徳は原字の直+心に行動を表す「彳」と書かれる。
字から読み取ると、直き心への実践から現れたものが徳となる。
直き心は素のままの心であり、万物各々に自然として備わっている長所、潜在的な力をいう。
ただし、人においては必ずしも善に定まるものではない。
本来的には長所である徳も、人には情ありて善悪生ずるが故に、徳に善徳有り、悪徳有り、そこで人においては道を修めて直き心へと反ることを説く。
故に韓愈は原道において「仁義は誰が為すも善、道と徳は人により異なる」「道に君子小人の別有り、徳に吉凶善悪の別有り」とし、「仁義によりて発せられしが道徳である」と述べ、周濂渓は通書において「徳は仁義禮智信、人の本性に備わりしもの」とし「自然と体現するは聖、自ら修めて賢」と述べている。
また、老子は「上徳は徳あらず」と述べ、人間の「徳だ道だ」と固執して本来の姿に非ざることを戒めて、徳を自然と存するにまで至らねば徳ではないとしている。
真に歩むべき道は、本来は道としてすら意識されぬものであり、そこまで達してこそ徳は本当に真実の姿として、自然のままに、その人間に発現されるのである。
徳育の意義・普遍性(文部科学省)
(1)徳育の意義
(徳育の目的)
○ 教育基本法では、第一条において、教育の目的(※1)を、「人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成」と定めている。そして、第二条においては、教育の目標(※2)を、知・徳・体の調和のとれた発達を基本に、自主自律の精神や、自他の敬愛と協力を重んずる態度、自然や環境を大切にする態度、日本の伝統・文化を尊重し、国際社会に生きる日本人としての態度の養成と定めている。
○ こうした教育基本法の規定も踏まえると、徳育は、「社会(その国、その時代)が理想とする人間像を目指して行われる人格形成」の営みであり、幅広い知識と教養、豊かな情操と道徳心、健やかな身体をはぐくむという、知・徳・体の調和ある人格の完成を目指す教育の根幹を担うものであると言える。
※1 教育基本法
(教育の目的)
第一条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
※2 教育基本法
(教育の目標)
第二条 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
(徳育を通じて身につける資質・能力)
○ 小中学校の学習指導要領では、道徳の時間を要(かなめ)として、学校の教育活動全体を通じて道徳教育を行うことを定めているが、道徳教育の指導内容については、
「主として自分自身に関すること」
「主として他の人とのかかわりに関すること」
「主として自然や崇高なものとのかかわりに関すること」
「主として集団や社会とのかかわりに関すること」
の四つの視点に分けて示している。
○ 徳育を通じて、身につけることが求められる資質・能力としては、
「主として自分自身に関すること」の観点からは、自己の生き方を探求する力の育成や、生活習慣の確立
「主として他の人とのかかわりに関すること」、あるいは、「主として集団や社会とのかかわりに関すること」の観点からは、人間関係能力や社会の一員としての責任感の育成、規範意識の醸成等
「主として自然や崇高なものとのかかわりに関すること」の観点からは、自然に親しみ、美しいものに感動することや人間の力を超えたものに畏敬の念をもつ機会を通じた情操の涵養等がある。
これらすべては、子どもが、知ること・判断すること(知的側面)、信じること・感じること(情意的側面)を通じて、行うこと(行動実践的側面)につながるものでなければならない。
すなわち、人が、他者への思いやりの心をはぐくむことを通じて徳を身につけ、道徳的諸価値を内面において統合し、生涯にわたり自己の人生を主体的に切り開くことができることが、徳育を通じて身につけることが期待される資質・能力である。
(社会的存在としての人間と徳育)
○ こうした徳育がもたらす資質や能力は、基本的には、個人の内面のものであるが、人が社会の中で生きていくという社会的存在であるからこそ必要なものでもある。生まれたばかりの子どもは、環境に適応し、自らの感覚を発達させながら、心身の機能を高めていく。また、大人から十分に愛され、信頼されるという、安全で安心できる環境の中で、自らの存在の大切さを自然に理解することで、情緒を安定させながら、自らと対話しつつ自己の抑制等を学習し、他者との調和ある行動が可能になっていく。同時に、子どもは発達段階に応じて、自己の周辺の社会を広げ、主体的に他者とかかわり、自己との対話を深め、正義感や勇気、忍耐心や惻隠の情(※3)、礼儀正しさ、誠意、克己心等をもつようになり、自らの道徳的価値観を形成していく。
○ このように、人の主体的な自己実現は、自然環境や社会の価値・規範とそれに対する個人の道徳的価値観との相互作用の中で、両者が調和することではじめて成し遂げられるものである。したがって、社会、自然や崇高なものとのかかわりの中で、人が人として生きることを目指し、徳育は実践されていかなければならない。
