夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

五柳図 その2 倉田松濤筆 

2020-03-26 00:01:00 | 掛け軸
コロナウイルスの影響で家にこもってばかりいると息が詰まると家族全員で畑に夏ミカンを採りに出かけました。ついでに愛犬も・・。この柴犬は「もも」という雌犬が、外で野放し状態で飼われてすでに15年は過ぎていますが、至って元気です。



息子は背丈が小さいので下回りの収穫で、皆で採ったらあっという間に複数の籠が満杯になりました。



収穫が終わり、庭を散策するとカタクリの花が咲いています。



さらには絶滅種のクマガイソウが芽を出し、男の隠れ家から持ってきた植物も3年がかりで花が咲きそうになってきました。やはり外へ出るのは生命力を感じられていいことです。



さて本日は倉田松濤が「陶淵明」を描いた作品の2作品目の紹介です。倉田松濤が敬愛する陶淵明を描いた作品にはさすがに手抜きは見られません。



五柳図 その2 倉田松濤筆 
紙本水墨紙軸装 軸先木製 合箱入 
全体サイズ:横598*縦2062 画サイズ:横466*縦1388



題名の「五柳図」とは「五柳先生」、すなわち「陶淵明の号」のことで、自身が自分のことを託して書いた「五柳先生伝」という文章に基づく号で、家の前に5本の柳があったところからのこの名をとったそうです。

寺崎廣業などが描いた「五柳図」と題された作品は本ブログでも作品が紹介されていまますし、他の画家の作品にも「五柳図」と題された作品は多いですね。「五柳先生」すなわち「陶淵明の号」、このことを知らない人が実に多いのですが・・・。



陶淵明の略歴は言わずもがなですが、簡略すると下記のとおりです。

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陶 淵明:365年(興寧3年)~ 427年(元嘉3年)11月)は、中国魏晋南北朝時代、東晋末から南朝宋の文学者。字は元亮。または名は潜、字は淵明。

死後友人からの諡にちなみ「靖節先生」、または自伝的作品「五柳先生伝」から「五柳先生」とも呼ばれる。潯陽柴桑(現江西省九江市)の人。郷里の田園に隠遁後、自ら農作業に従事しつつ、日常生活に即した詩文を多く残し、後世「隠逸詩人」「田園詩人」と呼ばれる。

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「琴を弾く姿」や「琴を携えた姿」を描いた作品も陶淵明を描いた作品として著名ですが、無弦の琴を携え、酔えば、その琴を愛撫して心の中で演奏を楽しんだという逸話があることからでしょう。

この「無弦の琴」については、『菜根譚』にも記述が見られ、意味を要約すると、存在するものを知るだけで、手段にとらわれているようでは、学問学術の真髄に触れることはできないと記しており、無弦の琴とは、中国文化における一種の極致といった意味合いが含まれているそうです。



本作品、なんとも味わい深い作品となっています。



倉田松濤の面目躍如たる作品と言えるでしょう。

自然と触れることからすべての悟りは始まるのかも・・・。

最後に陶 淵明の漢詩の代表作「飲酒」其の五を記しておきましょう。

結廬在人境 (廬を結びて人境に在り)   粗末な家を人里の中に構えているが、
而無車馬喧 (而も車馬の喧しき無し)   にもかかわらず訪問客の車馬の騒がしさがない。
問君何能爾 (君に問ふ 何ぞ能く爾ると)  なぜそんなことができるのか。
心遠地自偏 (心遠ければ 地 自ら偏なり) 心が遠く俗界を離れていると住む土地も自然と辺鄙な場所になるのだ。
採菊東籬下 (菊を採る 東籬の下)     東の垣根のあたりで菊の花を摘み、
悠然見南山 (悠然として南山を見る)    ゆったりと南山(廬山)を眺める。
山気日夕佳 (山気 日夕に佳し)      山の光景は夕方が特に素晴らしい。
飛鳥相与還 (飛鳥 相ひ与に還る)     鳥たちが連れ立って山の巣に帰っていく。
此中有真意 (此の中に真意有り)      この光景に内にこそ、真実の境地が存在する。
欲弁已忘言 (弁ぜんと欲して已に言を忘る)しかし、それをつぶさ説き明かそうとすると、言葉を忘れてしまうのだ
















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