夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

韓信之股潜図 寺崎廣業筆 その59

2017-08-30 00:01:00 | 掛け軸
我が家の大型テレビがとうとうダウン・・・

画像が突然映らなくなるというトラブルが最近続発するので、思い切って新しいテレビに買い換えました。しかも2台・・・。

ところで4K対応と言いながら、4Kの本格的な放送開始予定は来年の12月とは知りませんでした 
ショップで展示してあるテレビの画像は4K専用のデモ用ビデオらしい。BSかケーブルテレビでは放映しているとか?



テレビの購入ポイントで掃除機をゲット! 家を掃除するのは最近は小生の役割なので小生の要望でコードレス! サスペンスドラマ以外はテレビをあまり見ない小生は、テレビよりこちらが欲しかった!



こいつは優れもの!



小生と息子が夢中になっているプラレールですが、予定外の出費ゆえ、しばらくはおもちゃの購入はお見送り! 息子は掃除機がおもちゃと思っている節があるようですが・・。

さて、本日は寺崎廣業の「韓信之股潜図」を描いた作品の紹介です。なんども投稿される寺崎廣業の投稿となるとアクセス件数が大幅に減少するようです。

*現在はブログの順位を公開していますが、順位がだいたい1500~2000番目くらいですが、その母数が275万です。275万というのはずいぶん多いものです。

韓信之股潜図 寺崎廣業筆 その59
紙本水墨着色軸装 軸先鹿骨 合箱
全体サイズ:縦220*横580 画サイズ:縦1290*横440



この作品は最初見たときに寺崎廣業の作品とは思えませんでした。しかし当方は真作と判断しています。理由は「巧い」からです。一見すると同じ郷里出身の奇才の画家、倉田松濤の作品のように見えます。



「韓信之股潜図」はすでに当方では下記の三作品にて紹介されています。

韓信之図 伝長沢芦雪筆
紙本水墨淡彩絹装軸軸先鹿骨 時代杉合箱入
全体サイズ:縦1830*横1000 画サイズ:1540*915



上記の作品はすでに贋作と判断して処分しており、手元にありません。

下記の作品は郷里出身の画家である倉田松涛の代表作ということもあり、手元に遺してあります。

韓信之股潜図 倉田松涛筆
絹本水墨着色軸装 軸先象牙 極箱
全体サイズ:縦2370*横660 画サイズ:縦1390*横500



下記の作品もまた郷里に近い青森出身の画家という理由で、手元に遺してあります。

韓信之股潜図 野沢如洋筆
絹本水墨着色軸装 軸先 合箱
全体サイズ:縦1810*横510 画サイズ:縦1130*横400



このように多くの画家によって「韓信之股潜図」は画題として描かれています。

本日紹介している寺崎廣業の描いた「韓信之股潜図」は下記の作品と同時期に描いた作品です。

護良親王図 寺崎廣業筆
水墨着色絹本幡山鑑定箱二重箱
画サイズ:横498*縦1148



この作品は昭和24年5月26日に開催された寺崎廣業名作展に出品されています。「昭和16年晩春幡山道人鑑定」と箱書には記されています。

題材の「護良親王(1308年~1335年)」は後醍醐天皇の皇子で、落飾して尊雲と称して大塔宮ともいい著名ですね。倒幕を図り還俗、奈良・吉野・高野に潜行し、諸国に令旨を発して建武中興を招来して征夷大将軍に任じられましたが、のちに足利尊氏のために鎌倉に幽閉、足利直義の家臣、淵辺義博に殺されています。その幽閉の様子を描いた作品です。

叔父が所蔵していましたが、叔父が亡くなった後に手放されています。暗い感じのする作品ですが、寺崎廣業の代表作と言えます。落款と印章から明治40年頃の作と推察されます。

 

現在は非常に評価の低い寺崎廣業の作品ですが、昨年は生誕150年を迎えた展覧会が催されるなど再評価される機会が多くなっているようです。



寺崎廣業の作品は、力作でない作品の数が非常に多い。また贋作、印刷作品が多いなど蒐集する側からは忌み嫌われる傾向のある画家ですが、郷里出身の画家であることから今後はさらに吟味することで秀作を見つけていきたいと思います。



「韓信之股潜」で有名な韓信ですが、その人物像は一言では語れない複雑なものがあります。



人によっては好きになれない人物という評価もあります。



謀略の飛び交う中国の当時の時代では当たり前のことでしたでしょうが、策略家ゆえの謀略であったのでしょう。



「韓信之股潜」のように目先のことはさておいてという生き方のようです。



「韓信之股潜」は目先のことには腹を立てないという教訓の画題です。肝に銘じておきましょう。



表具も標準といったところ、明治末期の寺崎廣業の作品には席画も多いですから、出来のよいものに限定して蒐集するのが肝要のようです。



印章は「寺崎廣業」の白文朱方印のみ。上記の「護良親王図」の印章のひとつと同一印章のようです。

 

落款は「二本廣業」ですから、明治40年より少し前頃かと推察されます。






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