夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

緑風 福田豊四郎筆 昭和18年(1943年)頃

2020-03-05 00:01:00 | 掛け軸
来週には勤め先の事務所が移転するため、引っ越しの準備で仕事場は大わらわ。引っ越し先では氏子が変わるため、そのような中でも神棚への10年間の感謝の儀式。赤坂の日枝神社から神主さんに来ていただいてお祓いです。最後に日枝神社で蔵する月岡芳年の絵馬(重要文化財らしい)の写しの絵馬を神主さんからいただきました。なにかと蒐集品の画家と縁のある日々です。

さて初釜に際して幾つか使用するために取り出した自分で作った皿の器を並べてみました。作品というのはおこがましいので器ですが、30代から40代にかけて作った思い出深い作品です。

中央と右の作品は友人の平野庫太郎氏の秋田市の保戸野窯で製作し、左の作品は盛岡の木村氏の南部窯で製作したものです。中央の作品は平野先生の家の庭に生えていた蕗の葉を採って、皿の上に載せて吹き墨のようにして文様にしたもの・・。

先生の指導や窯のおかげでまとも?そうな作品になっていますが、素人の作品はなかなか紹介するのも恥ずかしいものです。でもその時に関連した人々、とくに故人を偲ぶことが多いなど各々思い出深いの作品です。自分で作ったモノは遺る、思い出と共に・・・、そこは骨董品とは違うところかもしれません。



本日は父の友人であった福田豊四郎の作品の紹介ですが、父は福田豊四郎から絵を習っており、福田豊四郎の筆が入った父の作品も遺っています。父と息子、絵と陶磁器の違いはあれど、同じような道を辿っているのかもしれません。

趣味がないという人が多いけれど、それは人生の楽しみをひとつ失っているのかもしれませんよ。とくにモノづくりに関わるのは大切だと思います。



本日紹介するような戦前・戦中の福田豊四郎の作品は数がそれほど多く遺っていませんが、福田豊四郎が戦後著名になるに従い、戦後には当時の贋作が出ていることもあり、ある程度の真贋の判断には注意を要する頃の作品群でしょう。

緑風 福田豊四郎筆 昭和18年(1943年)頃
紙絹本着色額装 軸先象牙 共箱
全体サイズ:縦1460*横670 画サイズ:縦445*520



一見すると福田豊四郎の作品と判断するには躊躇する作品ですが、当方では真作と判断しました。もともと純粋な花鳥画は描いた作品が少ない福田豊四郎ですが、とくに鳥を描いた作品は少ないでしょう。



どこか漫画チックな作行ですが、それが福田豊四郎の持ち味でもあります。



昭和13年から翌年にかけ、陸軍従軍画家として中支・北支を巡歴し、翌14年1月帰国しています。さらに、同17年4月4日から9月3日まで、陸軍従軍画家として東南アジアを巡ぐっています。昭和20年2月には、秋田県由利郡に疎開し、翌21年2月東京に戻り、本格的に画業に専念しています。



この作品は落款などから戦時中の作と推察されますが、この頃の作品は落款の書体が変遷する頃と思われ、この書体の作品は少ないと推察しています。

なにしろ戦時中であり、上記のように福田豊四郎自身が画家として戦地に赴いており、現在遺っている作品は少ないこともあり、判断は難しくなります。押印されている印章は数多く押印されている印章です。

*他の所蔵作品(ブログで紹介投稿されています)「秋海棠」(下右)の落款と印章の比較 



「秋海棠」らの作品と描いた時期は同時期でしょう。終戦直後からは落款の正体は洗練された書体となります。共箱に押印されていないのは何らかの理由があるのでしょうが、詳細は不明です。



本ブログで紹介した福田豊四郎の作品は100作品を超えました。むろん大きな作品などはありませんが、未だにじっくりと整理できていないので、時間があればよく吟味して作品を整理したいものです。




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