息子の遊びのひとつに木登りが加わったようです。
近代絵画において「虎」を描いたらこの人と万人が認める大橋翆石の本日は猿を描いた作品の紹介です。木登りと言ったら「猿」ですね。
初冬渓谷親子猿図 大橋翠石筆 大正10年(1921年)頃
絹本水墨淡彩軸装 軸先本象牙 合箱
全体サイズ:横545*縦1610 画サイズ:横420*縦1075
分類B.中間期:1910年(明治43年)~1922年(大正11年)46歳~58歳 第1期
描いた時期は大正元年(1912年)から昭和2年(1927年)の神戸時代の初期に分類される頃の作と推定されます。
この頃に大橋翆石は結核に罹患し、当時結核の治療に先進とされた神戸・須磨地域に転居して治療に専念しながら絵筆をふるっていた時期です。
「闘病」と共に大橋翆石の「須磨様式」と称せられる特異な画風を完成させた時期ですもあります。
明治43年の夏以降には落款の「翆石」の「石」の字の第4画、転折部分の上部に点を付す所謂「①点石落款」を排しています。よってこの時期の作品の落款は幾つか変遷しています。
②翠石 :二文字とも同じ大きさ
( 1期 )1910年(明治43年)~1922年(大正11年)
*大正元年、須磨に移住。
③翠石 :石の文字が太い
( 2期 )1922年(大正11年)-1940年(昭和15年)
*須磨様式時代
須磨時代の後半には
④糸落款翠石: 翠石が細く書いてある。3期 1940年(昭和15年)-1945年(昭和20年)
という3種類の落款の変遷がありますが、実は②以降には本作品のような落款も存在してます。図集に掲載の「猛虎一声之図」の落款と印章と同一です。
印章に若干の違いあるように見えますので同図集に掲載の印譜と比較してみましょう。
同一印章と判断していいでしょう。この落款の作品は少ないと思われますが、当方の紹介した作品では「親子虎図 大橋翠石筆 大正初期(1910年代)頃」、「幽谷雙猛之図 大橋翠石筆 大正10年(1921年)頃」と同一印章と判断できます。
「幽谷雙猛之図」大橋翠石筆 大正10年(1921年)頃
絹本水墨淡彩軸装 軸先本象牙 共箱
全体サイズ:横*縦 画サイズ:横420*縦1140
分類B.中間期:1910年(明治43年)~1922年(大正11年)46歳~58歳 第1期
「親子虎図」大橋翠石筆 大正初期(1910年代)頃
絹本水墨淡彩軸装 軸先木製 合箱
全体サイズ:横*縦 画サイズ:横500*縦1300
分類B.中間期:1910年(明治43年)~1922年(大正11年)46歳~58歳 第1期
「親子虎図」については真作と断定するには躊躇しましたが、最終的に真作と判断しました。幾つかの作品を入手し資料を分析した結果ですが、あくまでも個人的な判断です。
雪が降り始めて寒い冬が来るのを不安そうに見つめる母猿・・・。
母猿に寄り添う子猿・・・。
単にかわいいという動物画ではありませんね。
母猿の見つめる先には不安が一杯・・・。
父を早くに亡くした小生が還暦を過ぎてから初めて子宝を授かり、この母子猿には幸多かれと願うばかり・・。
この親子には厳しい現実が待ち構えてるのだろう。
それが雪となって、滝となって表現されている。骨董にはときおり人生を重ね合わせるなにかがある・・・。
この作品の表具の上部の「天」が極端に短くなっています。これでは猿も木から落ちる このようなことが気になるようにならないといけませんね。
天が2なら地が1、中廻しも一文字のすべて上下の大きさの関係はこの比率ということを知らない人は掛け軸の初心者です。
床の間の天井が低かったのか、上部が痛んだのか? いずれにしても天地交換の処置が必要です。
*現在天地交換を依頼中の作品です。小生がしてやれるのはこれくらい・・。
