温泉クンの旅日記

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真沢温泉 群馬・水上

2006-08-13 | 温泉エッセイ
  < フランス人 >

 事故渋滞で時間をとられたせいで、関越の月夜野インターをおりるころには夕闇
が広がっていた。
 上越新幹線の上毛高原駅を正面に見て右折し、五百メートルほど先を左折して
山に上っていく。急坂である。五分ほど登ったあたりで右折、ヘッドライトで暗闇
を切り裂いて進む。ここまでくればあと二、三分で今日の宿「真沢(さなざわ)の
森」に着く。

 カーブを曲がりかけて、アッと声をだして慌ててブレーキを踏んだ。前方の道を
大型の獣が塞いでいたのだ。ライトを反射して両の目玉が不気味に赤く光ってい
る。角がある大型の鹿であった。一瞬の睨み合いをすますと、息を吐くようにふっ
と暗闇に走りこんでしまった。まん丸い赤い目玉を光らせてなにを言いたかったの
だろうか。



 フロントで記帳しながら、くる途中でデカイ鹿に遭遇しましたと言うと、
「カモシカです。この辺では夜になると結構出没するんです」
 デモシカとかタラレバという関係ない言葉が、唐突に浮かんだが馬鹿がばれるの
で黙っていた。笑顔で応じたところをみるに、べつに珍しくも無さそうだった。

 ここは、なんどか来ているわたしのお気に入りの宿である。
 ひどく疲れているときに無性に来たくなる。
 一泊二食で一万円以下の低料金であるが、部屋と温泉は相当レベルが高い。宿の
ひとたちはとても感じがいい。さらにサービスもいいとくれば、一度来た客はまず
リピーターとなってしまう。
 行き当たりばったりの宿が好きなこのわたしが、何度も来てしまうほどだ。泊ま
りたい客にくらべ圧倒的に部屋数が少ないから予約せざるを得ない。温泉は日帰り
入浴もやっているので、夕方などは地元の常連たちで混みあう。

 食事も気に入っている。夕食は「つみくさ料理」と称しているが、とにかく山菜
が主である。量も皿数もまさに適当である。豪華好きの大食漢むきではないだろ
う。少ないがまったく手を抜いてはいない。全力投球が伝わる食事である。

 食事をすませて部屋に戻り一服して、温泉に。九時過ぎにそっと夜食を運んでく
れる。そのタイミングが絶妙で泣かせてくれる。朝食もこころがこもっている。
たしか生玉子が名物だった。手をつけないのに気づいたので、自分は苦手だからと
言ったら焼いてくれた。こういう心遣い、無理をきいてくれるところがすばらし
い。



 本館から階段をおりたところの山小屋風の棟が温泉になっている。温泉も冷鉱泉
だが、美人の湯で売っているから香りと湯ざわりは充分に満足できる。アルカリで
肌の脂がとけツルツルする。内風呂は広く、外のテラスに小さいが露天風呂もあ
る。
 板張りのテラスで火照った体を冷ましながら、満天の星を仰ぐこともできる。
目の前の暗がりは棚田であり、まわりには人工の光源が無い。その暗闇の底から
見上げるので星がきれいだ。

 生きるためにひたすら前を見つめ、睨み、視線を落とす時間のなんと多いこと
か。空を仰ぐことを忘れていた。星の輝きを数える贅沢な時間。静寂。冷えてき
て、また温泉に浸かるころには精神的なストレスも薄らいでいる。

 フランス人みたい、このあいだそう友達に言われて、口元がゆるむのを必死で
こらえた。エキゾチックな顔立ちかな、いやエスプリが利いた会話かな。ふふ、
うひひ。



「ち、違う、カン違いしないで。気に入ったものとか、場所、店や宿なんかをひと
に言わずに自分だけでコッソリひとりじめするところが、フランス人みたいって
こと! こころが、せ・ま・い!」
 だらしなく歪んだ口元を一瞥するとそいつは慌ててわたしのウツロ視線を、あの
ときの赤目鹿のような怖い視線でガシッと捕まえると、早口でバッサリ、袈裟懸け
に切り捨てやがった。

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