夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

葡萄図 天龍道人筆

2012-08-07 05:20:41 | 掛け軸
電車に乗っていたら隣での会話が聞こえてきました。どうも今流行の薬局とスーパーが一緒になったお店の店長のようです。「うちのお店に来客する人はいったい薬局目当てなのか、そのほかの買い物が目当てなのか知りたいよね」ということらしい。?? 基本的な分析ができていないらしい。

自分のビジネスのうえでどこから利潤がでているのかわからないサラリーマンはわりと多いと思います。基本的に何で稼いでいるのかを肝に銘じていないと、ぬるま湯につかったごとく対応の遅れから会社存亡に関わることになりかねません。

業績の分析、将来予想、業績悪化に対する対応をすぐにとらないといけません。その危機感を社員がもっていないといけません。会社が縦割りだと感じるようになったらこの原点に戻るべきでしょう。

骨董も同じことです。収集するだけでは何の得にもなりません。この作品のどこが良くて、こうだからよりいい良いものを欲しなくてはいけません。そのためには不要なものを処分したり、蓄財と投資を繰り返してレベルを上げなくてはなりません。まだまだ私の収集品はガラクタばかりです。

そんな中で釧雲泉や源内焼など、そして天龍道人などを集めていますが・・。

葡萄図 天龍道人筆
紙本水墨軸装 軸先木製
全体サイズ:縦2060*横75 画サイズ:縦1390*横535



葡萄の画家と言われた天龍道人の作品です。「天龍道人七十八歳筆」とあり、印象は白文朱方印「天龍道人」、「□□自在」の累印が押印されています。

 

天龍道人:日本画家。姓は王。名は瑾、子は公瑜、通称は渋川虚庵、別号に草龍子・水湖観。鷹・葡萄の画を能くした。肥前鹿島(佐賀県鹿島市)の出身。半生の詳細は明らかでないが19歳の時に京に出て、絵画と医術を習い、京では勤皇の活動をしていた。44歳の時温泉と風向明媚な信州諏訪湖の近くに住み着いた。54歳のころから絵に専念し、74歳の頃からは諏訪湖が天龍川の水源であることにちなんで「天龍道人」と号した。50歳代から死去する93歳までの後半生、画歴の詳細は明らかでないが、確認される作品は50歳代以降の後半生、信州で制作したもので、鷹と蒲萄を題材とした作品を得意とした。天龍道人は諏訪に来てからは、渋川虚庵と称していた。龍道人は鷹と葡萄の画家とも言われる様に、葡萄の絵はかなり多い。文化7年(1810)歿、93才。



このような墨一色の絵は伊藤若冲などが思い起こしますが、天龍道人もわたしは負けず劣らず評価していい画家だと思っています。



最近になってようやく下のような資料が入手できました。



本作品は清新な佳作であるといえます。



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