ふと出てきた古い写真を懐かしむ。

たかばあによると、この頃は、最上町にある精周寺よりもっと上の天狗山の麓で借家住まいだったそうだ。
明治牛乳と書いてある。
そういえば、牛乳配達ってあったよなあ。
飲み終えた瓶を入れておけば新しいのが入ってる。
牛乳配達が来たことを知らせる瓶が擦れ合うガチャガチャという音。
ガチャガチャというよりカチャカチャが近いか。
カチャカチャで思い出した。
小学校の時分は、学校給食も瓶の牛乳だった。
給食の時間になると、給食室から当番がクラスごとに給食を運ぶ。
木枠に入った牛乳瓶を運ぶのは、力のある男子と決まっていた。
ジェンダーの時代、それすら許さないのかも知れぬ。
低学年のころは2人で運んでいたが、中学年、高学年と進むにつれて、1人で持てるようになった男子は、どこか自慢げだった。
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同じクラスに牛乳を飲めない娘がいて、いつもあげるとくれていたので 2本飲んでいた。
「いいよ。私牛乳嫌いだから」
ときどき、ふと思い出して、
そして、胸が締め付けられる。
あの娘は、本当に牛乳が嫌いだったのだろうか。
知らんけど。