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帰郷する際は秋田市経由で帰りました。大館駅では秋田犬の「あっこちゃん」がお見送り・・・。
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小生も子供の頃、父が飼っていた「シロ」という真っ白な秋田犬と遊びました。全国品評会で銅賞になったこともある秋田犬でした。
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いきなり顔をぺろり・・・、亡くなった妻と同じ名前の秋田犬・・・。
秋田市では保戸野窯の平野庫太郎氏を訪ねてきました。ここでも骨董品との新たな出会いがありました。刀剣に掛け軸、鼈甲など・・。息子には秋田犬を形づくった作品を戴きました。
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秋田駅にて銘菓の金萬の売り場の近くで平野庫太郎氏作の「秋田犬」を発見!
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旅にはいろんな縁があるものです。
さて本日は贋作があまりに多いので最近は距離をおいている釧雲泉の作品ですが、インターネットオークション上に不鮮明な写真にて出品されていたので、参考作品として入札してみたら1000円で落札してしまった作品です。
寛政壬子山水図 その2 釧雲泉筆 その19(贋作を除外した整理NO)
紙本水墨淡彩軸装 軸先木製 合箱
全体サイズ:縦1968*横567 画サイズ:縦1780*横459
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この作品と同図の作品が存在することは知っていました。その作品が左図であり、インターネット上に紹介されている作品で、右が今回入手した作品です。
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本作品の賛には「寛政壬子后二月念三日酔作於葵邱之緑筠居席間 岱就 押印」とあり、1792年(寛政4年)の作と思われます。同図の作品の賛は説明によるとですが、「(寛政)壬子后二月念三日酔作於癸邸之緑居席間 吉備岱就 押印」と思われます。同図の印章は不詳です。
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つまり比較すると
本作品の賛:「寛政 壬子后二月念三日酔作 於葵邱之緑筠居席間 岱就 押印」
同図の賛 :「(寛政?)壬子后二月念三日酔作 於癸邸之緑 居席間 吉備岱就 押印」
となるようです。
違いは構図に若干の違いはあるものの構図はほぼ一緒で、賛の「筠」と落款の上の「吉備」の有無と遊印の有無が違う程度です。
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印章は違う印章が押印されているように推察されます。落款には「岱就(たいしゅう)」と記されており、この落款は寛政4年頃(1792年)の作品に多く、両作品共々、この時期の作品に散見される独特の絵の激しいタッチが全面に出ています。
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「酔」とあり、酔って描いた作品が複数あるものでしょうか? どちらかが贋作の可能性があるものか、釧雲泉という画家は複数同図の作品を描いていたということなのか・・・。
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釧雲泉の作品はこの寛政年間の若い頃の作品が評価が高く、重苦しい感のあるその後の作品より人気があります。
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筆致は実に軽快で、浦上玉堂や池大雅と比較しても劣らぬ趣があります。
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墨の滲みからみずみずしい作品に仕上がっています。表具も時代を感じさせますが、再表具の必要は無く、箱は書付のない合箱です。
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模写した贋作と推測もありますが、贔屓目かもしれませんが、出来、賛の書体から同時に描かれた真作の可能性がある作品と思っています。
通常の判断では本作品を模写による贋作と断定しますが、南画を今まで蒐集してきた経験からそういう贋作とはどうも違うのではないかという思いです。
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これまでの釧雲泉の作品をみてきていると、単に贋作と片付けられない作品が同じ構図で存在することが多く、釧雲泉は同時に同じ構図の作品をいくつか描ていた画家のように思われます。
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たしかに真作を臨写できる状況にあった画家が模写していたとも考えられますが。ただ、時代をまたいでの作品がいくつか存在するので、そうも断定できないようです。
釧雲泉には数多くの稚拙な贋作が存在するので、釧雲泉というと贋作という疑惑の先入観があるため複数存在する同図の作品を現在でも評価していないのかもしれません。
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小生からは良くみると同図の作品より本作品のほうが出来が良いのではとも思えます。
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骨董の世界は魑魅魍魎たる世界で一筋縄ではいかないものです。
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浅学の小生がとやかくいう問題ではありませんが、南画の人気が廃れた現代では釧雲泉の作品においても真贋を騒ぐほどのことの価値がないのも事実です。
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さて南画ファンの読者の皆さんはどう思われますでしょうか?
本日早朝より九州へ出張です。九州から広島、大阪、四国へ・・・。
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小生も子供の頃、父が飼っていた「シロ」という真っ白な秋田犬と遊びました。全国品評会で銅賞になったこともある秋田犬でした。
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いきなり顔をぺろり・・・、亡くなった妻と同じ名前の秋田犬・・・。
秋田市では保戸野窯の平野庫太郎氏を訪ねてきました。ここでも骨董品との新たな出会いがありました。刀剣に掛け軸、鼈甲など・・。息子には秋田犬を形づくった作品を戴きました。
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秋田駅にて銘菓の金萬の売り場の近くで平野庫太郎氏作の「秋田犬」を発見!
