夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

御厩橋之図 小林清親画

2020-03-25 00:01:00 | 浮世絵
先週末は息子の卒園式。



コロナウイルスの影響で当然、かなり縮小された形式での卒園式でしたが、小学校に進学すると小学校が別々な友達も多いので、この日でお別れをきちんとできたのは幸いでした。ママ友らは特にそうかも・・。



息子が頂いたチューリップは茶室に飾りました。



息子も大喜びでした。さ~、4月からは小学校です。



さて本日は小林清親の版画の紹介です。

近代版画には江戸時代以前の浮世絵にはない作風の作品があり、根強いファンも多いでしょう。本日紹介する小林清親もそのひとりでしょうが、他に川瀬巴水、小原古邨、吉田博らの著名な版画家がいます。

最近これらの版画は人気が高く、入手するにはかなりの高額な値段となりますね。江戸期末期の歌川派のような退廃的な画風は当方ではまったく評価しません(一般的にも江戸期末期の歌川派の作品は評価が低い)が、近代版画革命というか、近代ではこれらの版画家によって版画は蘇ったといっていいのでしょう。



御厩橋之図 小林清親画
紙本着色版画額装 後摺 誂:布タトウ+黄袋
1879-81年頃作 画サイズ:横340*縦230



この作品は小林清親の作品の中では有名な作品ですね。



この図柄は、厩橋の上空で炸裂する稲妻の閃光を描いたもの。橋の傾斜はフラットに近い木橋ですが、手前の岸が隅田川のどちら側かわからりません。いづれにしても今とは違って田舎びた感じです。

夜空は雲に隠れ真っ暗ですが、雲間から月の光が覗き、手前では、道行く人の提灯の光だけが輝いて、ほとんどのものが闇夜に隠れています。



小林清親の作品は本ブログに肉筆画を含めて幾つかの作品が投稿されていますが、「光線の版画家」と称せられるように夜の光を描くのが得意の版画家です。



厩橋(おんまやばしのず)は、明治7年(1874)に架けられ、当時はまだ新しい橋でした。名前の由来は、幕府の厩があった西岸を御厩河岸と呼んだことから来ているようで、民間の橋でありながら渡り賃をとったことから賃取り橋と呼ばれていたそうです。

架けられたのは、駒形橋の下流で、ここに以前は御厩の渡しがあったので、当初は御厩橋と呼ばれていました。この橋が出来たことで、東京の幹線道路の一つである春日通りが、この橋を挟んで東京の東西を一本に貫くようになりました。厩橋はその後、二度改修され今日の姿に至っており、今日の三連式アーチ型鉄橋は、昭和4年に、震災復興事業の一環として架けられたものです。

 

本作品が属する「東京名所図」シリーズは、明治9年 から14年まで5年間で全93景描かれ、明治初めの東京を知る大切な資料と言われています。

「東京名所図」が当時圧倒的な人気を呼んだのは、西洋画のようにリアルな光景が、 夕陽や月光や雪などが醸し出す風情とともに描き出されていたからです。 蒸気機関車や西洋 建築の新橋駅、人力車など、文明開化を象徴しています。最先端の風物を描いても、江戸伝来の風景版画とは違う新しさがありました。 広重のようなデフォルメもなく、写実で景色を切り取る技量と視点は確かなもので、現代の東京とは思えない景色となっており、現在では懐かしさを覚える作品となっています。



「光線の版画家」と異名のある小林清親の真骨頂の代表作と言えるでしょう。

*なおオリジナルか復刻版かについては当方ではよく解りませんし、それはマニアックなことと判断しており、それなりの作品を選択しますが、当方は実に無頓着ですのでご了解下さい。



作品に似合った額を選ぶのも蒐集の楽しみにひとつですね。






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