
当方での男の隠れ家での蒐集品の整理には各々のて置き場所が決まっています。掛け軸は長さ別に整理されています。長さ別に小、中。、大、特大、そして特別作品の4か所の収納場所が決まっています。これによってほぼ100%どこに収納されていたのか分かります。ただ各々の男の隠れ家にそれぞれあるのでどこの家かが分ららくなる・・・
たとえば一番短い「小」の掛け軸は下記の棚になります。むろん贋作・駄作ははじかれて処分されています。

さて、蓑虫山人の作品は当方の郷里周辺で入手できることが多いようです。当方の郷里近辺に長らく滞在していたことが主な原因でしょうが、郷里の付近で手放す人が多いというのは過疎化も原因のひとつではないかと危惧しています。もともと蓑虫山人の作品は地元の素封家が所蔵していたものですが・・。
明治甲申 中野山水図 蓑虫山人筆 その18
紙本淡彩軸装 合箱
全体サイズ:横1027*縦1790 画サイズ:横896*縦1125

2018年5月青森の骨董店より入手した作品です。
蓑虫山人は1877年(明治10年 42歳)~1896年(明治29年 61歳)までの長きにわたり東北を遍歴しており、「1884年(明治17年 甲申 49歳)に枝川(現田舎館村)の工藤家に滞在し、その年の秋、大鰐の加賀助旅館滞留、中野(現黒石市)中野神社に遊ぶ。」という記録がありますので、その頃に近い頃ではと当方では推定しています。
そのためこの作品は仮題として「明治甲申(明治17年)山水図」と題しています。根拠は作品の出たところからによります。

弘前周辺にいた頃の蓑虫山人は大きな作品を数多く描いていたようです。壮年期を迎え一番創作が進んだ頃なのかもしれません。ただそれでもこれほどの大幅は稀にしか見つかりません。

弘前は津軽富士を冠した平野、そこから少し南下すると中野の付近の低山岳地帯があり、温泉豊かなで風光明媚なところです。

蓑虫山人は紅葉を愉しみながら、また縄文期の遺跡も近くに多々あり、のんびりと愉しみながら過ごしたことでしょう。

落款と印章は上記の通りです。蓑虫山人にも贋作はありますのでご注意ください。
手放される方が多くなるのは当方の蒐集作品数は増えるのですが、ちょっと寂しい限りです。
*いつも思うのですが、インターネットで検索しても参考となる落款や印章のデータが単発程度にしか見つかりません。ひと時代前は「贋作の資料となる可能性がある」として印章のサイズを変えたりした文献資料のみでしたが、現在は日本書画の贋作を製作する人は稀でしょうから、きちんとした資料を公開する御仁がいて欲しいと思います。インターネットオークションの贋作防止にも役立つと思うのですが・・。そういう観点から本ブログが少しでも役立てる点があれば幸いだと思っています。

たとえば一番短い「小」の掛け軸は下記の棚になります。むろん贋作・駄作ははじかれて処分されています。

さて、蓑虫山人の作品は当方の郷里周辺で入手できることが多いようです。当方の郷里近辺に長らく滞在していたことが主な原因でしょうが、郷里の付近で手放す人が多いというのは過疎化も原因のひとつではないかと危惧しています。もともと蓑虫山人の作品は地元の素封家が所蔵していたものですが・・。
明治甲申 中野山水図 蓑虫山人筆 その18
紙本淡彩軸装 合箱
全体サイズ:横1027*縦1790 画サイズ:横896*縦1125

2018年5月青森の骨董店より入手した作品です。
蓑虫山人は1877年(明治10年 42歳)~1896年(明治29年 61歳)までの長きにわたり東北を遍歴しており、「1884年(明治17年 甲申 49歳)に枝川(現田舎館村)の工藤家に滞在し、その年の秋、大鰐の加賀助旅館滞留、中野(現黒石市)中野神社に遊ぶ。」という記録がありますので、その頃に近い頃ではと当方では推定しています。
そのためこの作品は仮題として「明治甲申(明治17年)山水図」と題しています。根拠は作品の出たところからによります。

弘前周辺にいた頃の蓑虫山人は大きな作品を数多く描いていたようです。壮年期を迎え一番創作が進んだ頃なのかもしれません。ただそれでもこれほどの大幅は稀にしか見つかりません。

弘前は津軽富士を冠した平野、そこから少し南下すると中野の付近の低山岳地帯があり、温泉豊かなで風光明媚なところです。

蓑虫山人は紅葉を愉しみながら、また縄文期の遺跡も近くに多々あり、のんびりと愉しみながら過ごしたことでしょう。

落款と印章は上記の通りです。蓑虫山人にも贋作はありますのでご注意ください。
手放される方が多くなるのは当方の蒐集作品数は増えるのですが、ちょっと寂しい限りです。
*いつも思うのですが、インターネットで検索しても参考となる落款や印章のデータが単発程度にしか見つかりません。ひと時代前は「贋作の資料となる可能性がある」として印章のサイズを変えたりした文献資料のみでしたが、現在は日本書画の贋作を製作する人は稀でしょうから、きちんとした資料を公開する御仁がいて欲しいと思います。インターネットオークションの贋作防止にも役立つと思うのですが・・。そういう観点から本ブログが少しでも役立てる点があれば幸いだと思っています。