なにごとも息子には体験が大切・・、ちまちましたおもちゃよりデカイものがいい! おっと!ヘルメット着用を忘れています。
小生の職業柄、これらは小生には身近な機械です。高所作業者で上まで! もろんヘルメットに安全帯を着用させております。高いところは意外に大丈夫なようです。
大きなおもちゃの次は本日の作品は郷土玩具を描いた作品です。郷土出身の画家、伊勢正義が描いた作品です。
郷土玩具 伊勢正義画 その10
油彩額装 左下サイン
画サイズF4号:横*縦 全体サイズ:横*縦
1941年(昭和16年)12月13日、34歳の時の作品。
昭和16年12月13日というとその5日前の12月8日に日本軍のマレー半島上陸および真珠湾攻撃で太平洋戦争が開戦しています。
日本、対米英宣戦布告であり、なおアメリカでは12月7日を開戦日としています。12月12日 には日本政府は「支那事変(日中戦争)」も含めて戦争名称を『大東亜戦争』と決定しています。このような時期に郷土玩具の「馬」を伊勢正義が描いているのは、なにか意味があるのでしょうか?
我が家にもこの玩具類は母が集めてものなどが「男の隠れ家」に飾られています。実家が木材業であったこともあり、母の時代は馬橇を引く馬を大切にしていたようです。
現代はトミカで販売されているプラスチックの玩具が主流ですが、昔の玩具には手作り感が溢れていますね。
昔の玩具の中に大人たちの願いが込めらえています。
戦争が始まる最中、伊勢正義はどのような思いでこの作品を描いたのだろうかと改めて思いを馳せています。
郷里出身の伊勢正義の作品ですので、東北地方の郷里の玩具だろうと考えて描かれている玩具について調べてみました。
八幡駒(日本三駒):青森県八戸市郊外の櫛引八幡宮の例大祭で売られてきた木馬。例祭では一騎一射の掟で流鏑馬が奉納されたがこのときの姿にちなんで一鉋一鑿(いちかんないちのみ)の木馬を作ったのが始まりとされ、馬市で売られていく愛馬の無事を祈って木馬を買って帰ったといわれています。
木下駒(日本三駒):宮城県仙台市。黒地に赤・緑・白で彩色した木馬この地方は馬の産地として知られ、国分寺木下薬師の境内で馬市があり良馬を選び朝廷に献上する慣わしがあった。その献上馬が京都に上がる時に胸に下げた馬形から考えられたといわれる。それを真似て作られた木馬が木下薬師や竹駒神社の祭礼や初午祭りの露天で売られる様になったそうです。
三春駒(日本三駒):福島県郡山市西田町高柴産。馬の産地として知られた三春産の馬のことでそれを模った木馬。直線を生かした形の飾り馬で花模様の胸掛とシュロのたてがみと尾をつけたくましい状態を表現しています。
弘前馬コ:弘前市和徳。子供の木馬のルーツといわれかつては大きな馬を車のついた台車に載せて馬に子供を乗せひいたといわれる。平成6年廃絶しています。
チャグチャグ馬コ:岩手県盛岡市。チャグチャグ馬コ祭りにちなんだ馬玩具。藩主南部利直が馬産を奨励し優良馬を産出した。端午の節句の安息日が将軍家の馬揃えともかさなり、愛馬に鈴や美装を施し蒼前神社に参詣し、馬の息災延命を祈念したものから始まっています。馬の首に付けた鈴がチャグチャグと鳴る事にちなみ馬の晴れ姿を玩具化した作品です。
馬を神聖なる象徴、馬の息災を願っての作品が多いようです。戦争が始まり、せわしい時勢に逆らうかのようなのんびりした作品ですが、ここになんらかの画家の願いがあったのかもしれません。
ま~、人形など玩具を良く描く画家ですからたいした意味がないかもしれませんが・・・
展示室では明治の頃の柱時計と一緒に展示しています。
古き良き時代まで時間がスリップしているような錯覚に陥ります。子供にはいろんなもので遊ばせたい・・・。
小生の職業柄、これらは小生には身近な機械です。高所作業者で上まで! もろんヘルメットに安全帯を着用させております。高いところは意外に大丈夫なようです。
大きなおもちゃの次は本日の作品は郷土玩具を描いた作品です。郷土出身の画家、伊勢正義が描いた作品です。
郷土玩具 伊勢正義画 その10
油彩額装 左下サイン
画サイズF4号:横*縦 全体サイズ:横*縦
1941年(昭和16年)12月13日、34歳の時の作品。
昭和16年12月13日というとその5日前の12月8日に日本軍のマレー半島上陸および真珠湾攻撃で太平洋戦争が開戦しています。
日本、対米英宣戦布告であり、なおアメリカでは12月7日を開戦日としています。12月12日 には日本政府は「支那事変(日中戦争)」も含めて戦争名称を『大東亜戦争』と決定しています。このような時期に郷土玩具の「馬」を伊勢正義が描いているのは、なにか意味があるのでしょうか?
