収穫量の少なかった落花生ですが、義母を中心に息子も手伝ってなんとか今年も挨拶廻りに配られる最低限の量は確保できました。
野鼠の被害にあった落花生ですが、来年は「庚子」の干支。「庚」は金を表わし、「子」は初めてのことと増えるの象徴で、大黒様のお使い。落花生は鼠に捧げものとした縁起物・・・。
本日は大日本魚類画集の作品の紹介です。
ネットオークションにてかなりの数(30種以上)の大日本魚類画集に掲載されている作品が出品されました。その作品の中から3作品を入手できましたので紹介します。
大日本魚類画集 NO64 カレイ図 大野麥風画
紙本淡彩額装 版画 1938年6月第11回
画サイズ:縦380*横275
このカレイの作品は大日本魚類画集の作品中でも佳作だと思います。
茶色をベースとした色彩が綺麗です。額もそれに合わせて選んでいます。
版画を額装にするのは基本的には飾る時だけにしたほうがいいのでしょう。
本日紹介する3作品の彫師はすべて「藤川象斎」、摺師は「光本丞甫」です。
大日本魚類画集 NO87 ウグヒ図 大野麥風画
紙本淡彩額装 版画 1940年4月第8回
画サイズ:縦380*横275
ウグイは小生が子供の頃から馴染みのある淡水魚で、全国の河川でもっとも普通に見られた魚ですが、関東地方などの河川ではオイカワやカワムツが増えウグイの生息域がだんだん上流に追いやられ個体数が減少傾向にあるようです。
上記に淡水魚と記しましたが、一生を河川で過ごす淡水型と一旦海に出る降海型がいるようです。降海型は北へ行くほどその比率が増すとのことです。
雑食性である為、生息域内の別な魚種の卵や稚魚を捕食するため、この性質を利用しブルーギルの増殖抑制に有効である可能性が示されているようです。
大日本魚類画集の作品は個々の額装を選んでいます。その作品にあった額を選定するのも愉しみのひとつですね。
最後の作品は東京ステーションギャラリーで展覧会「大野麥風展」が開催された際に出版された画集の表紙になっていた作品です。
大日本魚類画集 NO98 ニシン図 大野麥風画
紙本淡彩額装 版画 1941年1月第5回
画サイズ:縦380*横275
ニシンといったら「鰊御殿」・・・1910年以降急激に漁獲量が増えた北海道沿岸(小樽から稚内にかけて)の漁は明治末期から大正期の最盛期には春先の産卵期に回遊する北海道・サハリン系を主対象として100万t近くの漁獲高があり、北海道ではニシン漁で財を成した網元による「鰊御殿」が建ち並ぶほどになりました。
しかし小生が生まれた1953年(昭和28年)から減少が始まり、1955年には5万tにまで激減し衰退しました。その後はロシアやカナダやアメリカからの輸入品が大半を占めるようになりました。激減の原因としては海流あるいは海水温の上昇、乱獲、森林破壊などとする諸説があるが解明されていないとのことです。1890年代から2000年代までの海水温と漁獲量の変化を分析したところ、北海道-サハリン系ニシンの資源量変動と、海水温の長期変動には強い相関があり、乱獲だけが資源量減少の理由ではないとする研究者もいます。
主に刺網漁や巻網漁によって漁獲されています。1890年頃から1917年頃までの漁場は富山県沿岸から秋田県沿岸であったどうですが、年々漁場が北上し、1920年頃には青森県沖から北海道まで北上し、1923年には青森県沖の漁場も不漁となり、本州日本海側の漁は消滅しています。
激減以降、減少した漁獲を増加させるために人工孵化や稚魚放流も行われていますが、2002年から2011年間の10年間のニシンの平均水揚げ数量は4千tに留まり、根本的な解決に至っていないようです。卵の塩蔵品は数の子(かずのこ)をはじめ、日本人にはなじみの深い魚ですね。
大日本魚類画集の作品を少しずつ集めていますが、まだ手始めですがなかなか楽しいですね。「子」は増えるの象徴、果たして来年は如何・・・。
