夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

いろはにほへと 伝岩田専太郎筆 その3

2012-12-18 05:56:04 | 掛け軸
本日は同僚達と協議・・。本日の夕刻からアメフトの応援と家内の見舞いと小生はどちらを選択すべきかを・・。本日見舞いに行かないと明日からは出張と忘年会と会食でしばし見舞いにいけないとの理由により、満場一致でお見舞いとなりました。同僚のアメフトとチアガール皆様には申しわかりません。奮闘を祈るばかりも惜敗

家内が入院している不慣れな病院に行くといろんなことが起こります。

たとえば昨夜の日曜日、家内のお見舞いが少し遅くなって病院を出たのですが、駅から少し距離のある病院で、前から気になっている近道がありました。少し前に病院を出た看護師さん?らしい女性がその道にて帰るようなので、その人の後をついていけば駅に着くのだろうと思い少し離れてついていきました。

その道が狭くて暗く、途中にお寺の脇を通るような道でした。だんだん不安になり、看護婦さんらしき女性に尋ねようと早足でその女性に近づいた途端に、その看護師らしい女性が振り返りもせず一目散に走り出したのです。どうもなにやら勘違いされたらしい。

休日ということもあり当方は黒の服に黒のマフラー(実際は赤)。駅のホームで会いましたがお互いに何事もなかったのごとく顔も見ず、どこかの放送局のアナウンサーのようにはならないように・・

本作品のような色っぽい美人だったのかも

岩田専太郎の投稿は本作品で3作品目となります。いずれも美人画です。一般の美人画は人気があり、小生の資金では手に負えない金額になります。

家内の実家に掛け軸を持っていき季節ごとに掛け変えていますが、三作品目に義父がにやにやしながら「美人画はないの?」と聞いてきました。80歳ですよ・、いくつになっても男は美人画が好きらしい

いろはにほへと(仮題) 伝岩田専太郎筆
紙本着色額装 
全体サイズ:縦575*横568 画サイズ:縦515*横405



版画などが多く市場にあり根強い人気のある美人画を描く。挿絵など色情豊かな絵を描くが、人気の高さゆえ模写などの贋作も多い。本作品も真贋については明確な断定はできません。



サインと印章は真作と一致し、出来もよいので楽しめる作品に仕上がってはいます。模写の場合は本作が必ずと言っていいほど存在するので、じっくりと真贋は見極めましょう。

本作品で岩田専太郎は下記の作品とあわせて三作品目となります

雪(花こよみ木版画三撰) 岩田専太郎筆
紙本着色額装 230*290

北秋田市の「君待坂」というところの骨董店で入手したもの。真贋は別としてロマンチックでしょう。これは本作の版画が流通してて、本作が存在したもの。といって一概に贋作や模写とは言い難いところもあります。本作より出来がいい・・。



美人画

都会的な美人画です、本ブログに投稿したつもりでしたが、記事も原稿も見当たりません。作品はいつもながらのトイレの壁に掛かっているのですが・・。何かの抱き合わで投稿したのかもしれません。




入院中の家内が暇なものだから、病院の歓談室に飾ってある人形を着物の紋様を変えてスケッチしたようです。



本日のブログの題材とは関係なく偶然に美人画を描いたようで、親子揃って美人画が好きらしい。




「いい出来でしょう。」と自慢されたその夜に冒頭の事件?は起きている。はやく退院の日が来ないものかと・・。


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5 コメント

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Unknown (ぽむ猫)
2012-12-18 19:38:27
こんにちは。宗泉さんはとてもお上手ですね。いっそ名立たる大家の美人画を模写してもらえれば御礼のケーキ代などの費用であなた様の床の間にも美人画の名幅が(笑)
とにかくも一刻も早い御本復をお祈り申し上げます。
美人画・・・いつか私も一幅でもと思っておりますが大家や
懐月堂派など夢のまた夢。せめて三畠上龍や吉原真龍ほどはなんとか・・・。オクでも美人画は人気ですね。「吉原細見」などの古書も非常に高値になります。やはり骨董趣味の男性はやはりあの時代の女性に敬慕というか妄想を抱くのでしょうか。
http://www.ne.jp/asahi/orion/mako-rigeru/sentarou.htm
あとこちらの第1集「色は匂えと」の写真の中に
お手持ちのものと同じ構図がありますね。
浅学なのでこのあたりはわかりませんが何かのご参考になれば。
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本作 (夜噺骨董談義)
2012-12-18 23:30:36
やはり本作がありましたね。帯の紋様の有無が違うようです。興味深いです。ありがとうございました。非常に参考になりました。
家内をおだてると本当に美人画の模写をしそうです。

