夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

氏素性の解らぬ作品 伝古萩(松本萩)御本写茶碗

2020-03-09 00:01:00 | 陶磁器
息子は今年から小学校ですが、椅子が小さくなってきたので新たな椅子を家内が購入したようです。むろん組み立ては自分で・・。



パパさんが工具にていろんなことをしているので、自然に覚えたようです。息子のものづくり?での真剣な眼は小生は大好きです。



にっこりとして完成・・・・、勉強部屋はまだ先。ものづくりは完成の喜びと使う愉しみがありますが、実はいつまで満足したものができないという怖い深みがある・・・・



息子の学習塾(もっぱら遊びにようなもの)は英語のみ。家での勉強・・・、写真は図形問題? ときおり家内となんかしらの問題と取り組んでいますが、現在は家内と金銭勘定を勉強中らしい。これが意外に苦手?? まずい

ただ負けず嫌いで解るまでやると頑張る、さすがに血は争えない



さて今までに本ブログにて萩焼の作品を投稿したのは数点のみかもしれません。本ブログには「鬼萩手?」、「吉賀大眉作 茶碗」、「一三代三輪休雪作 杓立」が検索するとありましたが、基本的に「萩焼」の作品は少ないようです。

近代から現代までの数人の陶工以外の作品は萩焼に当方ではあまり魅力が感じていないというのが正直な理由です。「古萩」と称される茶碗にも優品は少ないと思っています。

なお時代の古い「古萩茶碗」と称される作品は基本的に高麗茶碗や井戸茶碗の写しを目指した作風となっており、膚、竹節高台、割高台、目跡など井戸茶碗や高麗茶碗にとても似た造りや釉薬となっています。これらを井戸茶碗、高麗茶碗と称すると贋作と言われることがありますが、古来日本の多くの作品が高麗や井戸を志向したので、土が違うからと贋作扱いすることには慎重を期す必要があるでしょう。

鑑識眼のない骨董屋では高麗茶碗の鑑定に「土が違うから偽物だよ。」という方がいますが、それは日本でも高麗や井戸茶碗を志向していたので、真贋だけをみていて、茶碗としての美を観ていない傾向があり得るので「本来の鑑識眼」ではない可能性があります。

伝古萩(松本萩)御本写茶碗
合箱
口径140*高さ90*高台径



ちなみに「萩焼」と呼ばれるようになったのは実は明治時代以降で江戸期には松本焼、深川萩と呼ばれていたようです。「古萩」とは初期の萩焼を指します。



萩焼は大阪に来ていた朝鮮の陶工・李勺光を、豊臣秀吉が毛利輝元に預けたことに始まります。毛利家はその後、長州・萩に改易されたので、李勺光もこれに従って萩に移り、城下の松本村字中ノ倉に開窯します。その後、弟李敬を朝鮮から呼び寄せ協力し萩焼の原点を作りました。

なお李敬は帰化して初め坂倉の姓を名乗りましたが、後に坂の姓に改め、寛永二年に毛利家から「高麗左衛門」の日本名を賜わり、藩の御抱窯として代々この名前を世襲して現在に及んでいます。現在の坂倉の窯の発祥ですね。

毛利家では長府藩初代藩主毛利秀元が優れた茶の才能を持ち、長州本藩主毛利秀就の後見役を務め、武将としては剛勇の誉れ高く、古田織部の高弟でもあり、名だたる茶人大名でした。徳川家光の御伽衆に加えられ、1640年には品川御殿に徳川家光以下幕閣諸大名を招いて大茶会を催しています。初期萩焼に見受けられる作風はその毛利秀元の茶人としての指向、影響が深く関係していたと考えられています。



萩焼は和物焼窯のなかで最も朝鮮茶碗に近い風貌を持ち、使い込むうちに風景が変化に富んだ渋い色彩、茶味を持ちはじめる俗に「萩の七化け」と称されています。全体の色彩は主に淡い琵琶色や乳白色の色彩です。日本の茶道の美意識を最も端的に表現した焼物であるとされ、古来から慧眼の茶人達に愛玩されてきましたが、「真に質が高く品位ある古萩茶碗は少ないとされます。」と文献に記述があります。



本歌の朝鮮茶碗に比べて和みのある佇まい、柔い雰囲気も特徴でしょう。ぼそっとしたやわらかい土がいわゆる古萩と言われるもので、このあと1700年代に入るとよりきめの細かな土で焼かれるようになります。 一般的にはそれ以前のぼそっとした土のものを古萩と分類するようです。



前述のように古萩茶碗は基本的に高麗茶碗や井戸茶碗の写しを目指したような作風となり、膚、竹節高台、割高台、目跡など井戸茶碗にとても似た造りとなっています。



本作品も兜巾上の高台内高台の形状が三日月状となり、肌は雨漏りを醸し出し、見込み内には目跡があります。造りは李朝に、作風は高麗茶碗になっているのでしょう。



本作品の茶碗は高麗の御本茶碗の写しであると思われます。このような作風や釉薬は古来の見所を盛り込んだために嫌味になることが多いのですが、当方はこの作品は嫌いではありません。

気取った茶碗より野武士のような荒々しさが好きです。逆にながらく李朝の井戸茶碗や高麗茶碗を至高としている現在の趣向にはうんざりしているところです。李朝にも高麗にも出来の悪い作品は多い、というより出来の良い作品は萩焼と同じく数が少ないと思います。さも金繕いして「いいでしょう。」という凡作の李朝の作品にはどこか抵抗があります。



変わった仕覆を誂えました。「瓢箪から駒」・・・?? 箱もみすぼらしく、使い込んだ茶碗・・。



当方のようなサラリーマンにとって、茶碗の氏素性はどうでもいいもの、仕込むのはこちら、人も骨董も同じようところがあるようです。

*仕覆は本来は古裂などがいいのでしょうが、凝ると時間と費用が当方では許しません。これは専門屋のやること・・・

本作品と比較するのもおこがましいのですが、「古萩」の名品には下記の作品らがあるようです。

参考作品
萩茶碗 銘「普賢」 
江戸前期 正木美術館蔵 



古萩茶碗
二代坂高麗左衛門作



贋作を恐れては骨董蒐集は無理、常に挑戦あるのみ。はてさて古萩か写しかは神のみぞ知る、ただ必ずいつか神のお告げがあるはず・・・



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