野鼠の被害にあった落花生ですが、来年は「庚子」の干支。「庚」は金を表わし、「子」は初めてのことと増えるの象徴で、大黒様のお使い。落花生は鼠に捧げものとした縁起物・・・。
本日は大日本魚類画集の作品の紹介です。
ネットオークションにてかなりの数(30種以上)の大日本魚類画集に掲載されている作品が出品されました。その作品の中から3作品を入手できましたので紹介します。
大日本魚類画集 NO64 カレイ図 大野麥風画
紙本淡彩額装 版画 1938年6月第11回
画サイズ:縦380*横275
このカレイの作品は大日本魚類画集の作品中でも佳作だと思います。
茶色をベースとした色彩が綺麗です。額もそれに合わせて選んでいます。
版画を額装にするのは基本的には飾る時だけにしたほうがいいのでしょう。
本日紹介する3作品の彫師はすべて「藤川象斎」、摺師は「光本丞甫」です。
大日本魚類画集 NO87 ウグヒ図 大野麥風画
紙本淡彩額装 版画 1940年4月第8回
画サイズ:縦380*横275
ウグイは小生が子供の頃から馴染みのある淡水魚で、全国の河川でもっとも普通に見られた魚ですが、関東地方などの河川ではオイカワやカワムツが増えウグイの生息域がだんだん上流に追いやられ個体数が減少傾向にあるようです。
上記に淡水魚と記しましたが、一生を河川で過ごす淡水型と一旦海に出る降海型がいるようです。降海型は北へ行くほどその比率が増すとのことです。
雑食性である為、生息域内の別な魚種の卵や稚魚を捕食するため、この性質を利用しブルーギルの増殖抑制に有効である可能性が示されているようです。
大日本魚類画集の作品は個々の額装を選んでいます。その作品にあった額を選定するのも愉しみのひとつですね。
最後の作品は東京ステーションギャラリーで展覧会「大野麥風展」が開催された際に出版された画集の表紙になっていた作品です。
大日本魚類画集 NO98 ニシン図 大野麥風画
紙本淡彩額装 版画 1941年1月第5回
画サイズ:縦380*横275
ニシンといったら「鰊御殿」・・・1910年以降急激に漁獲量が増えた北海道沿岸(小樽から稚内にかけて)の漁は明治末期から大正期の最盛期には春先の産卵期に回遊する北海道・サハリン系を主対象として100万t近くの漁獲高があり、北海道ではニシン漁で財を成した網元による「鰊御殿」が建ち並ぶほどになりました。
しかし小生が生まれた1953年(昭和28年)から減少が始まり、1955年には5万tにまで激減し衰退しました。その後はロシアやカナダやアメリカからの輸入品が大半を占めるようになりました。激減の原因としては海流あるいは海水温の上昇、乱獲、森林破壊などとする諸説があるが解明されていないとのことです。1890年代から2000年代までの海水温と漁獲量の変化を分析したところ、北海道-サハリン系ニシンの資源量変動と、海水温の長期変動には強い相関があり、乱獲だけが資源量減少の理由ではないとする研究者もいます。
主に刺網漁や巻網漁によって漁獲されています。1890年頃から1917年頃までの漁場は富山県沿岸から秋田県沿岸であったどうですが、年々漁場が北上し、1920年頃には青森県沖から北海道まで北上し、1923年には青森県沖の漁場も不漁となり、本州日本海側の漁は消滅しています。
激減以降、減少した漁獲を増加させるために人工孵化や稚魚放流も行われていますが、2002年から2011年間の10年間のニシンの平均水揚げ数量は4千tに留まり、根本的な解決に至っていないようです。卵の塩蔵品は数の子(かずのこ)をはじめ、日本人にはなじみの深い魚ですね。
大日本魚類画集の作品を少しずつ集めていますが、まだ手始めですがなかなか楽しいですね。「子」は増えるの象徴、果たして来年は如何・・・。