根強いファンをもつ李朝の陶磁器ですが、いい作品はお値段も高いようです。一時期、かなり人気があったこともあり、李朝についての書物も多いと聞いています。李朝を集めだすと李朝だけで大概の方は資金を使い果たすことになりかねないと思われます。小生としてもそうそう簡単にサラリーマンの身では手を出せないので、近代の作品や小品を入手して少しづつ知識を吸収して勉強しているというレベルです。
本日の作品は人気のある「白磁提灯壺」とありますが、李朝の作品には詳しくないので「倣」李朝としての作品の紹介ですのでご了解ください。
倣李朝 白磁提灯壷
合箱入
口径*胴径250*底径*高さ325
本作品は時代の新しい(李朝末期から近代にかけて?)提灯壺と推定しています。(詳しくありませんのでご了解願います。)
「李朝 白磁提灯壺」は提灯に似た形からこう呼ばれたらしいと記述があります。日本?では満月壷とも呼ばれ。色は真っ白というより、少々黄味や青味を帯びている作品が多いようですが、白磁に分類されています。
李朝は白磁がメインでありますが、提灯壺に限らず李朝の頃の作品は度重なる戦火により、そのほとんどが割れてしまい現存する物は極めて少ないとも言われています。思いのほか数は多いですが、厳選された景色や形の良いものは少ないとも言われています。
日本人の骨董ファンは「信楽と李朝で死ねる」と言われているほどファンが多いと言われています、小生はそれに備前を加えるべきだろうと思っていますが、現在も人気の高い分、李朝の作品は小生にとっては高嶺の花です。
「李朝 白磁提灯壺」の特徴としては、口縁は外側に立っており、高台には砂の跡があるのが多く、周囲に比して高台に中は深いということがあります。さらに胴の中央に接合した跡として上下を合わせた継ぎ目が内側に見えることのある作品もあり、釉薬は色ムラがある作品が多く、とくに粉引のような作品の肌合いの作品が高い評価を受けているとのこと。
本作品においては接合した跡は明確ではなく、釉薬に色ムラは目立ってはありません。
なお李朝の後期になると胎土や釉薬を精選しないことにより、肌はやや青みを帯びるようになり、わずかなひずみや歪みなどは全く気にしなくなってしまったそうです。
李朝の陶磁器の概念は下記の記事によります。
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李朝:1392年に李成桂が樹立した朝鮮王朝は、儒教を統治理念とし、その後500年の長きに渡り栄華を誇った。この朝鮮王朝で最も好まれた焼物が白磁である。その理由は白磁特有の気品溢れる白が、清廉潔白・質素倹約を旨とする儒教思想に相通じるからであった。
当初、主に作られたのは、国王が用いるための器でいわゆる御器であった。そのため胎土は、民間では使えぬよう厳しく管理された。まだ中国での白磁の影響を色濃く受けており、胎土の精選・形の端整さ・釉薬の美しさ・仕上げの丁寧さなど全てにおいて最高のものを目指そうとした製作態度が伺える。
しかし17世紀の中頃に儒教が一般に広く普及し、その儀式に用いられる祭器が数多く作られるようになると、それに従い美的基準も変化した。胎土や釉薬を精選しないことにより、肌はやや青みを帯びるようになり、わずかなひずみや歪みなどは全く気にしなくなってしまう。
施釉にムラがあってもそのままで、これはおそらく上辺を取り繕うことを嫌う儒教の潔癖性が影響しているからであろう。しかしこの不完全さこそがなによりの魅力で、今なお多くの日本人が朝鮮白磁を好むのもこの理由による。
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李朝の時代のよって提灯壺に特徴があるのであろうか? ちょっとなんでも鑑定団の情報局の作品の記事から抜粋してみました。下記の分類が正しいかどうかは小生には分かりませんが、本物というものは下記のような作品のようです。
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李朝中期の提灯壺:16世紀後半から17世紀にかけて作られた朝鮮王朝時代中期の白磁壺の特徴に口造りがある。内側に斜めに削られてくの字形に折れている。外からみると壺の大きさに比べて口造りが低い。
*李朝中期の作品は非常に評価が高く、時代の下がった作品に比して価格が桁が違うとと聞いたことがあります。
李朝後期の提灯壺:18世紀から19世紀にかけての朝鮮王朝時代後期に、広州官窯のいずれかで焼成されています。
李朝末期以降の提灯壺(なんでも鑑定団記事以外):口縁は大きく、丸みが少ない細長い造形。数万円程度での入手が可能のようです。
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本作品は口縁の立ち上げが少し大きめになっています。
本作品は李朝の堅手のような釉調であり、趣に堅い感じがしており、見どころがあるとすれば一筋の釉薬の淡い流れたところかもしれません。
定窯の涙痕のような面白みがあると感じるのは贔屓目でしょうか? いずれにしてもまだ「李朝と信楽で死ねる」という骨董の格言のような域には達していない当方の所蔵作品のひとつです。
