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今回のゴールデンウイークでの帰省は、帰省直前から息子が嘔吐と下痢。元気なことは元気なので東京駅から新幹線で新青森へ・・。プラレールの好きな息子は「はやぶさ!」といって大喜びですが、下痢との闘い・・。なんとか新青森に到着後、レンタカーにて三内丸山遺跡へ向かいました。
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遺跡調査中は建設工事現場に従事していたので経緯や遺跡の具合はかなり知っています。
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物見櫓の発見当時の経緯も無論知っていますが、もう220年も前のこと、感慨ひとしおです。
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当時の遺跡調査状況は今は想像できない状況ですが、ともかく埋設物の量はすごかった。県立野球場の建設予定でしたが、工事が中断後、中止となり、その処理がたいへんでしたので、ゆっくり遺跡を見ている時間がなかったのが、今では残念に思えてきます。
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遺跡の中から土偶が発見されたのは知っていましたが、大きなものは少なかったと思います。貴重なのは泥炭層にあった食料、舟、そして物見櫓であったと記憶しています。当時はこの地方は暖かく海水面が高く、近くまで海であり多くの縄文人が長きにわたり居住し、寒くなるしたがって南下していったようです。
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改めて遺跡からの発掘品を見てみると、土器よりやはり土偶に眼を奪われます。
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実に芸術性が高く、小さいながらすばらしいものばかりですね。
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息子の体調を気にしながら抱いての見学でしたのでゆっくり見てこられませんでしたが、ひととおり楽しめました。
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予定では次は弘前公園の予定でしたが、弘前公園周辺は渋滞という情報ゆえ、高速道路で帰省しましたがこれが正解でした。
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車中では元気だった息子は到着後、少しして嘔吐。熱が出て朝まで辛そうだったので、早朝には病院の緊急診療に駆け込みました。
幼稚園疲れなのか、悪い病気でないとのことで大事には至りませんでしたが、その後連休後半には小生が感染、ただし家内は元気。伴侶は丈夫がなによりを実感しました。
本日はまだ連休中に関わった作品の整理ができていないので、連休前の原稿から投稿します。
蓬莱掛合花盌 清水卯一作 その2
共箱・共布
口径125*高さ83*高台径
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1926年、清水卯一は五条坂の陶器卸問屋、清水卯之助商店の長男として誕生。当時、陶工は分業体制で、成形するロクロ師、絵付け師、窯焚き師などの専門職人がおり、その職人を束ねてたのが卸売問屋であった。親は卯一が小学生の頃から、ロクロ師に成ることを夢見ているのに気づき、商業学校に入れたが、学校へは行かず近所のロクロ師の家に行っていた。困った親は、伝手を頼って石黒宗磨先生のもとで弟子入りさせることにした。卯一が14歳のときのことである。終戦の1945年、卯一は五条坂の自宅に仕事場を設け、陶工としての道を歩みだした。
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五条坂には2代目、3代目の陶芸家が多く、駆け出しでキャリアのない卯一は肩身の狭い思いもしたようである。1947年には、長男・保孝が誕生。また同年、宇野三吾らと四耕会を結成。終戦後の陶芸に新たな価値を作るべく作品を生み出していった。1949年、まだ戦後まもなく人々は食べることに精いっぱいであった時代。温かみのある陶器を見て心を癒してほしいと思った卯一は、心やすまる器づくりに力を注いだ。そんな精神から生まれた釉薬が、柚子肌釉だった。以降、柿釉・鉄釉の作品で受賞を重ね、国内外からの評価を高めていった。
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1970年、土と釉薬にこだわる卯一は滋賀県滋賀郡志賀町の蓬莱山麓に開窯し、五条坂より移り住んだ。湖西地方から湖北まで土や石を探し求め、出土した土を自ら製錬した。磁土も同じように自分で造る。石もスタンパーで粉砕して振るいにかけ釉薬として用いた。土から釉薬まで全て蓬莱で取れた原料を用いた作品には、卯一は「蓬莱何々」と好んで使用している。
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1971年、保孝が卯一に師事。陶芸家としての道を歩き出した。卯一より「自分の特徴を出す何かを」と言われた保孝は、幼少の頃より飼育し、身近な存在であった亀を文様に「亀遊文」として自らの作品に使っている。 1979年、志郎が誕生。
