温泉クンの旅日記

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ターゲット ①

2006-11-12 | 雑文
  < ターゲット① >

 煙草を吸うのもままならないご時世である。
 新幹線、飛行機、レストラン、ついには往来での歩き煙草にも罰金を科せられ
る、さながら中世の魔女狩りだな、とヘビースモーカーのM氏はふかぶかとため息
をつく。

 もちろんオフィスでも気骨がおれることはまったく変わらない。
 M氏は事務所の入り口の感知式自動ドアから出て、エレベータで一階に降り感知
式の自動ドアを抜け、すぐそばの守衛の立つ正面玄関に向かわず裏口へ回り込む。
 裏口のドアを抜けて守衛詰め所の前を通りスロープをくだって薄暗い地下駐車場
をとぼとぼ歩く。守衛の視線が、自分の背中に無数の吹き矢のように刺さっている
ようだが、気のせいか。

 煙草を吸い終わったひとだろう、奥から何人か歩いてきてすれ違う。
 ここの守衛は正面玄関を含め、いちように目つきが悪いように思うのは自分だけ
であろうか。
 先月に事務所が移転になりこの下町にあるビルのワンフロアに越してきたのだ
が、他の情報産業系のテナントのせいだろうか、とにかくやたらセキュリティが厳
しい。



 あちこちの自動扉も出るさいは感知式で簡単だが、入るためには首からぶら下げ
た写真入のIDカードを引っこ抜き、扉の横にある読み取り装置のスリットに通さね
ば入ることができない。一階正面こそ強化ガラスの扉であるが、各階のそれぞれの
扉は味気ない厚さ五センチの鉄板扉が一枚きりだ。建物のなかのあちこちにも監視
カメラがついて、銃口のように睨みをきかしている。



 セキュリティの厳しさもいい加減にしてほしいものだが、煙草が面倒なのがもっ
とたまらない。
 地下駐車場を歩ききると、階段をあがり眩しい地上にでる。建物の側壁沿いに、
灰皿がわりの水をいれた赤いバケツが、出口のドアを挟んで両側に適当に間隔を
おいてふたつづつ並んでいる。シャイなダンスホールの壁の花のよろしく、そこで
目の前の巨大なポリタンクの受水槽やら、大木やらをぼんやり見ながら煙草を吸う
わけだ。
 ぐるりを見渡し、M氏は同じ会社の連中が囲んでいる大木側のバケツのほうに近
寄る。

「や、おはよう」
「どうも、おはようございます」
「うう寒ぶう。くそ、なかなか風で火がつかねえ、おっと、やっと点いた」
「はは、午前中は陽があたらないし風がすこしあるから、ほんと冷えますね」
「しかしさあー、いったいなにが悲しくてさあ、こんな、ビルの味気なーい外壁に
寄り添って、缶カラの灰皿囲んで煙草吸わにゃならないのかねえ」



「まったく、いわく罰ゲームですな。あんたは罰として外で吸いなさい、てなもん
ですネ」
「雨が降ったらここじゃ庇がでてないから、傘でもささんと吸えないねえ」
「禁煙でもしろっていうことですかね」
「わしゃ、せんよ。いつ禁煙しようかなあっていう、大きな楽しみがなくなるから
な、ふふ。ムカシはさあ、いつかこんな日がくるなんて正直思わなかったね」

「自由に、デスクで、いつでも、スパスパ吸えて」
「そうそう、朝なんかアツ―いお茶をガブリと飲みながら一服したっけ」
「ボクは猫舌だから、熱いお茶は駄目だって何回言ったらわかるの! なんて、
新米の女子社員をたしなめたりして」
「ひえー、な、懐かしーい。そうでしたそうでした、アタシらはコーヒーカップで
したが、係長や課長や部長、それぞれ凝った湯呑茶碗を持ってきたもんです」
「きみい、蓋つきか。まだ蓋つきの茶碗は早いんじゃないかね。なんて、昇進した
ての係長が厭みいわれてたよなあ」

 目の前の大木の細い枝をしならせて、まるまる太ったカラスがとまり、広げた
強靭な翼をバサバサと音を立ててたたんだ。つやつやと黒光りする頭をこちらに
むけ、カッと不気味に丸く見開いた眼でM氏のほうを睨んで動きをとめた。

「あっと、もう一本吸っていくかな。ところで、茶碗の話じゃメチャクチャ懐かし
すぎて長くなってしまってちょっとまずいから話をかえるけど、今年もそろそろ
リストラ・・・じゃなかった希望退職はあるんだろうか」
「あるらしいですよ」
「ところで情報通の君も、希望退職の資格の年齢になったのかね」
「わたしも、もう一本吸っちゃおうっと。な、なりましたことはなりましたけど、
うちはまだローンたくさん残ってますし、子どもも大学と高校で一番かかるから」

「そうそう今回は募集というかたちではなく、狙ったひとの肩バンバン叩くって
いう噂ですけどね。それと人数的には前回の半分くらいという話ですけど」
「ふうむ。上積みとか、条件なんかの話も聞いているかい、前回なみだとか。ムロ
ン、わたしも辞めるつもりはサラサラないんだけどね。一応まあ興味もあるし」
「いや、そこまではまだ。でも情報がはいったら、すぐお知らせします。それで
は、お先に帰ります」
「ああ、どうも。近いうち一杯やろう」

 グエィ、ガァー! 
 樹の枝のカラスがするどく二度ほど、朝の大気を断裂させるように不吉に鳴い
た。愕いて見上げるM氏を、カラスのほうも凝視しているのだった。

   ( ②へ続く )

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