
本日は久方ぶりに釧雲泉の作品の紹介です。あまり知られていない釧雲泉ですが、江戸後期の田能村竹田や高橋草坪に並ぶ人気のある南画家ですね。
文化年間浅絳山水図 釧雲泉筆 文化2年(1805年)頃
紙本水墨淡彩軸装 軸先木製 合箱
全体サイズ:縦1955*横670 画サイズ:縦1315*横525



本作品の落款と印章から、文化2年(1805)46歳のとき、大窪詩仏とともに信越に旅をし、その途次各地で画の依頼を受けるなど歓迎され、越後三条(新潟県三条市 )にしばらく滞在していた頃のようです。分類上は文化期の作風のようです。

寛政や享和時期に比して、文化年間の作は一般的に重苦しい雰囲気の作品が多いとされていますが、この作風もそれに該当しているようです。

釧雲泉は酒をたしなみ、茶を好み、潔癖な性格であったとされ、料理、洗濯は自ら行ったようです。気性は几帳面である反面、はなはだ気むずかしく気に入らない客人とは口もきかなかったり、不快な言があると筆を投げ、杯を投げつけすぐに帰らせたと言う逸話もあります。ただし、金品のために絵を描くことはなく、旅と孤独をこよなく愛し、超俗の画人として生涯を送ったとされます。。

印章の検証は下記写真のようですが、反論はあろうかと思いますが、これは他の所蔵作品と比して逆に資料(下記写真右)のほうが違和感があるように思えます。印の経年による擦れのようなものでしょう。


素人感覚で釧雲泉のように真贋の判断の難しい作品を蒐集していますが、徐々にですが、判断の基となる資料と知見が集まりつつあるようです。否、まだまだかな?? ともかく明らかに変な作品は入手しなくなり、釧雲泉の作品は継続的に蒐集が続いています。

継続は力なり・・・・???。