展示室の収納棚を整理していたら柱時計が出てきました。以前に紹介した下記の写真の柱時計は明治4年にアメリカから輸入されたもので、展示室に掛けられています。
今回出てきた作品は日本製です。「SEIKOSYA」というのは「精工舎」つまり今のセイコーのことですね。1892年(明治25年)創業ですから、それ以降の作品でしょう。
義父と義母によるとこの他に「日本で最初に作られた柱時計」もあったそうですが、地元の時計店に修理に出した際に戻ってこなかったそうです。あくどいことをするものです。
同じようなことが郷里でもありました。男の隠れ家にあった書道家の「山口蘭渓の手習い書を」近くに神社が義父から借りていったそうですが、いつまでも返却せず神社に展示したままだそうです。義父が亡くなった後も返却せず今でもそのままです。
柱時計の価値は知る由もありませんが、地元の時計の修理店といい、郷里の神社といい、こういう行為は碌なことにはなりません。
当然、この柱時計らの部品はもうないとのことで、その後に修理を依頼した都内の修理店では動かさないほうがいいという指示でしたので、きちんと動くのですが、今は展示だけで柱時計は動かさずにそのままにしています。
さて本日は新垣栄三郎の窯変のお茶碗についての続編です。
中央の「その7」が壺屋焼の典型的な新垣窯の赤絵の作品です。両側が新垣窯の窯変茶碗で、右側が「その8」となる以前に投稿した共箱付の窯変茶碗です。
小汚い茶碗と敬遠されるかとも多いと思われますが、その釉薬の変化には面白みがあります。
壺屋焼 窯変茶碗 その2 新垣栄三郎作 その9
共箱
口径110*最大幅120*高台径60*高さ73
壺屋焼 窯変茶碗 新垣栄三郎作 その8
共箱
口径122~126*高台径54~55*高さ82
壺屋焼 赤絵茶碗 新垣栄三郎作 その7
合箱
口径130*高台径60*高さ80
民芸作品のお茶碗は正式なお茶会には不向きであると本ブログで記述していますが、それはこの茶碗においても変わりはありませんが、身内のお茶会では使ってみても面白いかもしれないと思わせてくれる窯変茶碗です。
「その8」よりも見込みはきれいになっています。高台内の彫銘もオーソドックスになっています。共箱はありませんが新垣窯の窯変茶碗に相違ありません。
バーナードリーチの沖縄での大皿の作品のずべてが轆轤成型は新垣栄三郎が作ったそうで、その轆轤や削りの技術はしっかりしたものです。
このような釉薬は海鼠釉という釉に似ていますね。
意図的に狙える発色ですが、その確率は非常に低く、とくに高温の窯にて焼成されるようです。
胎土が見えている部分が味わいを持たせています。失敗作と判断したのか共箱ではありませんが、壺屋焼に共箱は似合いません。
茶碗に使える器となるとさらに確率は低くなり、希少価値としても高い「窯変茶碗」です。当時は人気があったのでしょうが、今では知る人も少なくなったようです。廉価にて入手できますので、民芸ファンの方はひとついかがでしょうか。
今回出てきた作品は日本製です。「SEIKOSYA」というのは「精工舎」つまり今のセイコーのことですね。1892年(明治25年)創業ですから、それ以降の作品でしょう。
義父と義母によるとこの他に「日本で最初に作られた柱時計」もあったそうですが、地元の時計店に修理に出した際に戻ってこなかったそうです。あくどいことをするものです。
同じようなことが郷里でもありました。男の隠れ家にあった書道家の「山口蘭渓の手習い書を」近くに神社が義父から借りていったそうですが、いつまでも返却せず神社に展示したままだそうです。義父が亡くなった後も返却せず今でもそのままです。
柱時計の価値は知る由もありませんが、地元の時計の修理店といい、郷里の神社といい、こういう行為は碌なことにはなりません。
当然、この柱時計らの部品はもうないとのことで、その後に修理を依頼した都内の修理店では動かさないほうがいいという指示でしたので、きちんと動くのですが、今は展示だけで柱時計は動かさずにそのままにしています。
さて本日は新垣栄三郎の窯変のお茶碗についての続編です。
中央の「その7」が壺屋焼の典型的な新垣窯の赤絵の作品です。両側が新垣窯の窯変茶碗で、右側が「その8」となる以前に投稿した共箱付の窯変茶碗です。
小汚い茶碗と敬遠されるかとも多いと思われますが、その釉薬の変化には面白みがあります。
壺屋焼 窯変茶碗 その2 新垣栄三郎作 その9
共箱
口径110*最大幅120*高台径60*高さ73
壺屋焼 窯変茶碗 新垣栄三郎作 その8
共箱
口径122~126*高台径54~55*高さ82
壺屋焼 赤絵茶碗 新垣栄三郎作 その7
合箱
口径130*高台径60*高さ80
民芸作品のお茶碗は正式なお茶会には不向きであると本ブログで記述していますが、それはこの茶碗においても変わりはありませんが、身内のお茶会では使ってみても面白いかもしれないと思わせてくれる窯変茶碗です。
「その8」よりも見込みはきれいになっています。高台内の彫銘もオーソドックスになっています。共箱はありませんが新垣窯の窯変茶碗に相違ありません。
バーナードリーチの沖縄での大皿の作品のずべてが轆轤成型は新垣栄三郎が作ったそうで、その轆轤や削りの技術はしっかりしたものです。
このような釉薬は海鼠釉という釉に似ていますね。
意図的に狙える発色ですが、その確率は非常に低く、とくに高温の窯にて焼成されるようです。
胎土が見えている部分が味わいを持たせています。失敗作と判断したのか共箱ではありませんが、壺屋焼に共箱は似合いません。
茶碗に使える器となるとさらに確率は低くなり、希少価値としても高い「窯変茶碗」です。当時は人気があったのでしょうが、今では知る人も少なくなったようです。廉価にて入手できますので、民芸ファンの方はひとついかがでしょうか。