
影青の茶碗の口縁に補修の跡があり口当たりに支障がありそうでしたので、覆輪では口縁が薄く歪で出来ませんでしたので、輪島長屋工房さんに依頼して、覆輪のように口縁の周囲を金繕いするように依頼していた作品が出来上がりました。

このような処置に賛否はあろうかと思いますが、同様な作品の完品がある当方としては、どうなるか楽しみであり思い切って処置を施しました。

口縁が歪なところが味が出て面白くなったと思っています。

影青のこの作品は北宋までの時代はないでしょうが、南宋くらいの時代はありそうです。輪島長屋工房さんに丁寧にやってもらってよかったです。

いつものように栞まで添付していただいております。

さて本日の作品の紹介です。
家内が「そういえば、うちには宝船の作品がないね~」と言い出しました。小生も「たしかに・・」と思いながら「それで宝くじが当たらないのかな?」と感じており、いつかは宝舟を描いた作品が欲しいと思っていたのですが、なかなか入手できずにいました。
本日の作品は欲しいと思っていた「宝舟図」の作品の紹介です。
宝舟図 狩野素川筆
絹本水墨淡彩軸装 軸先木製 合箱
全体サイズ:横430*縦1620 画サイズ:横805*横315
ネットオークションにもチャレンジしていましたが、意外に「宝舟図」の作品は値が上がるものです。きっと他の皆さんも考えることは同じなのかもしれませんね

本日の作品はあきらめていた作品が、落札した方の辞退でネットオークションの繰り上げで入手できました。画家の狩野素川の作風は好きで、いろいろと縁がありましたので入手することにしました。

狩野派にしては贋作が少ない画家のように思います。つまりそれほど高名ではない画家らしい・・。

狩野素川は当方の好きな画家のひとりです。
この画家は1800年(寛政12年)数え36歳で若隠居し、花街での遊蕩を好み、吉原の老妓の門弟も多かったとされています。粉本に依らない軽妙洒脱な画風で人気を博し、当時の狩野派内で最も有力だった狩野栄信(木挽町家狩野派8代目の絵師)のライバルと言われたくらいです。

また居宅に高楼を建てる趣味人で、『画道伝授口訣』という著作もありますので、既成路線の狩野派にあってかなりの識人であったように思います。

浅草猿屋町代地狩野家の当主の作品ですので、表具はそれなりにいい表具のようです。さてこの作品から御利益はありや否や・・・

このような処置に賛否はあろうかと思いますが、同様な作品の完品がある当方としては、どうなるか楽しみであり思い切って処置を施しました。

口縁が歪なところが味が出て面白くなったと思っています。

影青のこの作品は北宋までの時代はないでしょうが、南宋くらいの時代はありそうです。輪島長屋工房さんに丁寧にやってもらってよかったです。

いつものように栞まで添付していただいております。

さて本日の作品の紹介です。
家内が「そういえば、うちには宝船の作品がないね~」と言い出しました。小生も「たしかに・・」と思いながら「それで宝くじが当たらないのかな?」と感じており、いつかは宝舟を描いた作品が欲しいと思っていたのですが、なかなか入手できずにいました。
本日の作品は欲しいと思っていた「宝舟図」の作品の紹介です。
宝舟図 狩野素川筆
絹本水墨淡彩軸装 軸先木製 合箱
全体サイズ:横430*縦1620 画サイズ:横805*横315
ネットオークションにもチャレンジしていましたが、意外に「宝舟図」の作品は値が上がるものです。きっと他の皆さんも考えることは同じなのかもしれませんね



本日の作品はあきらめていた作品が、落札した方の辞退でネットオークションの繰り上げで入手できました。画家の狩野素川の作風は好きで、いろいろと縁がありましたので入手することにしました。

狩野派にしては贋作が少ない画家のように思います。つまりそれほど高名ではない画家らしい・・。


狩野素川は当方の好きな画家のひとりです。
この画家は1800年(寛政12年)数え36歳で若隠居し、花街での遊蕩を好み、吉原の老妓の門弟も多かったとされています。粉本に依らない軽妙洒脱な画風で人気を博し、当時の狩野派内で最も有力だった狩野栄信(木挽町家狩野派8代目の絵師)のライバルと言われたくらいです。

また居宅に高楼を建てる趣味人で、『画道伝授口訣』という著作もありますので、既成路線の狩野派にあってかなりの識人であったように思います。

浅草猿屋町代地狩野家の当主の作品ですので、表具はそれなりにいい表具のようです。さてこの作品から御利益はありや否や・・・