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1 955年、第2回日本伝統工芸展に初出品し、2003年まで連続出品を続けた。その間、日本工芸会・副理事長、陶芸部会長の要職を務めた。1985年、卯一は鉄釉陶器により重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を受けた。1986年には紫綬褒章を受章。その後も蓬莱にて作品を作り続け、2002年には孫である志郎が卯一のもとで制作をはじめた。晩年には、お気に入りであった蓬莱の仕事場から見る日の出を見立て、好んで赤色の釉薬を用いた。 清水卯一、2004年2月18日 逝去。77歳。 最期まで作陶意欲がなくなることはなかった。
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まさに郷里の春は百花繚乱。梅もあれば桜はむろん、水芭蕉、推薦、木蓮、山吹などがいっぺんに咲き誇ります。
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郷里の百花繚乱にちなんで本作品を投稿しますが、真贋は小生の知識の及ぶところではありません。
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白釉を掻いて「花」という文字。言われないと気がつきかないほどですが、さらに黒い掛け残り部分は花びらを表しているようです。
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清水卯一の作品はまだあった筈なので、所蔵リストを検索すると下記の作品がありました。
釉流茶碗 清水卯一作
共箱入共布
口径138*高さ91*高台径66
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こちらは正真の作品ですが、印章、落款、共布ともに違いがあり、製作年代に大きな違いがあるのかもしれません。
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私はこの「釉流茶碗」茶碗がお気に入りですが、意外にこの手の茶碗は少ないようです。
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まるで雪や氷が積み重なったようなきれいな釉薬の変化がとても魅力的です。
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ここに抹茶が入ると抹茶の緑とこの青とのコントラストはまるで宇宙世界のようです。
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ともに使いやすそうな茶碗です。おっと本日の作品は茶碗ではなく「花碗」ですね。
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たかが茶碗、されど茶碗。
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遺跡調査中は建設工事現場に従事していたので経緯や遺跡の具合はかなり知っています。
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物見櫓の発見当時の経緯も無論知っていますが、もう220年も前のこと、感慨ひとしおです。
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当時の遺跡調査状況は今は想像できない状況ですが、ともかく埋設物の量はすごかった。県立野球場の建設予定でしたが、工事が中断後、中止となり、その処理がたいへんでしたので、ゆっくり遺跡を見ている時間がなかったのが、今では残念に思えてきます。
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遺跡の中から土偶が発見されたのは知っていましたが、大きなものは少なかったと思います。貴重なのは泥炭層にあった食料、舟、そして物見櫓であったと記憶しています。当時はこの地方は暖かく海水面が高く、近くまで海であり多くの縄文人が長きにわたり居住し、寒くなるしたがって南下していったようです。
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改めて遺跡からの発掘品を見てみると、土器よりやはり土偶に眼を奪われます。
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実に芸術性が高く、小さいながらすばらしいものばかりですね。
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息子の体調を気にしながら抱いての見学でしたのでゆっくり見てこられませんでしたが、ひととおり楽しめました。
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予定では次は弘前公園の予定でしたが、弘前公園周辺は渋滞という情報ゆえ、高速道路で帰省しましたがこれが正解でした。
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車中では元気だった息子は到着後、少しして嘔吐。熱が出て朝まで辛そうだったので、早朝には病院の緊急診療に駆け込みました。
幼稚園疲れなのか、悪い病気でないとのことで大事には至りませんでしたが、その後連休後半には小生が感染、ただし家内は元気。伴侶は丈夫がなによりを実感しました。
