温泉クンの旅日記

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読んだ本 2020年2月

2020-03-01 | 雑読録
  <読んだ本 2020年2月>

<世の中は色と酒とが敵(かたき)なり、どうぞ敵にめぐりあいたい>
 色はさておき、毎晩のように敵(かたき)とめぐりあっている酒飲みには、なんかグッとくる<狂歌>だ。

 二月初めのある夕暮れ、行きつけの新橋の酒場のカウンター。常連が揃うのにはまだ時間が早かった。
「D-lifeが3月一杯で放送終了になるって知ってました?」

 

 隣席に座った、わたしと同じ準常連メンバーのシュッシー(酒肆)くんが焼き魚の骨を器用に取り外して「どうぞ」と勧めながらわたしに訊いた。趣味が酒場好きの彼は、少なくても一回り以上若いのだが、ヒグマ喰いとかネコ喰いといわれるわたしと違い魚をきれいに食べる能力を持っているのだ。
「えっ!」
 寝耳に水、晴天の霹靂。あまりの衝撃に、わたしは箸で取ったほぐしたホッケの身を思わず取り落とす。
(そんなあ・・・)
 BSの無料チャンネル「D-life」を教えてくれたのもシュッシーくんだからいい加減な情報ではないだろう。
 それまでBSといえば、時代劇の鬼平とか剣客商売、斬九郎くらいだったのだ。
 教えられたわたしは「クリミナルマインド」から始まり、「NCIS」、「ファイブ・オー」と次つぎにハマり、加えていまや「ブラック・リスト」の虜(トリコ)みたいになっている。レイモンド・レディントンは最重要指名手配犯でありながらFBIを手玉にとる、スケールのでかい滅法面白いドラマだ。旅先の宿では、部屋のテレビがD-lifeを観られるかどうかいつもチェックしているぐらいの熱烈ファンなのである。

「ねえ、もう一軒へしこの店で付き合わない?」
 頭にきたが如何ともしがたい。署名活動でもあるならば協力は惜しまないがここに至っては無理だろう。それにしても3月末までとは急だ。

 
 
 もう憂さを晴らすくらいしかない。もう少しだけ同好の士と「D-life」について語り合いたい。
「親鸞 完結篇 下」を読んでいたら、かの国では胸中の鬱屈を晴らす酒を<忘憂>ともいうそうである、とあった。
 
 

 こうなったらD-lifeには楽しい時間を享受させてもらったと、感謝するしかないな。どうしても続きを観たければ有料番組とか、他の手をゆっくり考えればいい。
 旨酒で忘憂をたっぷりしたら、4月からは読書に身を入れるとするか。
(あ、いかん。九州出張の話を訊くんだった!)

 さて2月に読んだ本ですが、今月はまずまずの7冊、年間累計で14冊。

 1. ○訣別 上              マイクル・コナリー 講談社文庫
 2. ◎訣別 下              マイクル・コナリー 講談社文庫
 3. ○親鸞 完結篇 上          五木寛之  講談社文庫
 4. ○親鸞 完結篇 下          五木寛之  講談社文庫
 5. ○椿落つ 新・酔いどれ小籐次十一   佐伯泰英 文春文庫
 6. ○夏の雪 新・酔いどれ小籐次十二   佐伯泰英 文春文庫
 7. ○京料理の迷宮 奥の奥まで味わう   柏井壽 光文社新書

 マイクル・コナリー「訣別」、面白かった。

「京料理の迷宮」も薄い本のわりにはなかなかの読み応えがあった。
 真の京料理とはなにか。
 歴史的背景から、有職(ゆうそく)料理、精進料理、茶懐石、伝来の料理。
 京は海から遠い山国で新鮮な魚が入手し辛いところから、塩鯖、昆布などを使い独自の食文化を生む。そして豊富な地下水から豆腐、生麩、手近な山の幸の松茸、筍。

 


  『敢えて「京料理」というものを定義づけるなら、これらの柱と壁を組み合わせた一軒の町屋
  ということになるだろう。
   決して稀少なものではなく、しかしその質を充分に吟味選別した食材を(精進)、簡素な美しさを
  湛えた膳に(茶懐石)、雅で厳かな空気を感じさせ(有職)、絶えず進取の気性をもって(伝来)料理
  にのぞむ。これらを柱として、一方で、身近で新鮮な山の幸を主にして、遠来の海の幸に手を加え、
  潤沢な水を使って美味しさを表現する。こんな壁を作り、出来上がった町屋こそが、即ち京都
  ならではの料理なのである。』


  『今や、京都の街角を歩けば、あちこちで「おばんざい」の店に行き当たる。ある意味では「京料理」
  以上に「京のおばんざい」は氾濫している。
   おばんざい。お番菜と書く。「番」は番号の番。つまり、ずらりと並ぶ番号のように、ありきたりのもの、
  という意味から準じて、普段使いの粗末な、の意で使われる「番」。番茶も同じような意味で、
  即ち、お番菜という言葉は、普段の粗末なおかず、という意味あいなのである。』

  
 そんなおばんざいも、薄味に変え「酒肴」としていまでは定着しているそうな。

 いまや京都にはシーズンオフがない。
 京都へいくとき、ベース基地は滋賀の宿と決めている酒飲みのわたしは、リーズナブルな料金で呑める酒場さえあれば「京都に行ったら和食でしょう」みたいな京料理願望はまったくないのである。
 


   →「読んだ本 2020年1月」の記事はこちら


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