温泉クンの旅日記

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品川、ガード下のラーメン(1)

2015-01-07 | 食べある記
  <品川、ガード下のラーメン(1)>

 去年の八月から仕事場が深川から品川となった。



 品川といえば、江戸時代、東海道の最初の宿場である。
 品川宿は中山道の板橋宿、甲州街道の内藤新宿、日光街道と奥州街道の千住宿と並び江戸四宿と呼ばれていた。
 場所的には現在の品川区内、京急の北品川駅から青物横丁駅あたりに広がっていて、目黒川の北が北本宿(北品川)、南が南本宿(南品川)だった。

 わたしが、ちょうどたった今読んでいる本に書いてある箇所があったので書き記すと、

  『起き上がった影二郎の目に南の傾城、品川の悪所の明かりが海に映る光景が飛び込んできた。
   品川宿は正しくは三つの宿に分かれており、江戸から来ると歩行(かち)新宿がまず控えており、そこへ三十軒、
  続いて北本宿(北品川)に二十軒、最後に南本宿(南品川)に三十七軒の旅籠があった。これらの旅籠の大半は
  飯盛女と称する遊女を置くことを黙認された妓楼で、この天保期、およそ千五百人の遊女がいたとされる。
   北国の傾城、御免色里の吉原が三千人の遊女を有して、天下一の威勢を誇ったが四宿の一、品川もなかなかのものであった。
   この東海道沿いに長く連なる光は欲望の明かりでもあったが、その長い光の帯が一箇所黒々と塗りつぶされて消えて、
  宿場の背後にある御殿山の闇に溶け込んでいた。』


     佐伯泰英著 「役者狩り 夏目影二郎始末旅(十)」 光文社文庫より



 品川駅の高輪口を出て国道を渡り、五反田のほうに三十メートルほど歩くと古式蒼然とした、驚くほど小さな高山神社がある。



 京都伏見稲荷の分霊を祭祀した神社の歴史は古く、約五百年前に高輪の山上に建立され、明治初年、この地に移転したそうだ。
 わたしは猫に逢いたくて毎朝神社を覗く。



 ちょうど朝八時ごろが食事時らしく、本堂脇でふかふかのペルシャ猫が妙齢の女性から餌をもらっているのだ。一度そばに寄っていったら、わたしに険呑ななにものかを感じたらしく脱兎のごとく逃げやがった。悲しい。だから、毎朝遠くから達者を確かめているのだ。

 ついで近道を通って、プリンスホテルのイーストタワーに向かう。フロントを出たところに喫煙場所があるので、そこで一服するのである。





 アネックスのほうのトイレを借りるのは、丸の内に転勤したころからだから、なんともナガーい長い。
 毎朝、外人宿泊客に混じって一服吸い終わると、ここからまた国道へ出て歩きだすので、「やや、昨夜はプリンスホテルに泊ったのか・・・怪しい」とか、「凄い、ホテル住まいかよ」などと思ってくれたりしている同僚もいるかもしれない。(いないって!)

 品川の高輪口には喫煙場所が二か所しかない。このプリンスホテルと、ガード下にラーメン屋がならぶ「品達」だけである。



 「品達」の喫煙スペースもごくたまに利用するので昼メシに足を伸ばして、七軒あるらしいがそのうち好みが合いそうな二、三軒くらい、ちょっと食べてみるとするか。



  ― 続く ―


  →「板橋宿でかすうどん」の記事はこちら
  →「品川で、田舎」の記事はこちら

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