最後にあくまでも「倣」李朝の作品としてご理解下さい。「李朝で死ぬ。」には小生はまだこの世に未練があるようです。
本日の作品は人気のある「白磁提灯壺」とありますが、李朝の作品には詳しくないので「倣」李朝としての作品の紹介ですのでご了解ください。
倣李朝 白磁提灯壷
合箱入
口径*胴径250*底径*高さ325
本作品は時代の新しい(李朝末期から近代にかけて?)提灯壺と推定しています。(詳しくありませんのでご了解願います。)
「李朝 白磁提灯壺」は提灯に似た形からこう呼ばれたらしいと記述があります。日本?では満月壷とも呼ばれ。色は真っ白というより、少々黄味や青味を帯びている作品が多いようですが、白磁に分類されています。
李朝は白磁がメインでありますが、提灯壺に限らず李朝の頃の作品は度重なる戦火により、そのほとんどが割れてしまい現存する物は極めて少ないとも言われています。思いのほか数は多いですが、厳選された景色や形の良いものは少ないとも言われています。
日本人の骨董ファンは「信楽と李朝で死ねる」と言われているほどファンが多いと言われています、小生はそれに備前を加えるべきだろうと思っていますが、現在も人気の高い分、李朝の作品は小生にとっては高嶺の花です。
「李朝 白磁提灯壺」の特徴としては、口縁は外側に立っており、高台には砂の跡があるのが多く、周囲に比して高台に中は深いということがあります。さらに胴の中央に接合した跡として上下を合わせた継ぎ目が内側に見えることのある作品もあり、釉薬は色ムラがある作品が多く、とくに粉引のような作品の肌合いの作品が高い評価を受けているとのこと。
本作品においては接合した跡は明確ではなく、釉薬に色ムラは目立ってはありません。
なお李朝の後期になると胎土や釉薬を精選しないことにより、肌はやや青みを帯びるようになり、わずかなひずみや歪みなどは全く気にしなくなってしまったそうです。
李朝の陶磁器の概念は下記の記事によります。
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李朝:1392年に李成桂が樹立した朝鮮王朝は、儒教を統治理念とし、その後500年の長きに渡り栄華を誇った。この朝鮮王朝で最も好まれた焼物が白磁である。その理由は白磁特有の気品溢れる白が、清廉潔白・質素倹約を旨とする儒教思想に相通じるからであった。
当初、主に作られたのは、国王が用いるための器でいわゆる御器であった。そのため胎土は、民間では使えぬよう厳しく管理された。まだ中国での白磁の影響を色濃く受けており、胎土の精選・形の端整さ・釉薬の美しさ・仕上げの丁寧さなど全てにおいて最高のものを目指そうとした製作態度が伺える。
しかし17世紀の中頃に儒教が一般に広く普及し、その儀式に用いられる祭器が数多く作られるようになると、それに従い美的基準も変化した。胎土や釉薬を精選しないことにより、肌はやや青みを帯びるようになり、わずかなひずみや歪みなどは全く気にしなくなってしまう。
施釉にムラがあってもそのままで、これはおそらく上辺を取り繕うことを嫌う儒教の潔癖性が影響しているからであろう。しかしこの不完全さこそがなによりの魅力で、今なお多くの日本人が朝鮮白磁を好むのもこの理由による。
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李朝の時代のよって提灯壺に特徴があるのであろうか? ちょっとなんでも鑑定団の情報局の作品の記事から抜粋してみました。下記の分類が正しいかどうかは小生には分かりませんが、本物というものは下記のような作品のようです。
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李朝中期の提灯壺:16世紀後半から17世紀にかけて作られた朝鮮王朝時代中期の白磁壺の特徴に口造りがある。内側に斜めに削られてくの字形に折れている。外からみると壺の大きさに比べて口造りが低い。
*李朝中期の作品は非常に評価が高く、時代の下がった作品に比して価格が桁が違うとと聞いたことがあります。
李朝後期の提灯壺:18世紀から19世紀にかけての朝鮮王朝時代後期に、広州官窯のいずれかで焼成されています。
李朝末期以降の提灯壺(なんでも鑑定団記事以外):口縁は大きく、丸みが少ない細長い造形。数万円程度での入手が可能のようです。
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本作品は口縁の立ち上げが少し大きめになっています。
本作品は李朝の堅手のような釉調であり、趣に堅い感じがしており、見どころがあるとすれば一筋の釉薬の淡い流れたところかもしれません。
定窯の涙痕のような面白みがあると感じるのは贔屓目でしょうか? いずれにしてもまだ「李朝と信楽で死ねる」という骨董の格言のような域には達していない当方の所蔵作品のひとつです。
最後にあくまでも「倣」李朝の作品としてご理解下さい。「李朝で死ぬ。」には小生はまだこの世に未練があるようです。