※3 いたわしく思うこと。あわれみ。(広辞苑)
(知育・体育・食育との関係)
○ なお、徳育によって身につける道徳性の涵養が、人格の完成に欠くべからざるものであることにかんがみれば、徳育と知育、体育、食育には、具体の実践において、重なり合う部分が存在する。例えば、規範意識の醸成や公徳心の育成、社会性・人間関係形成に関する能力の育成には、法規範についての教育や、社会問題について論理的に分析・思考することは意義あるものである。また、スポーツ活動を通じて、ルールやチームワークを学ぶことも効果的である。さらには、食に関する指導を通じて、適切な食習慣を身につけることは、徳育と食育が重なり合っている領域である。
○ しかしながら、人の発達や行動についての合理的な理解や分析がどれほど進もうとも、論理通りに行動が行われるとは限らないのが、現実の人の姿である。人間は多くの矛盾や葛藤(かつとう)を抱える存在であり、人がその生涯において直面する問題は、知的理解や合理的な説明だけでは必ずしも解決できない。
○ それでもなお、自己と向き合い、「志」を持ち続け、主体的に人生を切り拓くために不可欠な力を身につけることが、徳育に期待されるものである。そして、徳育の十分な取組は、知育・体育・食育などの、基盤となる教育が着実に実践された上で、はじめて期待できるものと考えられる。
(2)どの時代、どの社会においても行われてきた徳育の普遍性
○ 人が、人として、社会で生きていくためには、共通のマナー、ルールを守ることや他人を思いやるなどの道徳性を有していなければならない。言い換えれば、人間が社会的存在として、円滑に社会生活を営み、人間らしく生きるために不可欠のものが、道徳性である。
○ こうした道徳性は、集団の成員から他の成員へと伝えられ、時を超えて継承されていくものである。そして、世代を超えた道徳性の継承を担っている徳育は、どの時代、どの社会、どの国においても、大人から子どもへの愛情あふれる言動や、訓戒や習俗、法などを通じて行われてきた。また、我が国においても同様に、古くから、家庭や社会におけるしつけや愛情あふれる行為、あるいは様々な習慣や儀礼を通じ、近代においては、国民一般を対象とする学校教育を通じても、徳育が行われてきた。今も残る様々な家訓などの教訓、戒律などの中には、人としての在り方に関する共通の要素が示されている。このように、徳育は、どの時代、どの社会においても行われてきた普遍的な営みである。
字から読み取ると、直き心への実践から現れたものが徳となる。
直き心は素のままの心であり、万物各々に自然として備わっている長所、潜在的な力をいう。
ただし、人においては必ずしも善に定まるものではない。
本来的には長所である徳も、人には情ありて善悪生ずるが故に、徳に善徳有り、悪徳有り、そこで人においては道を修めて直き心へと反ることを説く。
故に韓愈は原道において「仁義は誰が為すも善、道と徳は人により異なる」「道に君子小人の別有り、徳に吉凶善悪の別有り」とし、「仁義によりて発せられしが道徳である」と述べ、周濂渓は通書において「徳は仁義禮智信、人の本性に備わりしもの」とし「自然と体現するは聖、自ら修めて賢」と述べている。
また、老子は「上徳は徳あらず」と述べ、人間の「徳だ道だ」と固執して本来の姿に非ざることを戒めて、徳を自然と存するにまで至らねば徳ではないとしている。
真に歩むべき道は、本来は道としてすら意識されぬものであり、そこまで達してこそ徳は本当に真実の姿として、自然のままに、その人間に発現されるのである。
徳育の意義・普遍性(文部科学省)
(1)徳育の意義
(徳育の目的)
○ 教育基本法では、第一条において、教育の目的(※1)を、「人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成」と定めている。そして、第二条においては、教育の目標(※2)を、知・徳・体の調和のとれた発達を基本に、自主自律の精神や、自他の敬愛と協力を重んずる態度、自然や環境を大切にする態度、日本の伝統・文化を尊重し、国際社会に生きる日本人としての態度の養成と定めている。
○ こうした教育基本法の規定も踏まえると、徳育は、「社会(その国、その時代)が理想とする人間像を目指して行われる人格形成」の営みであり、幅広い知識と教養、豊かな情操と道徳心、健やかな身体をはぐくむという、知・徳・体の調和ある人格の完成を目指す教育の根幹を担うものであると言える。
※1 教育基本法
(教育の目的)
第一条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
※2 教育基本法
(教育の目標)
第二条 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
(徳育を通じて身につける資質・能力)
○ 小中学校の学習指導要領では、道徳の時間を要(かなめ)として、学校の教育活動全体を通じて道徳教育を行うことを定めているが、道徳教育の指導内容については、
