夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

氏素性の解らぬ作品 李朝面取壷と椿 椿貞雄筆

2020-06-15 00:01:00 | 日本画
本ブログではおそらく初めての洋画家「椿貞雄」の作品の紹介です。まだまだ当方では知らないことが多い画家ですので、真贋などの判断はできかねています。李朝の面取の花入れを描いている点から興味を抱いての入手ですので、画家の名前くらいは知っていましたが、実は画家その人に興味があっての入手ではありません。

*有名な女優が頂いたり、受賞の際の記念の作品を片っ端から処分していた際に、その中に有名な彫刻家の作品や椿貞雄の作品があったので、とおりががりで見ていた方が慌ててもらってきたという話を聞いたことがあります。

知らない人は知らない、興味ない人は興味がない、ただ世の中には最低知っておくべきことがありますが、そのひとつが美的知識・・・・???



氏素性の解らぬ作品 李朝面取壷と椿 伝椿貞雄筆
紙本水墨淡彩額装 誂タトウ入
色紙サイズ 3号 画サイズ:縦265*横235



ひと時代前の知識人は本作品に描かれている李朝や中国陶磁器の知識は一通り持っていたのですが、現代の人はどうなんでしょうか? 絵に描かれている器の種類を言い当てる人は少なくなったように思われます。

本作品は色紙の大きさですが、額装にする際に張り直しているのでしょうか?



椿貞雄の画歴は下記の通りです。

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椿 貞雄:(つばき さだお)1896年2月10日 ~1957年12月29日。大正~昭和の洋画家。

1896年(明治29年)、山形県米沢市に生まれる。医師を目指し早逝した長兄の影響で画家を志すようになりました。

1914年(大正3年)に上京し、岸田劉生の個展を見て衝撃を受け、彼に会いに行こうと決意し、自作の油絵を携えて劉生の自宅に向かい、ここで自画像を褒められたことから、劉生との交流が始まります。椿は生涯劉生に師事し、劉生の画風に強く影響されながら作品を制作しました。

武者小路実篤をはじめとする白樺派のヒューマニズムに影響を受けた劉生は「油絵という西欧伝来の画法を用いて日本人の心を描く」という理想を抱いていました。

椿はその理想に共鳴し、1915年、劉生とともに草土社の結成に参加することになります。この頃の椿の代表作に『冬枯れの道』があります。この後も春陽会、大調和会と画壇ではつねに劉生と行動をともにしました。

1917年劉生が結核の療養目的で神奈川県鵠沼に転居すると自らもそこに移り住み、頻繁に互いの家を往き来しました。



白樺派のヒューマニズムに影響を受けた劉生は「油絵という西欧伝来の画法を用いて日本人の心を描く」という理想を抱いており、椿はその理想に共鳴し、ともに草土社の創立に参加しています。草土社の画家たちは草や土までを克明に描き出すことで「内なる美」を描くことを目指しており独自の美術運動を展開しました

1920年頃より劉生は東洋絵画に強い関心を抱き、日本画の制作も行っています。椿も日本画制作を開始し、代表作には『冬瓜図』があります。また、劉生の『麗子像』に影響されて幼女をデロリの表現を取り入れながら描く『童女像 (毛糸の肩掛をした菊子)』などの作品を発表しました。

1926年、船橋尋常高等小学校の図画教師として採用されたことで千葉県船橋市に転居。

1927年、慶応義塾幼稚舎の図画教師として勤務。

1929年に劉生が亡くなると椿はひどく悲しみ、制作に行き詰まるほどの状態となります。心配した周囲のものに洋行を勧められ、パリで個展を開催。帰国後は劉生の影響を感じさせないのびのびとした作風となり、日本の雄大な自然を明るくおおらかな作品に仕上げた『桜島』などの作品を描いています。

劉生亡き後、椿はその理念の正当な継承者となります。自らの言葉「画道精進(がどうしょうじん)」に象徴されているように、生涯を閉じるまで、日本人の油絵を描き、写実の道を追及し続けました。

戦後、孫に囲まれた平和な暮らしが訪れると、それまでの重厚な色調に明るい大らかさが加わるようになりました。家族への愛情の中に新しい表現を見出したのでしょう。『祖母と孫』に代表される孫を温かい眼差しで描いた作品も多く残しており、義兄である白樺派同人、長與善郎は、椿が描いた愛情あふれる家族の肖像に対し、「愛情の画家・椿」という一文を草しました。そうした椿の暮らしぶりは彼の日記にも遺されています

1957年、千葉県船橋市で亡くなる。享年61歳。

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この作品には日本画における岸田劉生の影響が見られ、写実を通して精神的な「内なる美」の表現を目指すという趣向がうかがえます。

*岸田劉生はかなり気難しい性格だったとなにかの記事で読んだことがあります。



小品ながら李朝の釉薬や椿の表現には並々ならぬ力量がうかがえます。



本作品は印章のみに作品で、右側はインターネット上での参考作品からの印章と比較してみました。

 

上記の印章ではインターネット上に下記の作品がありましたので参考にしました。

参考作品

紙・水彩・額装 3号 落款 鑑定登録証書
画寸(縦x横): 27.2 x 24.2 cm



椿貞雄の作品には下記の鑑定証が必要だろうと思われますが、当方の及ぶところではありません。。



李朝の面取り壺にあこがれてしまうのは蒐集する者の性・・・・。


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