小樽のパパの子育て日記

日々のできごとを徒然なるままに2006年から書いて18年目になりました。
ヤプログから2019年9月に引越し。

アブレーション2回目の記録

2019-01-26 12:53:03 | 心房細動/アブレーション
1月22日、JRに乗って10時20分に病院へ到着。
患者サポートセンターにて入院申込書や保険証などの書類を提出し、事務手続きを済ませ病棟へ。
パジャマに着替えてしばらく待っていると、担当の看護師がやってきて、入院中のスケジュールを説明してくれた。
この看護師は、昨年5月に入院したときにも担当してくれた新人さんで、自分も覚えていたし、彼女も自分のことをよく覚えていてくれた。
午後からの経食道エコー検査のために、さっそく採血と点滴ルート確保。
心電図モニターも装着された。
剃毛は自宅で済ませてきたと伝えると、とても感謝された。
念のためと確認されてOKをもらう。



昼食はなし。
午後、主治医からの説明を受け同意書にサインし、看護師と一緒に手術前に行う一連の検査に向かう。
外来で混み合う1階でレントゲンを撮ったあと、2階の生理検査室にて心電図検査。
「不整脈出てますか」と尋ねると、私からは何も答えられないと紋切り型の返答に思わずニヤリとしてしまう。
経食道エコー検査は、3人がかりで行われた。
口を開けて喉の奥にスプレーの麻酔薬をシュシュと3回、指示されたとおりにゴクっと飲むと、前と同じ味がした。
点滴による鎮静剤がそれほど効かなかったのか、前とは違い検査中は終始ぼんやりと意識があった。
病棟の看護師に迎えにきてもらい車いすでベッドに戻る。
1時間くらいボーっとしていると、夕飯が運ばれてきた。



600キロカロリー、鶏肉のトマト煮が美味しかった。
薬剤師がきて手術前につき、抗凝固薬プラザキサの服用が制限されるとの説明があった。
新しく胃薬ネキシウムカプセルも処方される。

夕食後は読書をしながら過ごす。
経食道エコーのせいか喉に若干違和感があるが、それほど気にはならない。
10時の消灯後も眠れず、結局就寝は12時過ぎだった。
隣からのいびきが強烈であったが、耳栓を持ってきて大正解。


手術当日。



朝ごはんは270キロカロリー。
食欲はないが、今日一日何も食べられないだろうから食べておこう。
持参した電動歯ブラシが思いの外うるさいので、シャワー室まで移動して歯磨き、洗顔を済ませた。
朝9時30分、足が悪い高齢者が入院してきたからと、トイレが近い自分のベッドを明け渡し、一番端の病室に移動した。
窓から電車が見える部屋になって、かえってラッキー。
10時すぎに看護師がやってきて手術に備えて2本目の点滴を装着。
一針目を失敗し、2回目で成功した。
ドンマイ。



尿道カテーテルの挿入は、手術室にて麻酔後にと先生にお願いしてあるので、病棟の看護師が行う処置はここまで。あとは手術室に呼ばれるのを待つだけだ。
「麻酔後に尿道カテーテルを入れたいのなら直接先生にお願いしてください」と病棟の看護師が昨日言った理由がこのときにピンときた。
あくまでもそれは患者の希望であって、本来病棟の自分たちがやるべき仕事をサボってオペ室に押し付けたと思われたくないからなんだな。
病棟の看護師からは言いづらいってわけか。
ははーん。
微妙な職場のパワーバランスって、どの世界にも存在するものなのだな。

自分の手術の順番は、3番目でその日の最後だという。
2回目のアブレーションということもあり、時間を気にしないでやれる処置をすべてやろうと組んだスケジュールだと主治医からは説明を受けた。
ありがたいことだ。
15時に呼ばれる予定だったが、実際に呼ばれたのは15時30分。
「さあ行きますよ」
車いすに乗る前に看護師に前貼りを貼ってもらう。
恥ずかしいので自分でやると言ったが、聞き入れられず。
どんな顔をするのかと看護師を注視していたが、その表情に一切の変化はなかった。
お主さすがプロよの。
パジャマを前後に着替えて車いすに乗り、1階の手術室まで運ばれる。
いざ決戦。



