掛け軸というものを改めてチェックすると本当に贋作が多いものです。それほど当時は欲しい人が多く、贋作を描ける人がいるほど画家が多かったのでしょう。需要と供給もマッチングで偽物が出現するのでしょう。今はどんなに偽物が出現する状況なのでしょうか?
本日は今まで一幅は欲しいと思っていた児玉果亭の作品です。なかなかこれぞと思う作品がなく今回が初めての購入となりました。このようにあまり有名でなく、贋作の可能性の少ない画家の作品は非常に廉価で入手できます。数千円でいい作品が市場に溢れています。興味のある方はこの際に一幅いかがでしょうか?
梅林山水図 児玉果亭筆
紙本水墨淡彩軸装 軸先木製 合箱
全体サイズ:縦1975*横615 画サイズ:縦1295*横485
賛には「庚戌(かのえいぬ、こうじゅつ)秋日」とあり、明治43年(1910年)の作品で69歳頃の作と推察されます。印章は「士毅」の白文朱方印と「道広」の朱文朱方印の累印と賛上に「□中」と左下に「□□□□□□」の遊印が押印されています。賛全文は「・・・・果生士毅」とあります。残念ながら当方では解読不能・・。
掛け軸などは著名な画家ほど贋作が多く、かなり巧妙にできています。贋作をつかまない方法はどうもあまり有名でない画家の良い作品を購入するのが一番のようです。
*********************************
児玉果亭:天保12年1月29日(1841年2月20日)~大正2年(1913年1月14日)は明治時代の文人画家。信州の生まれ。幼名を丑松。諱は道広、字を士毅。 画号に果亭・果道人・澹々齋・竹遷山房。晩年は果老生・果翁と号した。号の果亭は、張瑞図に私淑しその号である果亭山人に因んだと考えられる。
********************************
********************************
補足説明
果亭は信州渋温泉で生まれ育ち郷土愛の強い画家として知られる。祖父の要道は信仰心に篤く仏門に帰依し、道釈人物図を能く描いた。父常松は3男であったので分家して温泉宿に商いする雑貨商であったが文武両道に秀で剣道の達人であった。
幼少期の果亭は近隣より神童として知られ、ソロバンを得意とし絵や書を好んだ。佐久間象山は丑松少年が習字するところをみて将来モノになると賞めたという。また人から貰い受けた南画家日根對山の画帖を宝物のように大切にして常日頃模写に励んでいたらしい。
果亭は15歳になると佐久間雲窓に就いて本格的に画技を学んだ。毎朝4時に起きて隣村まで片道6里を歩いて通ったという。師雲窓は谷文晁の孫弟子にあたり沈南蘋風の花鳥画を得意とした。その後、興隆寺に参禅し畔上楳仙より漢学・経学・禅の指導を受ける。文人としての素養を培うとともに人生の指南役として楳仙を強く慕い、以降様々な形で楳仙の援助を受ける。
楳仙の勧めを受けて果亭は京都の田能村直入に入門。帰郷後に出品作が明治天皇の天覧に浴し、また絵画共進会など中央の展覧会で高い評価を得て画業は順風満帆となる。画室竹仙山房を結んで画禅三昧に過ごした。
果亭の下には菊池契月・小坂芝田・山本凌亭・青柳琴僊など多くの優れた門人が集まった。画友に長井雲坪・加藤半渓・寺崎廣業・町田曲江がいる。果亭は音楽を好み友人の長井雲坪より月琴を手に入れ酒宴などで弾じたという。ただし日清戦争が開戦すると戦地の兵士を思い娯楽の楽器を封じたという。また小林一茶を慕い、俳句も嗜んだ。俳号を花庭とした。
********************************
掛け軸の購入に際しては、表具がしっかりしていることで、購入後の負担を軽くします。表具が痛んでいると改装費用に作品の値段以上に費やすことになりかねません。表具師は作品を悪く言うことはありませんので、「いい作品ですね」といって上等な表具にしたがるものですから、信用しないことです。著名な画家、表具が痛んでいる作品などに手を出すと負担はかなり大きくなりますよ
本日は今まで一幅は欲しいと思っていた児玉果亭の作品です。なかなかこれぞと思う作品がなく今回が初めての購入となりました。このようにあまり有名でなく、贋作の可能性の少ない画家の作品は非常に廉価で入手できます。数千円でいい作品が市場に溢れています。興味のある方はこの際に一幅いかがでしょうか?
