていて、テーブルが並んでいる。その先がレストランだ。
テラスのみが喫煙席ということなので、そこに陣取った。
ランチメニューを見てハタと気づいたが、レバンテではランチは食べたことがない。いつも夕方からカキフライなどでビールやウィスキーを呑んでいたのだった。たしかパエリアも食べた記憶がある。
さて、なにを食べようか。もともと牡蠣料理で有名な店だが、まだ時期ではない。しょうがない。無難なところで、カレーライスを注文した。
ランチメニューを頼むと飲みものは勝手に飲んでいいそうで、入り口をはいった正面にあるコーナーからウーロン茶を運んできて一服する。店内には二十名ほどの高齢者の一団が酒盛りをして盛りあがっていた。
移転前は交通会館のマリオン側の路を挟んだ向かい側、いまのイトシアあたりにあった。いまのような、いかにもレストランといった店ではなく、浅草にある「神谷バー」に雰囲気が似ている庶民的な細長い店であった。たしか二階もあり、最初のオーダーだけはチケットを購入したような気がする。
まだ朝日新聞社が傍にあったので、その関係の客も多かった。推理小説の大家となった松本清張も新聞社のひととよく利用したのだろう、出世作「点と線」に「レバンテ」が登場する。
『翌日の十四日の三時半ごろ、とみ子がレバンテに行くと、安田は奥の方のテーブル
に来て、コーヒーを飲んでいた。
「やあ」
と言って前の席をさした。店で見なれている客を、こんな所で見ると、気持ちが
ちょっとあらたまった。とみ子はなんとなく頬を上気させてすわった。
「八重ちゃんはまだですの?」
「もうすぐ来るだろう」
安田はにこにこして、コーヒーを言いつけた。五分もたたないうちに、八重子も、
妙に恥ずかしそうにしてはいって来た。近くには若いアベックが多く、一目で
その方の勤めと知れる二人の和装の女は目立った。
「なにをご馳走しよう。洋食か、天ぷらか、鰻か、中華料理か?」安田はならべた。
「洋食がいいわ」
二人の女はいっしょに返事をした。日本食の方は、店で見あいているらしかった。
レバンテを出ると、三人は銀座に向かった』
そうしてコックドールで食事をして、安田に執拗に見送りを頼まれ、東京駅ではるか向こうのホームの博多行き特急に乗り込む、同僚の仲居と連れの男を目撃するのだ。
カレーライスは、いわゆるアベレージの味であった。カレーは松本楼のほうが上だな。
値段が手ごろだったので移転前のレバンテには週に一、二度来ていた。だからレバンテの従業員とは殆ど顔なじみになって、わたしがまだ酒呑み初心者で若かったものだから可愛がってもらった。
そのうちの誰かと再会できるかなあと楽しみにして店の中も探したが、残念ながら今回は逢えなかった。夜ならひとりくらいまだ働いているかもしれない。
次回は牡蠣の季節にきてぜひ呑みたいが、このテラスは寒いだろうな。
→「八方美人なカレー」の記事はこちら
→「さすがの牛バラご飯」の記事はこちら
有楽町の丸の内側に移転した「レバンテ」を初めて訪れた。
いや、正確にいえば初めてではなく二度目となる。前回来た時は階段の下に「本日貸切」の札がかかっていたからだ。一階に結婚式ができるところがあるので、その関係の二次会だったのかもしれない。
今日はだいじょうぶ、札もかかっていない。
店の場所だが、東京国際フォーラムガラス棟の前である。いま人気絶頂の復元された東京駅からでも南口からなら、歩いてすぐだ。
階段をあがったところが広いテラスになっていて、テーブルが並んでいる。その先がレストランだ。
テラスのみが喫煙席ということなので、そこに陣取った。
ランチメニューを見てハタと気づいたが、レバンテではランチは食べたことがない。いつも夕方からカキフライなどでビールやウィスキーを呑んでいたのだった。たしかパエリアも食べた記憶がある。
さて、なにを食べようか。もともと牡蠣料理で有名な店だが、まだ時期ではない。しょうがない。無難なところで、カレーライスを注文した。
ランチメニューを頼むと飲みものは勝手に飲んでいいそうで、入り口をはいった正面にあるコーナーからウーロン茶を運んできて一服する。店内には二十名ほどの高齢者の一団が酒盛りをして盛りあがっていた。
移転前は交通会館のマリオン側の路を挟んだ向かい側、いまのイトシアあたりにあった。いまのような、いかにもレストランといった店ではなく、浅草にある「神谷バー」に雰囲気が似ている庶民的な細長い店であった。たしか二階もあり、最初のオーダーだけはチケットを購入したような気がする。
まだ朝日新聞社が傍にあったので、その関係の客も多かった。推理小説の大家となった松本清張も新聞社のひととよく利用したのだろう、出世作「点と線」に「レバンテ」が登場する。
『翌日の十四日の三時半ごろ、とみ子がレバンテに行くと、安田は奥の方のテーブル
に来て、コーヒーを飲んでいた。
「やあ」
と言って前の席をさした。店で見なれている客を、こんな所で見ると、気持ちが
ちょっとあらたまった。とみ子はなんとなく頬を上気させてすわった。
「八重ちゃんはまだですの?」
「もうすぐ来るだろう」
安田はにこにこして、コーヒーを言いつけた。五分もたたないうちに、八重子も、
妙に恥ずかしそうにしてはいって来た。近くには若いアベックが多く、一目で
その方の勤めと知れる二人の和装の女は目立った。
「なにをご馳走しよう。洋食か、天ぷらか、鰻か、中華料理か?」安田はならべた。
「洋食がいいわ」
二人の女はいっしょに返事をした。日本食の方は、店で見あいているらしかった。
レバンテを出ると、三人は銀座に向かった』
そうしてコックドールで食事をして、安田に執拗に見送りを頼まれ、東京駅ではるか向こうのホームの博多行き特急に乗り込む、同僚の仲居と連れの男を目撃するのだ。
カレーライスは、いわゆるアベレージの味であった。カレーは松本楼のほうが上だな。
値段が手ごろだったので移転前のレバンテには週に一、二度来ていた。だからレバンテの従業員とは殆ど顔なじみになって、わたしがまだ酒呑み初心者で若かったものだから可愛がってもらった。
そのうちの誰かと再会できるかなあと楽しみにして店の中も探したが、残念ながら今回は逢えなかった。夜ならひとりくらいまだ働いているかもしれない。
次回は牡蠣の季節にきてぜひ呑みたいが、このテラスは寒いだろうな。
→「八方美人なカレー」の記事はこちら
→「さすがの牛バラご飯」の記事はこちら
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