忙しく短い帰郷でも、郷里の男の隠れ家にて息子が寝静まった夜遅く手入れしきた漆器の第3弾です。
箱には「洗朱吸椀 二十人揃」とあります。
この作品は昨日、紹介した朱塗とは違い木地がとても薄くなっています。蒔絵の漆器は一般に木地は薄いのが原則でしょう。華奢にして華麗さが強調されています。
蓋の表には飛翔する双鶴が蒔絵で描かれています。
裏には松に旭日が描かれています。旭日部分の銀が酸化して黒くなっています。
見込みには亀・・・。軽~い蒔絵、出来は良いようです。漆の塗りが丁寧ですね。
結婚式か正月か、いずれ祝い膳用でしょう。どこにでもあった祝い用の漆器ですが、このような完品の揃いで遺っていることが珍しくなりました。出来の良い、丁寧な作りの作品だから完品で遺っているのでしょう。
本日の作品紹介です。本格的な作品の入手が難しい画家の作品は色紙の作品だと手頃な値段で入手できることがあります。本日はそのような画家の色紙の作品の紹介です。
巴里 色紙 田村孝之助筆
紙本水彩 色紙 タトウ
画サイズ:縦270*横240
資金が不足しているので、色紙の作品で手頃な値段のなにかめぼしい作品がないかと物色してみたら、ネットオークションにて本作品を1万円ほどで落札しました。
戦後、渡欧した頃のパリを描かれた作品と推定されます。
おそらく本ブログでは初めて紹介する画家だと思います。田村孝之介に関する来歴は下記のとおりです。
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田村孝之介:(たむら こうのすけ) 1903年9月8日~ 1986年6月30日洋画家、文化功労者。 明治36(1903)年9月8日、大阪市に生まれる。本名大西孝之助。大正9年上京して太平洋画会研究所に学ぶが、翌年大阪に帰り小出楢重に師事。同13年小出らが信濃橋洋画研究所を創立すると同所で修学し、ひき続き小出、鍋井克之の指導を受ける。同年第1回大阪市美術協会展に「静物」を初出品、同15年第7回中央美術展に出品し中央画界に登場する。昭和2年第14回二科展に「裸婦立像」「風景」で初入選。同11年同展に「薄衣」「噴水」「海風」を出品して奨励を受賞。翌12年二科会員に推される。
妻・ふきとともに(昭和29年:1954年)
戦後は二科会再建に参加せず宮本三郎らとともに9人の創立会員をもって二紀会を結成し、以後同会に出品を続ける。27年渡欧しフランス、オランダ、ベルギー、イタリア、スペインなどを巡って翌年帰国、同37年渡米し、7ケ月滞在の後ヨーロッパをまわって38年10月帰国する。以後たびたび渡欧し、ヨーロッパ風景を多く描く。49年宮本三郎の死去に伴い二紀会理事長に就任。
59年日本芸術院会員となり、60年文化功労者として顕彰された。フォーヴ的な明るい色彩と装飾性を特色とし、主に裸婦、風景画を描き、モダニズムが感じられる風俗画に魅力的な作品を残した。著書に『スケッチの技法』(昭和33年、美術出版社)、『大阪 わがふるさとの……』(藤沢恒夫と共著、同34年、中外書房)があり、52年には『田村孝之介画集』(日動出版)が刊行された。胃かいようのため東京都渋谷区の中央鉄道病院で死去した。享年82歳。
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なんでも鑑定団には下記の作品が出品されたようです。
参考作品
赤富士 田村孝之介画
2013年02月01日 なんでも鑑定団出品作
評価金額:150万
箱根芦ノ湖から見た赤富士の風景だそうです。
なお1970年頃、人形の絵を集中して書いていた時期があり、その頃の人形シリーズは人気作となっており、下記の作品もなんでも鑑定団に出品されています。
評価金額は90万だそうですが、現在ではそれほど売買金額は高くなく、例にもれず「なんでも鑑定団」の評価金額の10分の1が妥当でしょう。
本日紹介した作品は真作と思われますが、こちらの落札した金額は妥当か否かは分かりません。
色紙額は安っぽいものではなく、それなりに高級感のあるものがいいですね。
