・・・ここ数年、難民と云うのは、ヨーロッパで大きな政治問題になっていて、日本は難民受け入れ数が極端に少ないと云うことは、誰しもよく知っている話題です。
古代史の本を読んでいると、古代に、日本は何度も朝鮮半島の難民を受け入れている。
戦争がおこれば難民が発生するが、戦争で国が滅びた時も大量の難民が発生する。
古代の日本には、朝鮮半島から、数度の難民が入ってきたことがあった。
我々は歴史上、それを渡来人として、学習の中で習った。
しかも、渡来人と共に、大陸や半島の色んな文化が日本に入って来ることによって、日本の歴史は形成されてきた。
一番古いところでは、古墳時代の初期にカマドが渡来人によって、列島人の生活に導入された。
それまで、日本では住居の真ん中で炉をたいていたが、このころから、壁際にかまどを築き煙を外に出して、須恵器を使う様になって、生活が一変したらい。
騎馬の文化も子の頃らしいです。
その次に、百済が高句麗に都を占領されて、貴族から、一般庶民まで、大量の渡来人が、百済文化と共に日本にやってきた。
文字や、仏教等々が我々の祖先の生活の中にもたらされたようです。
そして、新羅、唐の連合軍と百済・大和の連合軍が白村江で大敗した時に、国ごと百済国が日本にやってきて、主として、河内のあたりに住み着いた。
この渡来人たちが、日本国の国としての仕組みや法律等々を整備していくことになる。
振り返ってみて、現在の日本に、難民、昔でいう渡来人は、日本国のために必要かと云うと、古代に受容した時の様な必要性は残念ながら、今は感じられない。
受け入れるとしたら、その必要性の理由は、日本の人口減少を防ぐための手段としてである。