「遊撃呉器茶碗」という呉器茶碗をご存じでしょうか?
公開処刑? 遊撃呉器茶碗
割れ金継補修跡有 合箱
最大口径140*高さ85*高台径
かなりぼろぼろの仕覆の包まれて箱の納まっていた茶碗です。
割れた跡を金継されていますが、この金継もかなり古そうです。
そもそも呉器茶碗には「整った」「優雅な」茶碗という印象があります。高麗物というと井戸茶碗や三島茶碗、ととや茶碗、御本茶碗などが相対的に数が多く(とは言ってもさほどではない)、より少数のものはあまり知られない傾向にあります。
この呉器茶碗も分類はいくつもあるのに伝来している数は非常に少ないようです。しかもどこでいつ何の用途で用いられたのかもあまりわかっておらず、謎多き茶碗であると言えます。
呉器茶碗(ごき ちゃわん)は高麗茶碗の一種で、御器、五器とも書きます。呉器の名前は、形が椀形で禅院で用いる飲食用の木椀の御器に似ていることに由来するといわれます。一般に、大振りで、見込みが深く、丈が高く木椀形で、高台が高く外に開いた「撥高台(ばちこうだい)」が特色とされます。
素地は、堅く白茶色で、薄青みがかった半透明の白釉がかかります。
呉器茶碗には、「大徳寺(だいとくじ)呉器」、「紅葉(もみじ)呉器」、「錐(きり)呉器」、「番匠(ばんしょう)呉器」、「尼(あま)呉器」などがあります。
「大徳寺(だいとくじ)呉器」:室町時代に来日した朝鮮の使臣が大徳寺を宿舎として、帰国の折りに置いていったものを本歌とし、その同類をいいます。形は大振りで、風格があり、高台はあまり高くありませんが、胴は伸びやかで雄大。口辺は端反っていません。
「紅葉(もみじ)呉器」:胴の窯変が赤味の窯変を見せていることからその名があり、呉器茶碗中の最上手とされています。
「錐(きり)呉器」、:見込みが錐でえぐったように深く掘られて、高台の中にも反対に錐の先のように尖った兜巾が見られるのでこの名があります。
「番匠(ばんしょう)呉器」:形が粗野で釉調に潤いがなく番匠(大工)の使う木椀のようだということでこの名があります。
「尼(あま)呉器」:呉器の中では小ぶりで丈が低く、ややかかえ口なのを尼に譬えたものといいます。
さて本作品は聞いたことのない「遊撃呉器」という勇ましい名前が箱に記されています。
遊撃茶碗とは文禄・慶長の役で朝鮮側の講和使節としてやってきた遊撃将軍が持参した茶碗と同じ手のお茶碗のことをさすとされます。
なかなか作品例がありませんが、インターネット上では下記の写真の作品がありました、
参考作品:遊撃呉器茶碗 銘「蝉丸」 朝鮮時代 17世紀
ちなみに遊撃将軍とは「沈 惟敬(しん いけい、拼音:Shěn wéijìng、シェン・ウェイジン、? - 1597年(万暦25年))」なる人物のことのようで、明代の使節の人物です。文禄の役に明の遊撃軍の将軍付きの使節として派遣され、小西行長や宗義智らとともに和議交渉を持続しましたが欺瞞外交によって、アジア各国の混乱を大きくしたとされます。明使として日本に来朝して大坂城で豊臣秀吉に面会もしています。しかし、欺瞞外交が露呈して慶長の役の再出兵を招いたため、明に帰国後、万暦帝の勅命によって北京で公開処刑されています。
処刑された人物・・、遊撃茶碗という名称に分類される茶碗の数も少ないはずですね。本作品の分類が適切なものかどうかは不明ですが、この割れた跡は「勅命によって北京で公開処刑」という事と繋がるような因縁があるのかな?
本当に骨董は調べれば調べるほどに面白い・・・。