陶磁器の世界に古九谷ほども魅力的な作品群はありませんが、贋作、写し、再興とその判別は素人には無理なようです。古九谷などの無傷な大皿があればかなりの高価な値をつけるものもあるようですで、ゆえに市場にはまず出てこないというのが常識のようです。
青手九谷 馬唐草紋大鉢
合箱
口径306*高台径180*高さ75
本作品を特定するには欲張ってまず古九谷か否かから始めましょう。
古九谷は生掛けで焼成されていて、色絵は技術的に試行錯誤していますから未完成で、その作風は決して洗練されたものではありません。古九谷の魅力は大胆で野性味のある構図と色使いで、色絵に力があることです。
それと古九谷の鑑定方法のひとつに器面を反射させ、その色絵の外周の縁に沿って虹彩を観察することがあります。色絵を塗りつぶしている青手以外の作品に用いられる鑑定方法です。色絵にブク(焼成中に生じた釉薬の泡)をを吹いているものがよくありますが、これは焼成温度を高く上げすぎたためです。色絵は700度から750度で焼かれるものですが、おそらく古九谷は800度くらいで焼いています。この800度で焼かれると上絵をのせている素地の釉薬も軟化してくるために、色絵の部分と反応して古九谷独特の虹彩現象となります。
本作品は虹彩は見られますが、裏面の緑釉の下に描かれた紋様は再興九谷の吉田屋窯に見られるもので古九谷にはないと思われます。ゆえに古九谷ではないと思われます。本作品は吉田屋のものか、明治期から戦前に大聖寺で焼かれた吉田屋の写しと絞れます。
青手九谷は緑釉を多く用いて赤を使用しないことからこう呼ばれ、素地も良質の磁石を使用したものと鉄分の多いやや質の悪い素地のものの 二手があります。交趾古九谷・ペルシャ手九谷とも証せられるらいしです。また白抜きが珍重されます、・・・・なぜでしょうかね?本作品は青手の九谷の作品の例に漏れず、四彩(緑、紺青、黄、紫)が用いられています。
高台内は「角福」と呼ばれる二重四角の中に福の吉祥字のある銘があります。
高台内には葉っぱのような紋様が描かれていすが、これは再興九谷によくみられるように思います。
また、古九谷の特徴である緑釉に泡状の釉薬のふくれがありますが、これは古九谷の大きな特徴と文献に書かれていますがどこまで信頼性があるかは解りません。
本作品は古九谷? 再興九谷? 明治期の輸出品? さ~、九谷の時代判定は難しいらしい。絵付けはよく出来ていますが・・・。やはり欲張らずに吉田屋の写しが妥当かな。
なんでも鑑定団には贋作が出品されていましたね。よく出来ている贋作らしいです。
下記の作品は再興九谷として掲載されていますが??
この作品の出来は侮れないもと思います。古九谷などと称して売買しなければ、なかなかの作品です。こういう評価が大切で、真贋のみを評価するのは愚かなことです。
本ブログを呼んだ家内曰く「いい作品ね。」・・、なかなか見る眼があるようだ。そう、この作品は馬の描き方といい。侮れないものがあるように思います。
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青手九谷について
古九谷、吉田屋窯、松山窯で青手九谷が作陶されたとするが、骨董として取引される青手九谷うち、古九谷では350年を経ているため多くが伝世されているとは考えにくい。吉田屋窯では購入時に日用品であるのに箱書きとしてその名を記したとは思われない。松山窯は官営であったため多くが作られたとは思われず、また全般に後世のように作者名が有ったわけではないため、結局伝世の青手九谷の真贋は決めがたいとされる。
市場でこれら窯として取引される伝世品の多くが、次の明治以降のものである可能性が高いと思われる。明治維新(1868年以降)で成った明治政府は、開国に沿って殖産興業を推進し伝統工芸品の輸出を奨励した。そのため九谷では各国の博覧会に出展し名声を得、多くを輸出した。明治前期には九谷焼の8割が輸出に回され輸出陶磁器の1位を占めるようになり、「ジャパン クタニ」のブランドはいやが上にも高まった。
現存する半陶半磁を呈する骨董としての青手九谷の多くがこの時期のものと推量され、また明治前期に輸出された九谷が逆輸入されているものも多い。 青手九谷はその後も徳田八十吉などにより作られ、また現在も工芸品として金沢を中心として売られている。
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本ブログもなんだかんだと九谷の作品が多くなってきました。。もともとは九谷は小生は苦手なのであまり詳しくはないのですが・・。時代の分類は確証がありませんのであくまですべ「伝」ですね。
伝九谷青手 波ニ雲龍合箱
口径245*高台径90*高さ57
伝再興九谷松山窯 青手草花紋深皿古箱
口径313*高台径150*高さ58
青手九谷芭蕉文様鉢古箱入
口径160*高台径*高さ43
九谷庄三の作品
普段使いの器 その4
深厚釉花入 二代徳田八十吉作
高さ285*胴径130*高台径73*口径82 共箱入
豆皿 再興九谷吉田屋
割補修有
口径115*高さ25
三代徳田八十吉の作品群もまた分類は九谷らしいですが、ちょっぴり抵抗がありますね。
花瓶 三代徳田八十吉全体サイズ:縦320*横幅170
彩釉壷 三代徳田八十吉作
胴径220*高さ220 共箱
三代徳田八十吉 その3
