<土肥温泉(1)>
見覚えのある、宿の玄関風景だ。
門柱がわりの両側の石仏も趣きを感じる。
「玉樟園新井(ぎょくしょうえんあらい)」は、テレビドラマの舞台や囲碁や将棋のタイトル戦の会場としてたびたび使われ、旅番組などでとりあげられている土肥温泉の老舗旅館である。
玄関の前には、二月というのに桜が見事に咲いている。
「なんてきれいな、桜だ・・・」
到着した客が玄関前で見上げて、一様に感嘆の声をあげていた。
桃色の強い河津桜をさきほどたっぷり見てきたわたしも、思わず見とれてしまう。河津桜の並木もいいが、こちらの早咲きの一本桜も実に風情があっていい。
土肥(とい)温泉は、江戸時代に土肥金山を開発しているころに、副次的に温泉が発見されたという。この温泉、案外と歴史があるのだ。
わたしも来る途中で土肥金山の観光センターに寄り、金箔やら延べ棒やらのキンピカを拝んで時間を潰してきたのだった。
金の輝きにはひとを惹きつける独特の、容赦のない魔力のようなものが潜んでいる。
部屋に案内する仲居さんが、一緒に歩き出してすぐに足を止めた。
「こちらの売店の脇を通って一度外へ出ました、道の向こうが温泉棟になっています」
自動ドアのガラス越しに、見覚えのある車輪の細工が施された建物がチラッと見えた。
売店の右側、わたしの前方には地下に通じる階段があった。
「たしか、深夜にはこの階段を降りて地下を通るのですよね」
「あら、お客さん、前にいらっしゃったことがあるのですね」
「ずいぶん、前ですが一度だけ」
もっとも、すぐに思いだせるのは宿の玄関、温泉、地下道、それに鮑の踊り焼きくらいだが。それにしても、あのときの鮑は旨かったな。
そういえば、朝食が小さな鯵の干物一匹だけという安い宿に泊まったことがあったな。あそこはまだ宿泊はやっているのだろうか。
わたしはよく<伊豆箱根値段>という言葉を使う。宿泊料金が相対的に高いときに、である。もちろん、自分にとっては、という意味だが。
たまには命の洗濯や、といって旅を計画する。首都圏からなら距離が手ごろな伊豆か箱根かにするか。距離は手ごろだが、週末の伊豆箱根は渋滞がワンセットになっているから、日帰りはキツイ。一泊しようと料金を調べると、伊豆とか箱根はとにかく高い。
それでも、年に何回もあることではないし、「こっちの高級旅館に比べれば安いじゃない。ねぇ、たまには贅沢しましょう」などと家族にせがまれて、泣く泣く大枚をはたく。
なにしろ首都圏はひとが多い。こういう客がいる限り、料金は需要と供給でなりたつので、安くならないというわけだ。
旅の初心者だったころだから、この宿で前回に鮑という高級なものがでたとすれば、きっと<伊豆箱根値段>を払ったのだろう。
今回は違う。
平日ならではの目玉が引っ込むほどの低料金プランである。二食付きで諭吉一枚にみたないと聞けば、引っ込んだ目玉が飛び出てちゃーんと元通りになるという寸法だ。
― 続く ―
→「河津桜 2010年」の記事はこちら
→「鯵」の記事はこちら
見覚えのある、宿の玄関風景だ。
門柱がわりの両側の石仏も趣きを感じる。
「玉樟園新井(ぎょくしょうえんあらい)」は、テレビドラマの舞台や囲碁や将棋のタイトル戦の会場としてたびたび使われ、旅番組などでとりあげられている土肥温泉の老舗旅館である。
玄関の前には、二月というのに桜が見事に咲いている。
「なんてきれいな、桜だ・・・」
到着した客が玄関前で見上げて、一様に感嘆の声をあげていた。
桃色の強い河津桜をさきほどたっぷり見てきたわたしも、思わず見とれてしまう。河津桜の並木もいいが、こちらの早咲きの一本桜も実に風情があっていい。
土肥(とい)温泉は、江戸時代に土肥金山を開発しているころに、副次的に温泉が発見されたという。この温泉、案外と歴史があるのだ。
わたしも来る途中で土肥金山の観光センターに寄り、金箔やら延べ棒やらのキンピカを拝んで時間を潰してきたのだった。
金の輝きにはひとを惹きつける独特の、容赦のない魔力のようなものが潜んでいる。
部屋に案内する仲居さんが、一緒に歩き出してすぐに足を止めた。
「こちらの売店の脇を通って一度外へ出ました、道の向こうが温泉棟になっています」
自動ドアのガラス越しに、見覚えのある車輪の細工が施された建物がチラッと見えた。
売店の右側、わたしの前方には地下に通じる階段があった。
「たしか、深夜にはこの階段を降りて地下を通るのですよね」
「あら、お客さん、前にいらっしゃったことがあるのですね」
「ずいぶん、前ですが一度だけ」
もっとも、すぐに思いだせるのは宿の玄関、温泉、地下道、それに鮑の踊り焼きくらいだが。それにしても、あのときの鮑は旨かったな。
そういえば、朝食が小さな鯵の干物一匹だけという安い宿に泊まったことがあったな。あそこはまだ宿泊はやっているのだろうか。
わたしはよく<伊豆箱根値段>という言葉を使う。宿泊料金が相対的に高いときに、である。もちろん、自分にとっては、という意味だが。
たまには命の洗濯や、といって旅を計画する。首都圏からなら距離が手ごろな伊豆か箱根かにするか。距離は手ごろだが、週末の伊豆箱根は渋滞がワンセットになっているから、日帰りはキツイ。一泊しようと料金を調べると、伊豆とか箱根はとにかく高い。
それでも、年に何回もあることではないし、「こっちの高級旅館に比べれば安いじゃない。ねぇ、たまには贅沢しましょう」などと家族にせがまれて、泣く泣く大枚をはたく。
なにしろ首都圏はひとが多い。こういう客がいる限り、料金は需要と供給でなりたつので、安くならないというわけだ。
旅の初心者だったころだから、この宿で前回に鮑という高級なものがでたとすれば、きっと<伊豆箱根値段>を払ったのだろう。
今回は違う。
平日ならではの目玉が引っ込むほどの低料金プランである。二食付きで諭吉一枚にみたないと聞けば、引っ込んだ目玉が飛び出てちゃーんと元通りになるという寸法だ。
― 続く ―
→「河津桜 2010年」の記事はこちら
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