今年のお盆も無事に帰省から帰宅しました。その報告は後日としまして、最後の夜は月がとてもきれいな夜でした。郷里の男の隠れ家の門の脇の松の木はなにも植えていないのに新築から数年後に生えてきたものです
母から妻まで脈々と手入れが続いております。
洗濯物の整理に手伝う息子ですが、洗濯物入れの箱がお気に入りのようです。
今から箱入り息子??
さて、いままではインターネットオークションにも真作が出品されることが少なかった福田豊四郎の作品ですが、最近、郷里では作品が流通し始めたようです。どうしてでしょうか?
この夏の帰省でも5作品を骨董店で紹介され、3作品を購入しました。また出来の良い一作品を蒐集していた故人のコレクションから見せていただきました。
本ブログでの紹介は福田豊四郎の作品については一部の作品にとどめていますが、上記の理由でここ数年で作品数が増え、50作品を超えてきました。
月下孤松 福田豊四郎筆 その55
紙本水墨軸装 軸先象牙 秋田美術倶楽部鑑定書添付 箱入
全体サイズ:横460*縦2120 画サイズ:横320*縦1307
作品を見た家内が、「この作品が好き!」だと・・・。
贋作が多い店からの購入なのですが、その中から唯一、真作と判断しての購入です。当方は福田豊四郎の真作のみ所蔵しています。
落款・印章は他の所蔵作品「土筆」、「百合」に一致します。福田豊四郎にも贋作が多数ありますが、本ブログの作品は「伝」と明記しないかぎり真作のみの投稿となっています。
本作品には秋田美術倶楽部の鑑定書が添付されています。
鑑定書は必要なく、明らかな真作です。贋作が多い店ゆえに売買には必要でしょうが、現在は鑑定に必要な費用より作品の方が安いかもしれません。
本作品の構図からちょっと高いところに掛けて月を楽しむがごときに鑑賞するのがいいようです。
松に月、現実に必ずどこかで見たことのある景色です。
写実を超えたデフォルメされた描き方は晩年の福田豊四郎のこの当時独特の表現方法です。
墨一色で描かれたその世界は見る者を引き込んでいきます。
前述の「出来の良い一作品を蒐集していた故人のコレクションから見せていただきました。」という作品は本作品と同時期の作で「竹」という題名の作品でした。欲しかったのですが、譲る気はなさそうでした
我が郷土の画家、福田豊四郎をもっと「知ろう」というのは駄洒落
夕刻に息子が縁側から松の木の上の月を見つけて「パパ、とって!」だと・・。絵本の噺らしい。
今年の夏の帰省の最後の夜は月を見ながら「きれいだね、また来ようね。」と申しておりました。
息子と骨董の話ができるのはあと何年先かな? 骨董はある場面場面に作品が絡んできて思い出になっていく役割も担っているようです。
母から妻まで脈々と手入れが続いております。
洗濯物の整理に手伝う息子ですが、洗濯物入れの箱がお気に入りのようです。
今から箱入り息子??
さて、いままではインターネットオークションにも真作が出品されることが少なかった福田豊四郎の作品ですが、最近、郷里では作品が流通し始めたようです。どうしてでしょうか?
この夏の帰省でも5作品を骨董店で紹介され、3作品を購入しました。また出来の良い一作品を蒐集していた故人のコレクションから見せていただきました。
本ブログでの紹介は福田豊四郎の作品については一部の作品にとどめていますが、上記の理由でここ数年で作品数が増え、50作品を超えてきました。
月下孤松 福田豊四郎筆 その55
紙本水墨軸装 軸先象牙 秋田美術倶楽部鑑定書添付 箱入
全体サイズ:横460*縦2120 画サイズ:横320*縦1307
作品を見た家内が、「この作品が好き!」だと・・・。
贋作が多い店からの購入なのですが、その中から唯一、真作と判断しての購入です。当方は福田豊四郎の真作のみ所蔵しています。
落款・印章は他の所蔵作品「土筆」、「百合」に一致します。福田豊四郎にも贋作が多数ありますが、本ブログの作品は「伝」と明記しないかぎり真作のみの投稿となっています。
本作品には秋田美術倶楽部の鑑定書が添付されています。
鑑定書は必要なく、明らかな真作です。贋作が多い店ゆえに売買には必要でしょうが、現在は鑑定に必要な費用より作品の方が安いかもしれません。
本作品の構図からちょっと高いところに掛けて月を楽しむがごときに鑑賞するのがいいようです。
松に月、現実に必ずどこかで見たことのある景色です。
写実を超えたデフォルメされた描き方は晩年の福田豊四郎のこの当時独特の表現方法です。
墨一色で描かれたその世界は見る者を引き込んでいきます。
前述の「出来の良い一作品を蒐集していた故人のコレクションから見せていただきました。」という作品は本作品と同時期の作で「竹」という題名の作品でした。欲しかったのですが、譲る気はなさそうでした
我が郷土の画家、福田豊四郎をもっと「知ろう」というのは駄洒落
夕刻に息子が縁側から松の木の上の月を見つけて「パパ、とって!」だと・・。絵本の噺らしい。
今年の夏の帰省の最後の夜は月を見ながら「きれいだね、また来ようね。」と申しておりました。
息子と骨董の話ができるのはあと何年先かな? 骨董はある場面場面に作品が絡んできて思い出になっていく役割も担っているようです。