本作品のような馬の図柄は数多くあり、本図とまったく同じものも多く存在します。焼き上がりの稚拙なものもあり、量産されたと推察されます。
青手九谷 馬唐草紋大鉢
合箱
口径306*高台径180*高さ75
本作品を特定するには欲張ってまず古九谷か否かから始めましょう。
古九谷は生掛けで焼成されていて、色絵は技術的に試行錯誤していますから未完成で、その作風は決して洗練されたものではありません。古九谷の魅力は大胆で野性味のある構図と色使いで、色絵に力があることです。
それと古九谷の鑑定方法のひとつに器面を反射させ、その色絵の外周の縁に沿って虹彩を観察することがあります。色絵を塗りつぶしている青手以外の作品に用いられる鑑定方法です。色絵にブク(焼成中に生じた釉薬の泡)をを吹いているものがよくありますが、これは焼成温度を高く上げすぎたためです。色絵は700度から750度で焼かれるものですが、おそらく古九谷は800度くらいで焼いています。この800度で焼かれると上絵をのせている素地の釉薬も軟化してくるために、色絵の部分と反応して古九谷独特の虹彩現象となります。
本作品は虹彩は見られますが、裏面の緑釉の下に描かれた紋様は再興九谷の吉田屋窯に見られるもので古九谷にはないと思われます。ゆえに古九谷ではないと思われます。本作品は吉田屋のものか、明治期から戦前に大聖寺で焼かれた吉田屋の写しと絞れます。
青手九谷は緑釉を多く用いて赤を使用しないことからこう呼ばれ、素地も良質の磁石を使用したものと鉄分の多いやや質の悪い素地のものの 二手があります。交趾古九谷・ペルシャ手九谷とも証せられるらいしです。また白抜きが珍重されます、・・・・なぜでしょうかね?本作品は青手の九谷の作品の例に漏れず、四彩(緑、紺青、黄、紫)が用いられています。
高台内は「角福」と呼ばれる二重四角の中に福の吉祥字のある銘があります。
高台内には葉っぱのような紋様が描かれていすが、これは再興九谷によくみられるように思います。
また、古九谷の特徴である緑釉に泡状の釉薬のふくれがありますが、これは古九谷の大きな特徴と文献に書かれていますがどこまで信頼性があるかは解りません。
本作品は古九谷? 再興九谷? 明治期の輸出品? さ~、九谷の時代判定は難しいらしい。絵付けはよく出来ていますが・・・。やはり欲張らずに吉田屋の写しが妥当かな。
なんでも鑑定団には贋作が出品されていましたね。よく出来ている贋作らしいです。
下記の作品は再興九谷として掲載されていますが??
この作品の出来は侮れないもと思います。古九谷などと称して売買しなければ、なかなかの作品です。こういう評価が大切で、真贋のみを評価するのは愚かなことです。
本ブログを呼んだ家内曰く「いい作品ね。」・・、なかなか見る眼があるようだ。そう、この作品は馬の描き方といい。侮れないものがあるように思います。
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青手九谷について
古九谷、吉田屋窯、松山窯で青手九谷が作陶されたとするが、骨董として取引される青手九谷うち、古九谷では350年を経ているため多くが伝世されているとは考えにくい。吉田屋窯では購入時に日用品であるのに箱書きとしてその名を記したとは思われない。松山窯は官営であったため多くが作られたとは思われず、また全般に後世のように作者名が有ったわけではないため、結局伝世の青手九谷の真贋は決めがたいとされる。
市場でこれら窯として取引される伝世品の多くが、次の明治以降のものである可能性が高いと思われる。明治維新(1868年以降)で成った明治政府は、開国に沿って殖産興業を推進し伝統工芸品の輸出を奨励した。そのため九谷では各国の博覧会に出展し名声を得、多くを輸出した。明治前期には九谷焼の8割が輸出に回され輸出陶磁器の1位を占めるようになり、「ジャパン クタニ」のブランドはいやが上にも高まった。
現存する半陶半磁を呈する骨董としての青手九谷の多くがこの時期のものと推量され、また明治前期に輸出された九谷が逆輸入されているものも多い。 青手九谷はその後も徳田八十吉などにより作られ、また現在も工芸品として金沢を中心として売られている。
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本ブログもなんだかんだと九谷の作品が多くなってきました。。もともとは九谷は小生は苦手なのであまり詳しくはないのですが・・。時代の分類は確証がありませんのであくまですべ「伝」ですね。
伝九谷青手 波ニ雲龍合箱
口径245*高台径90*高さ57
伝再興九谷松山窯 青手草花紋深皿古箱
口径313*高台径150*高さ58
青手九谷芭蕉文様鉢古箱入
口径160*高台径*高さ43
九谷庄三の作品
普段使いの器 その4
深厚釉花入 二代徳田八十吉作
高さ285*胴径130*高台径73*口径82 共箱入
豆皿 再興九谷吉田屋
割補修有
口径115*高さ25
三代徳田八十吉の作品群もまた分類は九谷らしいですが、ちょっぴり抵抗がありますね。
花瓶 三代徳田八十吉全体サイズ:縦320*横幅170
彩釉壷 三代徳田八十吉作
胴径220*高さ220 共箱
三代徳田八十吉 その3
本作品のような馬の図柄は数多くあり、本図とまったく同じものも多く存在します。焼き上がりの稚拙なものもあり、量産されたと推察されます。