本日はまだ連休中に関わった作品の整理ができていないので、連休前の原稿から投稿します。
蓬莱掛合花盌 清水卯一作 その2
共箱・共布
口径125*高さ83*高台径
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1926年、清水卯一は五条坂の陶器卸問屋、清水卯之助商店の長男として誕生。当時、陶工は分業体制で、成形するロクロ師、絵付け師、窯焚き師などの専門職人がおり、その職人を束ねてたのが卸売問屋であった。親は卯一が小学生の頃から、ロクロ師に成ることを夢見ているのに気づき、商業学校に入れたが、学校へは行かず近所のロクロ師の家に行っていた。困った親は、伝手を頼って石黒宗磨先生のもとで弟子入りさせることにした。卯一が14歳のときのことである。終戦の1945年、卯一は五条坂の自宅に仕事場を設け、陶工としての道を歩みだした。
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五条坂には2代目、3代目の陶芸家が多く、駆け出しでキャリアのない卯一は肩身の狭い思いもしたようである。1947年には、長男・保孝が誕生。また同年、宇野三吾らと四耕会を結成。終戦後の陶芸に新たな価値を作るべく作品を生み出していった。1949年、まだ戦後まもなく人々は食べることに精いっぱいであった時代。温かみのある陶器を見て心を癒してほしいと思った卯一は、心やすまる器づくりに力を注いだ。そんな精神から生まれた釉薬が、柚子肌釉だった。以降、柿釉・鉄釉の作品で受賞を重ね、国内外からの評価を高めていった。
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1970年、土と釉薬にこだわる卯一は滋賀県滋賀郡志賀町の蓬莱山麓に開窯し、五条坂より移り住んだ。湖西地方から湖北まで土や石を探し求め、出土した土を自ら製錬した。磁土も同じように自分で造る。石もスタンパーで粉砕して振るいにかけ釉薬として用いた。土から釉薬まで全て蓬莱で取れた原料を用いた作品には、卯一は「蓬莱何々」と好んで使用している。
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1971年、保孝が卯一に師事。陶芸家としての道を歩き出した。卯一より「自分の特徴を出す何かを」と言われた保孝は、幼少の頃より飼育し、身近な存在であった亀を文様に「亀遊文」として自らの作品に使っている。 1979年、志郎が誕生。
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1 955年、第2回日本伝統工芸展に初出品し、2003年まで連続出品を続けた。その間、日本工芸会・副理事長、陶芸部会長の要職を務めた。1985年、卯一は鉄釉陶器により重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を受けた。1986年には紫綬褒章を受章。その後も蓬莱にて作品を作り続け、2002年には孫である志郎が卯一のもとで制作をはじめた。晩年には、お気に入りであった蓬莱の仕事場から見る日の出を見立て、好んで赤色の釉薬を用いた。 清水卯一、2004年2月18日 逝去。77歳。 最期まで作陶意欲がなくなることはなかった。
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まさに郷里の春は百花繚乱。梅もあれば桜はむろん、水芭蕉、推薦、木蓮、山吹などがいっぺんに咲き誇ります。
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郷里の百花繚乱にちなんで本作品を投稿しますが、真贋は小生の知識の及ぶところではありません。
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白釉を掻いて「花」という文字。言われないと気がつきかないほどですが、さらに黒い掛け残り部分は花びらを表しているようです。
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清水卯一の作品はまだあった筈なので、所蔵リストを検索すると下記の作品がありました。
釉流茶碗 清水卯一作
共箱入共布
口径138*高さ91*高台径66
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こちらは正真の作品ですが、印章、落款、共布ともに違いがあり、製作年代に大きな違いがあるのかもしれません。
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私はこの「釉流茶碗」茶碗がお気に入りですが、意外にこの手の茶碗は少ないようです。
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まるで雪や氷が積み重なったようなきれいな釉薬の変化がとても魅力的です。
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ここに抹茶が入ると抹茶の緑とこの青とのコントラストはまるで宇宙世界のようです。
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ともに使いやすそうな茶碗です。おっと本日の作品は茶碗ではなく「花碗」ですね。
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たかが茶碗、されど茶碗。