「主として自分自身に関すること」
「主として他の人とのかかわりに関すること」
「主として自然や崇高なものとのかかわりに関すること」
「主として集団や社会とのかかわりに関すること」
の四つの視点に分けて示している。
○ 徳育を通じて、身につけることが求められる資質・能力としては、
「主として自分自身に関すること」の観点からは、自己の生き方を探求する力の育成や、生活習慣の確立
「主として他の人とのかかわりに関すること」、あるいは、「主として集団や社会とのかかわりに関すること」の観点からは、人間関係能力や社会の一員としての責任感の育成、規範意識の醸成等
「主として自然や崇高なものとのかかわりに関すること」の観点からは、自然に親しみ、美しいものに感動することや人間の力を超えたものに畏敬の念をもつ機会を通じた情操の涵養等がある。
これらすべては、子どもが、知ること・判断すること(知的側面)、信じること・感じること(情意的側面)を通じて、行うこと(行動実践的側面)につながるものでなければならない。
すなわち、人が、他者への思いやりの心をはぐくむことを通じて徳を身につけ、道徳的諸価値を内面において統合し、生涯にわたり自己の人生を主体的に切り開くことができることが、徳育を通じて身につけることが期待される資質・能力である。
(社会的存在としての人間と徳育)
○ こうした徳育がもたらす資質や能力は、基本的には、個人の内面のものであるが、人が社会の中で生きていくという社会的存在であるからこそ必要なものでもある。生まれたばかりの子どもは、環境に適応し、自らの感覚を発達させながら、心身の機能を高めていく。また、大人から十分に愛され、信頼されるという、安全で安心できる環境の中で、自らの存在の大切さを自然に理解することで、情緒を安定させながら、自らと対話しつつ自己の抑制等を学習し、他者との調和ある行動が可能になっていく。同時に、子どもは発達段階に応じて、自己の周辺の社会を広げ、主体的に他者とかかわり、自己との対話を深め、正義感や勇気、忍耐心や惻隠の情(※3)、礼儀正しさ、誠意、克己心等をもつようになり、自らの道徳的価値観を形成していく。
○ このように、人の主体的な自己実現は、自然環境や社会の価値・規範とそれに対する個人の道徳的価値観との相互作用の中で、両者が調和することではじめて成し遂げられるものである。したがって、社会、自然や崇高なものとのかかわりの中で、人が人として生きることを目指し、徳育は実践されていかなければならない。
※3 いたわしく思うこと。あわれみ。(広辞苑)
(知育・体育・食育との関係)
○ なお、徳育によって身につける道徳性の涵養が、人格の完成に欠くべからざるものであることにかんがみれば、徳育と知育、体育、食育には、具体の実践において、重なり合う部分が存在する。例えば、規範意識の醸成や公徳心の育成、社会性・人間関係形成に関する能力の育成には、法規範についての教育や、社会問題について論理的に分析・思考することは意義あるものである。また、スポーツ活動を通じて、ルールやチームワークを学ぶことも効果的である。さらには、食に関する指導を通じて、適切な食習慣を身につけることは、徳育と食育が重なり合っている領域である。
○ しかしながら、人の発達や行動についての合理的な理解や分析がどれほど進もうとも、論理通りに行動が行われるとは限らないのが、現実の人の姿である。人間は多くの矛盾や葛藤(かつとう)を抱える存在であり、人がその生涯において直面する問題は、知的理解や合理的な説明だけでは必ずしも解決できない。
○ それでもなお、自己と向き合い、「志」を持ち続け、主体的に人生を切り拓くために不可欠な力を身につけることが、徳育に期待されるものである。そして、徳育の十分な取組は、知育・体育・食育などの、基盤となる教育が着実に実践された上で、はじめて期待できるものと考えられる。
(2)どの時代、どの社会においても行われてきた徳育の普遍性
○ 人が、人として、社会で生きていくためには、共通のマナー、ルールを守ることや他人を思いやるなどの道徳性を有していなければならない。言い換えれば、人間が社会的存在として、円滑に社会生活を営み、人間らしく生きるために不可欠のものが、道徳性である。
○ こうした道徳性は、集団の成員から他の成員へと伝えられ、時を超えて継承されていくものである。そして、世代を超えた道徳性の継承を担っている徳育は、どの時代、どの社会、どの国においても、大人から子どもへの愛情あふれる言動や、訓戒や習俗、法などを通じて行われてきた。また、我が国においても同様に、古くから、家庭や社会におけるしつけや愛情あふれる行為、あるいは様々な習慣や儀礼を通じ、近代においては、国民一般を対象とする学校教育を通じても、徳育が行われてきた。今も残る様々な家訓などの教訓、戒律などの中には、人としての在り方に関する共通の要素が示されている。このように、徳育は、どの時代、どの社会においても行われてきた普遍的な営みである。