かなり専門的な知識がありますね、三上上龍や吉原真龍は本ブログでも取り上げたことがあります。

http://blog.goo.ne.jp/otsumitsu/s/%B5%C8%B8%B6%BF%BF%CE%B6
美人画が本当に人気があり、ちと高くなりますね。
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Unknown (ぽむ猫)
2012-12-20 19:47:12
こんにちは。吉原真龍、見させていただきました。いいですね~
私もいつかは美人画を!と励みになります。
http://blog.goo.ne.jp/otsumitsu/e/d247bb0952161c1cecfb4edbc15be312
あわせて見させていただきましたこちらの井特
筆跡の相違や資料等など提示できないので参考程度なのですが、
印が「明復」と読めますので著賛者は儒学者の松崎慊堂の可能性があると思います。
この作品の印とは別印ですが慊堂は主に字の「明復」印を使ったようです。
落款も「羽澤老人題」とも読めます。1822年(文政5年)から江戸目黒の羽澤に隠遁しましたので
何らかの関係があるのかもしれません。もしそうなら著賛したのは井特の死後7年以上たってからのことになりますね。
井特の絵の当時の所有者が何かの機会に、当代随一と言われた儒学者の松崎慊堂に賛を乞うたのかもしれません。
肖像画等でも絵が描かれてだいぶ経ってからの著賛はよくあることです。
もし仮説が正しければ、あの慊堂が美人画賛とはなかなかレアではないでしょうか。
もしかしたら当時の所有者は彼の知人っだったとか!?
いろいろ仮説(妄想)はふくらみますが。
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儒学者の松崎慊堂 (夜噺骨董談義)
2012-12-21 06:15:52
儒学者の松崎慊堂? 調べてみます。面白そうですね。
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松崎慊堂 (夜噺骨董談義)
2012-12-22 09:10:34
インターネットで調べてみたら下記のようなことが解りました。
温厚誠実と言われている人物像とはだいぶ違うようです。というよりかなりの豪傑・・。

この人の生涯は波乱万丈です。慊堂の父親は、伊勢あたりから熊本へ来た流れ者で、貧農の母と野合して慊堂が生まれました。慊堂は、幼時から寺に預けられましたが、坊主になるのが嫌で出奔し、江戸へ出ます。そこで得がたき庇護者・師匠と出会い、佐藤一斎という生涯の学友にも出会います。しかし幸運は続かず、友人が借金のかたに昌平黌の所蔵書籍を質入れした事件に連座して追放となり、同時に内定していた熊本藩への出仕も棒に振ってしまいます。それでも花柳界への出入りをやめられず、窮乏を救ってくれた芸者と結婚したら、その妻はとんでもない吝嗇もちで、生まれた息子もドラ息子。ついに、耐えかねて郊外に別宅を作って別居。妾を囲って、息子をもうけたら、その子は凡庸で若死に。しかしその一方、慊堂先生は情に厚く、弟子の渡辺崋山が下獄したとき、身の危険をも顧みず、赦免を求めて東奔西走します。同じく崋山の師匠であった佐藤一斎がまったく動こうとしなかったのとは対照的です。川藩儒者となり江戸で開塾。渡辺崋山と鳥居耀蔵両方の師匠だった。崋山助命のために奔走したが、鳥居は悪い奴にだまされていると思っていたようだ。
大槻玄沢などとも飲み友達だった。かなり酒豪であったようですがそのせいか晩年は体調を崩した。
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