我が家にもこの玩具類は母が集めてものなどが「男の隠れ家」に飾られています。実家が木材業であったこともあり、母の時代は馬橇を引く馬を大切にしていたようです。
現代はトミカで販売されているプラスチックの玩具が主流ですが、昔の玩具には手作り感が溢れていますね。
昔の玩具の中に大人たちの願いが込めらえています。
戦争が始まる最中、伊勢正義はどのような思いでこの作品を描いたのだろうかと改めて思いを馳せています。
郷里出身の伊勢正義の作品ですので、東北地方の郷里の玩具だろうと考えて描かれている玩具について調べてみました。
八幡駒(日本三駒):青森県八戸市郊外の櫛引八幡宮の例大祭で売られてきた木馬。例祭では一騎一射の掟で流鏑馬が奉納されたがこのときの姿にちなんで一鉋一鑿(いちかんないちのみ)の木馬を作ったのが始まりとされ、馬市で売られていく愛馬の無事を祈って木馬を買って帰ったといわれています。
木下駒(日本三駒):宮城県仙台市。黒地に赤・緑・白で彩色した木馬この地方は馬の産地として知られ、国分寺木下薬師の境内で馬市があり良馬を選び朝廷に献上する慣わしがあった。その献上馬が京都に上がる時に胸に下げた馬形から考えられたといわれる。それを真似て作られた木馬が木下薬師や竹駒神社の祭礼や初午祭りの露天で売られる様になったそうです。
三春駒(日本三駒):福島県郡山市西田町高柴産。馬の産地として知られた三春産の馬のことでそれを模った木馬。直線を生かした形の飾り馬で花模様の胸掛とシュロのたてがみと尾をつけたくましい状態を表現しています。
弘前馬コ:弘前市和徳。子供の木馬のルーツといわれかつては大きな馬を車のついた台車に載せて馬に子供を乗せひいたといわれる。平成6年廃絶しています。
チャグチャグ馬コ:岩手県盛岡市。チャグチャグ馬コ祭りにちなんだ馬玩具。藩主南部利直が馬産を奨励し優良馬を産出した。端午の節句の安息日が将軍家の馬揃えともかさなり、愛馬に鈴や美装を施し蒼前神社に参詣し、馬の息災延命を祈念したものから始まっています。馬の首に付けた鈴がチャグチャグと鳴る事にちなみ馬の晴れ姿を玩具化した作品です。
馬を神聖なる象徴、馬の息災を願っての作品が多いようです。戦争が始まり、せわしい時勢に逆らうかのようなのんびりした作品ですが、ここになんらかの画家の願いがあったのかもしれません。
ま~、人形など玩具を良く描く画家ですからたいした意味がないかもしれませんが・・・
展示室では明治の頃の柱時計と一緒に展示しています。
古き良き時代まで時間がスリップしているような錯覚に陥ります。子供にはいろんなもので遊ばせたい・・・。