手術室の大きな扉が開いて中に入ると病棟の看護師とはそこでお別れ。
オペ室の看護師に引き継がれる。
手術室の真ん中にはテレビでよく見る手術台と大きな照明ライトがあり、その周りにはたくさんのモニタやら機器やらが雑然とところ狭しと並んでいる。
手術台の周りで男女合わせて5,6人が忙しそうに作業をしている。
用意された踏み台を登り手術台の上に腰掛けると、前に経験しているとはいえ一気に緊張感が高まってくる。
そこに主治医が現れ、会釈を交わす。
チームのリーダーはこの先生なのだろう。
「そのモニターの画像はもう(自分)さんのになっているの?」
「いえまだです。すぐに切り替えます」
各人にテキパキと指示を与えている。
かっこいいなあ。
看護師たちが背中や首や肩や腕に電極などのシールを貼っていく。
背中に貼ったシールの位置が違うと、先輩らしき看護師がダメ出しをしながら貼り直す。
人数が前より多いのは、研修医がいて指導も兼ねているからのようだ。
横になってと促された。
自分はいよいよ鯉になるのだと思った。
「では始めます。薬が入るので右腕の点滴針のところが少し痛みますよ」
頭の上のほうから看護師の声が目を閉じている鯉に届いた。
ホントだ、腕にじわじわきてる感触があるな。
1分くらい経っただろうか。
まだ意識がある。
どうしよう。
2分経過してもまだ意識がある。
どうしよう。
このままずっと意識があったらどうしよう。
緊張はマックスに。
・・・鯉の記憶はここまでだった。

気がつくと病室のベッドの上にいた。
時刻は23時30分。
右鼠径部の傷口が痛む。
さらに腰が痛い。
ナースコールで看護師を呼び、体を横にしてもらった。
喉がからからに乾いてしかたがない。
無理やり体を起こし、何とか冷蔵庫に手が届きタリーズを一気に飲み干した。
携帯を取り、ラインで娘たち二人も病院に来てくれていたことを知る。
大雪の日に申し訳ないと思った。
夜中3時くらいに看護師がやってきて、術後6時間が経過したので起きてもいいと、固定していたバンドや点滴などを外してくれた。
腰は痛いし目がぱっちりと開いて全く眠くない。



廊下に出てストレッチなどをしながら30分くらい過ごしていると腰は随分と楽になった。
明け方5時過ぎに待望の眠気がやってきた。

昼12時30分、主治医がやってきて手術内容の説明を受ける。
外来の合間に抜けてきたという。
医者ってどれだけ忙しいのだろう。

説明の概要は、以下のとおり。

①前回行った肺静脈の電気的な隔離が完成されていることを確認した。ただし、その範囲が若干狹かったため、一回り大きく広げた。
②電気刺激等により誘発すると簡単に心房細動が出てしまうことから、心房筋がダメージを受け電気的に弱く傷んでいるようだった。
③2箇所の肺静脈の隔離ラインを上下の線でつなぎ、電気的に不安的になりやすい左房の壁を隔離した。
④その後、心房細動を誘発すると、続くときもあるが、自然に止まるようにもなり、電気的に安定してきたようだった。
⑤肺静脈以外に心房細動の起源がないか、しつこく10回くらい誘発してみたが出なかった。
⑥肺静脈周辺と左房の壁の次に心房細動が出やすいとされている上大静脈の隔離は前回やっているが、今回改めて完成していることを確認した。
⑦やった内容は以上。4時間ちょっとの手術でカテーテルアブレーション治療として、今できることはすべてやった。
⑧しばらくは薬を服用しながら脈を安定させていく方針で外来にて様子をみていく。

先生には感謝の言葉を伝えた。
正しい脈が長く続けば続くほど心房細動は再発しにくくなるという。
パンツのゴムのように一旦伸び切った心筋でも、正しい脈を保つことにより時間をかけて固くしまっていくのだそうだ。
自分の心臓もそうなることを願う。
鼠径部傷口の抜糸、消毒をしてくれて、シャワーを浴びた。
その後、夕方から脈が100回/分以上の頻脈となり、37.5℃と微熱が出たが、一晩寝て起きると脈が安定し、熱も下がっていた。

朝8時過ぎに主治医がきて改めて説明を受ける。
昨夜10時過ぎに頻脈の症状を確認したが、術後に脈が不安定になることはよくあることで、大きな心配はないという。
それを聞いて安心した。
それにしてもこの先生、朝から晩まで病院にいるようだし、どれだけ忙しいのだろう。

「夜勤が新人医師だったため、心配だからって昨日は病院に泊まっていたようですよ」
看護師があとからこっそり教えてくれた。
医療現場の労働環境は過酷だ。

予定どおりに退院することができて、自宅に戻った。
会計の明細書を改めてみると、総医療費は2,111,830円と記載されていた。
実際に自分が支払ったのはこの20分の1だ。
こんなに使ってごめんなさい。



帰るとミントが待っててくれた。
やっぱり家はいいなあ。

職場にも迷惑をかけました。
土日でしっかり静養し、来週からバリバリ頑張ります。

【過去の記事】
カテーテルアブレーション 2018.04.06
入院 2018.05.09
手術当日の記録 2018.05.10
不整脈再発 2018.05.21
心房細動が治った 2018.07.27
不整脈再発 2018.12.10