色紙額はいいものを2~3点あると作品を取り替えて楽しめますね。
箱には「洗朱吸椀 二十人揃」とあります。
この作品は昨日、紹介した朱塗とは違い木地がとても薄くなっています。蒔絵の漆器は一般に木地は薄いのが原則でしょう。華奢にして華麗さが強調されています。
蓋の表には飛翔する双鶴が蒔絵で描かれています。
裏には松に旭日が描かれています。旭日部分の銀が酸化して黒くなっています。
見込みには亀・・・。軽~い蒔絵、出来は良いようです。漆の塗りが丁寧ですね。
結婚式か正月か、いずれ祝い膳用でしょう。どこにでもあった祝い用の漆器ですが、このような完品の揃いで遺っていることが珍しくなりました。出来の良い、丁寧な作りの作品だから完品で遺っているのでしょう。
本日の作品紹介です。本格的な作品の入手が難しい画家の作品は色紙の作品だと手頃な値段で入手できることがあります。本日はそのような画家の色紙の作品の紹介です。
巴里 色紙 田村孝之助筆
紙本水彩 色紙 タトウ
画サイズ:縦270*横240
資金が不足しているので、色紙の作品で手頃な値段のなにかめぼしい作品がないかと物色してみたら、ネットオークションにて本作品を1万円ほどで落札しました。
戦後、渡欧した頃のパリを描かれた作品と推定されます。
おそらく本ブログでは初めて紹介する画家だと思います。田村孝之介に関する来歴は下記のとおりです。
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田村孝之介:(たむら こうのすけ) 1903年9月8日~ 1986年6月30日洋画家、文化功労者。 明治36(1903)年9月8日、大阪市に生まれる。本名大西孝之助。大正9年上京して太平洋画会研究所に学ぶが、翌年大阪に帰り小出楢重に師事。同13年小出らが信濃橋洋画研究所を創立すると同所で修学し、ひき続き小出、鍋井克之の指導を受ける。同年第1回大阪市美術協会展に「静物」を初出品、同15年第7回中央美術展に出品し中央画界に登場する。昭和2年第14回二科展に「裸婦立像」「風景」で初入選。同11年同展に「薄衣」「噴水」「海風」を出品して奨励を受賞。翌12年二科会員に推される。
妻・ふきとともに(昭和29年:1954年)
戦後は二科会再建に参加せず宮本三郎らとともに9人の創立会員をもって二紀会を結成し、以後同会に出品を続ける。27年渡欧しフランス、オランダ、ベルギー、イタリア、スペインなどを巡って翌年帰国、同37年渡米し、7ケ月滞在の後ヨーロッパをまわって38年10月帰国する。以後たびたび渡欧し、ヨーロッパ風景を多く描く。49年宮本三郎の死去に伴い二紀会理事長に就任。
59年日本芸術院会員となり、60年文化功労者として顕彰された。フォーヴ的な明るい色彩と装飾性を特色とし、主に裸婦、風景画を描き、モダニズムが感じられる風俗画に魅力的な作品を残した。著書に『スケッチの技法』(昭和33年、美術出版社)、『大阪 わがふるさとの……』(藤沢恒夫と共著、同34年、中外書房)があり、52年には『田村孝之介画集』(日動出版)が刊行された。胃かいようのため東京都渋谷区の中央鉄道病院で死去した。享年82歳。
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なんでも鑑定団には下記の作品が出品されたようです。
参考作品
赤富士 田村孝之介画
2013年02月01日 なんでも鑑定団出品作
評価金額:150万
箱根芦ノ湖から見た赤富士の風景だそうです。
なお1970年頃、人形の絵を集中して書いていた時期があり、その頃の人形シリーズは人気作となっており、下記の作品もなんでも鑑定団に出品されています。
評価金額は90万だそうですが、現在ではそれほど売買金額は高くなく、例にもれず「なんでも鑑定団」の評価金額の10分の1が妥当でしょう。
本日紹介した作品は真作と思われますが、こちらの落札した金額は妥当か否かは分かりません。
色紙額は安っぽいものではなく、それなりに高級感のあるものがいいですね。
色紙額はいいものを2~3点あると作品を取り替えて楽しめますね。