梅林山水図 児玉果亭筆
紙本水墨淡彩軸装 軸先木製 合箱
全体サイズ:縦1975*横615 画サイズ:縦1295*横485
賛には「庚戌(かのえいぬ、こうじゅつ)秋日」とあり、明治43年(1910年)の作品で69歳頃の作と推察されます。印章は「士毅」の白文朱方印と「道広」の朱文朱方印の累印と賛上に「□中」と左下に「□□□□□□」の遊印が押印されています。賛全文は「・・・・果生士毅」とあります。残念ながら当方では解読不能・・。
掛け軸などは著名な画家ほど贋作が多く、かなり巧妙にできています。贋作をつかまない方法はどうもあまり有名でない画家の良い作品を購入するのが一番のようです。
*********************************
児玉果亭:天保12年1月29日(1841年2月20日)~大正2年(1913年1月14日)は明治時代の文人画家。信州の生まれ。幼名を丑松。諱は道広、字を士毅。 画号に果亭・果道人・澹々齋・竹遷山房。晩年は果老生・果翁と号した。号の果亭は、張瑞図に私淑しその号である果亭山人に因んだと考えられる。
********************************
********************************
補足説明
果亭は信州渋温泉で生まれ育ち郷土愛の強い画家として知られる。祖父の要道は信仰心に篤く仏門に帰依し、道釈人物図を能く描いた。父常松は3男であったので分家して温泉宿に商いする雑貨商であったが文武両道に秀で剣道の達人であった。
幼少期の果亭は近隣より神童として知られ、ソロバンを得意とし絵や書を好んだ。佐久間象山は丑松少年が習字するところをみて将来モノになると賞めたという。また人から貰い受けた南画家日根對山の画帖を宝物のように大切にして常日頃模写に励んでいたらしい。
果亭は15歳になると佐久間雲窓に就いて本格的に画技を学んだ。毎朝4時に起きて隣村まで片道6里を歩いて通ったという。師雲窓は谷文晁の孫弟子にあたり沈南蘋風の花鳥画を得意とした。その後、興隆寺に参禅し畔上楳仙より漢学・経学・禅の指導を受ける。文人としての素養を培うとともに人生の指南役として楳仙を強く慕い、以降様々な形で楳仙の援助を受ける。
楳仙の勧めを受けて果亭は京都の田能村直入に入門。帰郷後に出品作が明治天皇の天覧に浴し、また絵画共進会など中央の展覧会で高い評価を得て画業は順風満帆となる。画室竹仙山房を結んで画禅三昧に過ごした。
果亭の下には菊池契月・小坂芝田・山本凌亭・青柳琴僊など多くの優れた門人が集まった。画友に長井雲坪・加藤半渓・寺崎廣業・町田曲江がいる。果亭は音楽を好み友人の長井雲坪より月琴を手に入れ酒宴などで弾じたという。ただし日清戦争が開戦すると戦地の兵士を思い娯楽の楽器を封じたという。また小林一茶を慕い、俳句も嗜んだ。俳号を花庭とした。
********************************
掛け軸の購入に際しては、表具がしっかりしていることで、購入後の負担を軽くします。表具が痛んでいると改装費用に作品の値段以上に費やすことになりかねません。表具師は作品を悪く言うことはありませんので、「いい作品ですね」といって上等な表具にしたがるものですから、信用しないことです。著名な画家、表具が痛んでいる作品などに手を出すと負担はかなり大きくなりますよ