夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

復興への願い & 漆器への郷愁 朱塗蓋付胴紐平碗 20客揃

2024-01-14 00:01:00 | 漆器
帰省した際には息子がやりたがっていたスキーをしようと思い立ったのですが、あいにくの雪不足のためあちこちのスキー場が閉鎖中でした。近郊のスキー場がだめならと阿仁のスキー場まで出向くこととなりました。



少し滑って、小生の衝突した息子は戦意喪失・・・(笑)。そこでゴンドラで中腹まで行くことにしました。



30分ほどの長いゴンドラです。若い頃はここを滑ったはずだが・・。



上るにつれて樹氷・・・、久方ぶりに雪を満喫しました。



さてスキーの次の日は比内鶏の親子丼と冷麺・・。



息子も完食。



帰宅してからは皆で毎年恒例の書初め・・・。



さて当方には漆器が数多くあります。とりたてていい作品ということではなく、実家で法事や祝事を行う機会が多かったことから膳や椀などの食器を揃えておく必要があったことで数多くあるのでしょう。器を揃える必要のあった四つの家の漆器類がいろんな縁で小生のところに集まっています。全部を揃えて並べる場所もない。



その上に実家の先々代が漆器や蒔絵が好きで蒐集していたらしいことからこれだけの量になったのでしょう。かなりの量なので男の隠れ家から整理のために東京まで持ってきている作品が結構あり、その際に整理したまま放置していたので、収納した場所を思い出しながら整理中・・・。

収納場所を失念していた朱塗の椀が見つかりました。

朱塗蓋付胴紐平碗 20客揃
杉箱 男の隠れ家旧蔵品
蓋口径133*高台径65*高さ73



どこにでもありそうな椀?? 否、そうはないとも思えるのですが・・・。



厚手の木地にしっとりと塗られた日本製の漆を使った無地の椀。胴には紐状の凸があります。しっかりとした木地に、しっかりとした漆の塗りある作品は実は少ない・・。それは当時でも高級品であったと思われます。



古い漆器の多くは木地が弱くて割れたり、漆の質が悪くて剥がれたりしている作品がほとんどですね。いいものはまるでさっき出来あがったばかりのようになっています。



それでも漆が痩せてきて、木の目が見えてきていますが、根來のように下の黒漆が出てきているものもあり、日常品としては最上手ですね。



内部はたっぷりと塗られた漆が潤いがあるようなしっとり感があります。磨くとまだまだ光沢が出る感じ・・・。年数を経るとますます艶っぽくなります。

これがさらなる時間経過とともに根来風になっていくのでしょう。



このような感触は中国製の漆を使っている現代の漆器にはないものとされています。



この漆器は形の違うものも所持していますが、こちらは今は郷里の「男の隠れ家」に収納しています。

朱塗蓋付胴紐碗 20客揃
杉箱 男の隠れ家旧蔵品
幅*奥行*高さ(未計測)



各々20客が揃っているのもいいですね。おそらく50客以上の揃いで実家にあったのでしょう。別家である当方には20客揃いで分けられたものと思われます。

古き良き時代の産物・・、さらに出てきた真塗の会席膳。



輪島からの入手らしい。こちらも揃い物で10客ありますが、同様な作品が50客揃いで別にまだあります。



こちらの膳に乗せて鑑賞。根来塗の作品は一日鑑賞しても飽きないとか・・。
そこまでは味わいがないとしても、モノトーンの漆器はとても魅力的ですね。
胴紐がアクセントになっています。



この碗の漆器はどこで作られた作品かは不明です。輪島か? 当方のどこかか? それとも膳と同じく東京で京都や輪島で作られた作品を入手したのか?」

郷里だと有名な「川連漆器」が考えられます。

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川連漆器:国の伝統的工芸品、川連漆器の産地は湯沢市。秋田仏壇の産地でもあり、稲庭うどんの里でもある。今からさかのぼること800年、農業主体の川連村は1年の半分は雪に覆われ、何か副収入を得なければ生活できないほど困窮していた。その折、源頼朝の家臣である小野寺重道公が、平氏討伐に出陣し、大きな手柄をたて、この地を支配することになる。小野寺氏は稲庭に居城し、その弟である道矩は、川連に住まいを移し、農民に内職として武具に漆を塗ることを教えた。漆は藩の計らいで容易に調達でき、また、何よりも自然に恵まれるなど好条件が重なった。奥羽山脈の山ふところに位置し、雄大な皆瀬川を利用した、栗駒山系のブナの原木が木流しされた。漆は、当時の職人が豊富な山林に自ら赴いて漆掻きをするという自給が可能であった。武具から始まった漆塗りも、やがて江戸時代の後期になり、日用食器としての椀づくりが始まる。この頃になると商人も現れ椀師工程絵図も描かれ、いよいよ産業基盤が確固たるものになって行く。



途中、何回も危機に直面し、特に天保の飢鐘、戦後の大不況と大きな危機があり、産地が消滅しかねない状態もあったようですが、当産地は地道に着実に発展を遂げていった。川運漆器の主流は椀であり、6割以上を占めているが、今では幅広いアイテムを開発している



特徴:何回も繰り返される「地塗り」と「中塗り」を経て塗り立てと言われる「花塗り」で仕上げ乾燥するのが特徴。丈夫で使い易く廉価なため、普段使いに喜ばれている実用漆器。お椀などの原材料は、ブナと栃が主。また、重箱などは朴の木を使う。堅牢な下地、中でも「地炭付け」「柿研ぎ」及び生漆を塗る「地塗り」は、代表的な下地工法である。この堅牢さが川連漆器の特徴の一つである。

二つ目の特徴は、上塗りは塗り立てともいわれる「花塗り」。これは、ムラなく平滑に漆を塗り、かつ埃もつけないようにするために、最も高度な技術を要するところである。

三つ目は、沈金技術である。蒔絵よりも歴史は新しく、明治からと言われている。ノミのような沈金カンナで彫刻刀のように押し出すのが輪島に代表される一般的な技術であるが、当地では、手前に引いていわば逆動作をする沈金カンナを開発した。これにより浅彫りが可能となり、繊細で立体感のある沈金ができるようになった。

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ついでに一緒に出てきた揃いの作品も・・・。



いろんな推測をしながら先人の遺した作品を愉しんでいます。

NHKの「美の壺」でも漆器のついての再放送がありましたが、現代ではいい漆器は一部の地域や作家でしか製作されていません。これを除くと純粋な日本製の漆を100%使用してる漆器は古いものにしかありません。しかも出来の良いものにしか漆器独特の艶やかさを醸し出すことができませんね。インタ=ネットオークションなどでいいものを安く探すのも手でしょう。どんどん少なくなっていきます。

今回の能登地震にて輪島塗の産地にも大きな被害が出ているでしょうが、川連塗のように災難を乗り越えて、少しでも早く復興することを祈念するばかりです。









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