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旅にはいろんな縁があるものです。
さて本日は贋作があまりに多いので最近は距離をおいている釧雲泉の作品ですが、インターネットオークション上に不鮮明な写真にて出品されていたので、参考作品として入札してみたら1000円で落札してしまった作品です。
寛政壬子山水図 その2 釧雲泉筆 その19(贋作を除外した整理NO)
紙本水墨淡彩軸装 軸先木製 合箱
全体サイズ:縦1968*横567 画サイズ:縦1780*横459
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この作品と同図の作品が存在することは知っていました。その作品が左図であり、インターネット上に紹介されている作品で、右が今回入手した作品です。
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本作品の賛には「寛政壬子后二月念三日酔作於葵邱之緑筠居席間 岱就 押印」とあり、1792年(寛政4年)の作と思われます。同図の作品の賛は説明によるとですが、「(寛政)壬子后二月念三日酔作於癸邸之緑居席間 吉備岱就 押印」と思われます。同図の印章は不詳です。
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つまり比較すると
本作品の賛:「寛政 壬子后二月念三日酔作 於葵邱之緑筠居席間 岱就 押印」
同図の賛 :「(寛政?)壬子后二月念三日酔作 於癸邸之緑 居席間 吉備岱就 押印」
となるようです。
違いは構図に若干の違いはあるものの構図はほぼ一緒で、賛の「筠」と落款の上の「吉備」の有無と遊印の有無が違う程度です。
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印章は違う印章が押印されているように推察されます。落款には「岱就(たいしゅう)」と記されており、この落款は寛政4年頃(1792年)の作品に多く、両作品共々、この時期の作品に散見される独特の絵の激しいタッチが全面に出ています。
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「酔」とあり、酔って描いた作品が複数あるものでしょうか? どちらかが贋作の可能性があるものか、釧雲泉という画家は複数同図の作品を描いていたということなのか・・・。
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釧雲泉の作品はこの寛政年間の若い頃の作品が評価が高く、重苦しい感のあるその後の作品より人気があります。
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筆致は実に軽快で、浦上玉堂や池大雅と比較しても劣らぬ趣があります。
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墨の滲みからみずみずしい作品に仕上がっています。表具も時代を感じさせますが、再表具の必要は無く、箱は書付のない合箱です。
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模写した贋作と推測もありますが、贔屓目かもしれませんが、出来、賛の書体から同時に描かれた真作の可能性がある作品と思っています。
通常の判断では本作品を模写による贋作と断定しますが、南画を今まで蒐集してきた経験からそういう贋作とはどうも違うのではないかという思いです。
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これまでの釧雲泉の作品をみてきていると、単に贋作と片付けられない作品が同じ構図で存在することが多く、釧雲泉は同時に同じ構図の作品をいくつか描ていた画家のように思われます。
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たしかに真作を臨写できる状況にあった画家が模写していたとも考えられますが。ただ、時代をまたいでの作品がいくつか存在するので、そうも断定できないようです。
釧雲泉には数多くの稚拙な贋作が存在するので、釧雲泉というと贋作という疑惑の先入観があるため複数存在する同図の作品を現在でも評価していないのかもしれません。
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小生からは良くみると同図の作品より本作品のほうが出来が良いのではとも思えます。
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骨董の世界は魑魅魍魎たる世界で一筋縄ではいかないものです。
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浅学の小生がとやかくいう問題ではありませんが、南画の人気が廃れた現代では釧雲泉の作品においても真贋を騒ぐほどのことの価値がないのも事実です。
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さて南画ファンの読者の皆さんはどう思われますでしょうか?
本日早朝より九州へ出張です。九州から広島、大阪、四国へ・・・。
この同じ日に同じ構図で描かれている縦長の山水図は、どれも雲泉の筆による物と思います。
江戸時代に盛んに開かれた書画会での、求めに応じて即興での席画会での作品なんだと思います。
私が図録等で確認したり、こちらの記事の2作品も加えますと、同じ構図の作品を6作品確認しています。(うち、2作品は売立目録での確認なので、現存しているかは分かりません。)
それを考えると、書画会に参加された恐らく岡山地方の方々が、それらの作品を大事に持ち帰って、戦災にも焼けずに平成の世にまで残っている訳で、凄いことだなあと思われます。
そうですか、この構図で6作品もあるのですか。しかも酔っていてほぼ同じ構図で描く・・・、ちょっと釧雲泉の作品群について考え直す必要があるのかもしれませんね。
たしかにこのような作品が長く遺っていることには先人達に我々は感謝すべきなのでしょうね。