近代絵画において「虎」を描いたらこの人と万人が認める大橋翆石の本日は猿を描いた作品の紹介です。木登りと言ったら「猿」ですね。
初冬渓谷親子猿図 大橋翠石筆 大正10年(1921年)頃
絹本水墨淡彩軸装 軸先本象牙 合箱
全体サイズ:横545*縦1610 画サイズ:横420*縦1075
分類B.中間期:1910年(明治43年)~1922年(大正11年)46歳~58歳 第1期
描いた時期は大正元年(1912年)から昭和2年(1927年)の神戸時代の初期に分類される頃の作と推定されます。
この頃に大橋翆石は結核に罹患し、当時結核の治療に先進とされた神戸・須磨地域に転居して治療に専念しながら絵筆をふるっていた時期です。
「闘病」と共に大橋翆石の「須磨様式」と称せられる特異な画風を完成させた時期ですもあります。
明治43年の夏以降には落款の「翆石」の「石」の字の第4画、転折部分の上部に点を付す所謂「①点石落款」を排しています。よってこの時期の作品の落款は幾つか変遷しています。
②翠石 :二文字とも同じ大きさ
( 1期 )1910年(明治43年)~1922年(大正11年)
*大正元年、須磨に移住。
③翠石 :石の文字が太い
( 2期 )1922年(大正11年)-1940年(昭和15年)
*須磨様式時代
須磨時代の後半には
④糸落款翠石: 翠石が細く書いてある。3期 1940年(昭和15年)-1945年(昭和20年)
という3種類の落款の変遷がありますが、実は②以降には本作品のような落款も存在してます。図集に掲載の「猛虎一声之図」の落款と印章と同一です。
印章に若干の違いあるように見えますので同図集に掲載の印譜と比較してみましょう。
同一印章と判断していいでしょう。この落款の作品は少ないと思われますが、当方の紹介した作品では「親子虎図 大橋翠石筆 大正初期(1910年代)頃」、「幽谷雙猛之図 大橋翠石筆 大正10年(1921年)頃」と同一印章と判断できます。
「幽谷雙猛之図」大橋翠石筆 大正10年(1921年)頃
絹本水墨淡彩軸装 軸先本象牙 共箱
全体サイズ:横*縦 画サイズ:横420*縦1140
分類B.中間期:1910年(明治43年)~1922年(大正11年)46歳~58歳 第1期
「親子虎図」大橋翠石筆 大正初期(1910年代)頃
絹本水墨淡彩軸装 軸先木製 合箱
全体サイズ:横*縦 画サイズ:横500*縦1300
分類B.中間期:1910年(明治43年)~1922年(大正11年)46歳~58歳 第1期
「親子虎図」については真作と断定するには躊躇しましたが、最終的に真作と判断しました。幾つかの作品を入手し資料を分析した結果ですが、あくまでも個人的な判断です。
雪が降り始めて寒い冬が来るのを不安そうに見つめる母猿・・・。
母猿に寄り添う子猿・・・。
単にかわいいという動物画ではありませんね。
母猿の見つめる先には不安が一杯・・・。
父を早くに亡くした小生が還暦を過ぎてから初めて子宝を授かり、この母子猿には幸多かれと願うばかり・・。
この親子には厳しい現実が待ち構えてるのだろう。
それが雪となって、滝となって表現されている。骨董にはときおり人生を重ね合わせるなにかがある・・・。
この作品の表具の上部の「天」が極端に短くなっています。これでは猿も木から落ちる このようなことが気になるようにならないといけませんね。
天が2なら地が1、中廻しも一文字のすべて上下の大きさの関係はこの比率ということを知らない人は掛け軸の初心者です。
床の間の天井が低かったのか、上部が痛んだのか? いずれにしても天地交換の処置が必要です。
*現在天地交換を依頼中の作品です。小生がしてやれるのはこれくらい・・。