夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

忘れ去られた画家ーその17 山水図 佐竹永海筆

2011-08-02 05:46:37 | 掛け軸
ブログというものは一つの日誌のようなものという認識がある一方で、私としては資料が整理されいく手立てとして非常にちょうど良いものです。さらには何人の人々が読まれているのかが解ることがいいです。現在は約200名が固定されて読まれているようです。ブログの登録件数?が毎日約160万件ある中で大体6000番目・・・多いのやら少ないのやらよくわかりません。

昨日、同僚が一人急死したとのこと・・、大学の同期でもあり出身の郷里も近いこともあり驚きました。

彦根藩の御用絵師・・息子たちも画家です。彼らが職人絵師の域を超えられなったのはやむえないでしょう。すべての画が明治期まで先進性がないというのではありませんが、日本画が革命を迎えるにはやはり明治維新を迎えなくてなりません。

山水図 佐竹永海
紙本水墨淡彩 軸装合箱紙タトウ 軸先木製
全体サイズ:縦1770*横395 画サイズ:縦977*横278



仙台の骨董市からの購入品で、箱、栞を作成し、痛みがひどいため表具を新装しています。改装したなら、驚くほど見事な作品となりました。



印章、落款、出来から真作と判断できます。本図には、眼下に広がる海、もしくは琵琶湖を描いた作品と考察されます。




佐竹永海:享和3年~明治7年12月(1803-1874)。幕末の彦根藩御用絵師。会津若松出身。父、会津藩御用絵師。号、周村・愛雪・九成堂。はじめ萩原盤山に、のち谷文晁に師事。

彦根藩井伊直弼の御用絵師となる。弟子には松本楓湖がいる。72歳。墓は、谷中霊園甲9号14側。子ら佐竹永湖、佐竹永陵の墓もある。多くの永海作品には、なるほど師の画風の影響が色濃く反映されています。文晁が多様な画派の折衷様式をとったように、永海も、南宋画と北宋画の画風を折衷した山水図や、南蘋風の色鮮やかな花卉図などを手がけており、師の採り入れた画風を確実に継承しているさまがうかがえます。その一方で、文晁の影響から一歩踏み出した作品も確認できます。

永海は、天保九年(一八三八)、十二代藩主直亮(なおあき)のときに井伊(いい)家に召し抱えられました。ときに三十六歳。同家の庇護のもと、永海は、法橋(ほっきょう)、法眼(ほうげん)という位に叙せられ、彦根の下屋敷である槻御殿(けやきごてん)の障壁画を描いたり、多賀社に絵馬を奉納するなど、精力的な活動を行っています。


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