夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

初期の頃の作 立美人図 (その2) 星野(岡本)更園筆 その3

2023-03-03 00:01:00 | 掛け軸
ものを作ったり、実験するのがどうも好きそうな息子。習い事?もプログラミング、eスポーツにサイエンス・・ほとんど遊びかな?  欲しがるもの、買ってあげるものには自然に工作ものが多くなるようです。

頻繁には買ってあげられませんが今回はメガパンチ! 同様のダンボール用紙での組み立てでは金庫なるものもあります。



なかなかの優れものでマジックハンドのように動かせる・・・。互いに「良い子、良い子」するとこうなる・・・、手の大きさが逆転。



さて本日は「桃の節句」ということもあり、女流画家の作品の紹介です。

紹介する星野(岡本)更園という画家は今では忘れ去られた画家と称していいのでしょう。知っている方はほとんどいないと思われる大正期の女流画家です。

*なおこの作品で当方のブログでは3作品目の紹介となります。

初期の頃の作 立美人図 (その2) 星野(岡本)更園筆 その3
絹本着色軸装 軸先骨 合箱 
全体サイズ:縦2025*横455 画サイズ:縦1142*横398

 

改めてまして岡本更園の画歴は下記の通りです。

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岡本更園(おかもと こうえん):日本画家。明治28年(1895)兵庫県生。本名は延子。姓は岡本の他に星野・大江。最初は義兄・岡本大更の更彩画塾で学び、後に鏑木清方や西山翠嶂に師事する。新聞・雑誌の挿絵も担当した。大阪女流画壇の中心人物として美人画を得意とした。島成園や生田花朝女らと親交があった。歿年未詳。大正14年(1925年)1月に木谷千種、星野更園、三露千鈴らを会員、日本画家北野恒富、菊池契月らを顧問とする「向日会」を結成。

下記の義兄にあたる「岡本大更」の画集には岡本更園の記事が掲載されています。



記事にあるように更園は3つの姓を名乗っています。

岡本更園:姉の嫁ぎ先と住み込んだ画塾の姓
星野更園:実家
大江更園:嫁ぎ先か親戚 (義兄の岡本大更が姉の亡き後に再婚しているので「岡本」姓が名乗りにくくなったためか?)



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義兄で師となった岡本大更という画家は本ブログにても幾点かの作品を紹介していますし、それなりに名の売れた画家ですね。

本作品は落款の書体から初期の頃、20代の作品ではないかと推測しています。



印章は他の所蔵作品と同じものです。まだ稚拙な技術ながら大正期の女流画家の画風が伝わってきます。



顔の部分からの品格のある作品となっています。



当方のブログでは大正期の女流画家の作品として、木谷千種、島成園、上村松園、九条武子らの作品を紹介していますが、共通して機軸にあるのは絵の品格の高さです。


更園の作品は市場ではなかなか見かけません。あっても数万円という廉価で入手できるものばかりです。知っている方がいないのとまた意外に市場に出回る作品は凡作が多いように感じられます。



大正時代の女流画家を撮影した写真で下記の写真を良くみかけます。「女四人の会」という大正時代当時の女流画家の展覧会で、作品を前に撮影された写真です。「大正5年5月撮影」とされ、全員この時二十歳すぎ位だったようです。

この頃は上村松園らの影響もあり、女流画家が乱立?した時代ですね。

左から岡本更園、吉岡(木谷)千種、島成園、松本華羊(「女性画家の大家展」より)


左の更園には少し影がある印象を受け、千種はシアトルにて洋画を学び後年画塾を開き門弟50人を育てたという陽性な気質が表れています。島成園は画壇の男権主義に反抗する傲岸不遜さがあり、華羊は「何不自由ないお嬢さん育ちで性質も温和で…」と評されたようなほんわかさな印象があります。

4人の友情。画家としての成長。恋愛。スキャンダル。それらを幾重にも絡めた大正ロマンを代表するような大正期の女流画家達です。今までも幾度となく注目を集めた画家達ですね。ただ岡本更園は意外に前述のように忘れ去られています。

*なお本作品は紐交換とタトウを手配中で展示中の写真が未撮影です。

大正期には美人画を描いた女流画家は星の数ほどいますが、それなりの出来の良い絵を描いた画家は本当に少ないですね。これは男性の画家を含めてでもですが・・。その中で本日紹介した岡本更園は名を遺した画家のひとりでしょうね。












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