本日はお膳の作品ですが、今どきの人には使うこともなくなり、興味の薄い分野の作品かもしれませんね。休日につきご容赦を・・・。
帰省に際して郷里にて整理していた漆器類に説明書を同封し、収納箱の外側に作品の写真を貼り付ける作業を進めています。そうしているうちに下記の作品(作者不詳としていた作品)の蓋裏に作者名が記されていることに気が付きました。というか写真を撮って調べることを忘れていたようです。この作品は以前にも投稿していますが、当方の調査不足により作者につては触れられていませんでした。
リメイク 相雲寺什芹蒔絵膳(模) 小川松民作
20人揃内10人揃 杉箱入
サイズ:縦*横*高さ(未測定)
芹蒔絵膳は芹(せり)が文様となっている膳のこと。芹(せり)が文様になりデザインされた作品は珍しいらしい。「相雲寺」については不明ですが、「相雲寺什芹蒔絵膳」を模作したものと推定されます。
箱裏に「晉々松民 押印(「松民」の白文朱達磨方印)」とあり、調べた結果小川松民の作に相違ないと判断できました。
小川松民は1891年(明治24年)に44歳で亡くなっており、遺っている作品数は少ないらしい。
*東京美術学校(現在の東京芸術大学)で教鞭を執り、後に漆工科の初代教授ともなっているようです。
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小川松民:(おがわ しょうみん)
1847年6月8日(弘化4年4月25日)~891年(明治24年)5月29日)。明治時代の漆芸家である。本名は繁次郎
江戸の日本橋に金具師であった小川忠蔵の子として生まれる。1862年(文久2年)に中山胡民の門人となり蒔絵を学んだ。後に池田孤村の門人となり、尾形光琳の画風を学ぶ。この経験を活かし、古作の蒔絵を模造した漆器の制作にあたった。
明治維新後の1870年(明治3年)に独立して、浅草馬道町に転じる。1876年(明治9年)に開催されたフィラデルフィア万博に出品し視察するために渡米した。帰国後は再度蒔絵を使用した漆器の制作にあたり、1877年(明治10年)に開催された第1回内国勧業博覧会には松民の作品が出品された。以後も多くの賞を受賞し、博物局から正倉院や法隆寺の什物の模造を依嘱されたり、多くの内国勧業博覧会に出品する等、日本国内だけでなく海外でも注目を浴びた。なお、彼の作品は印籠や茶道具等多岐に渡る。
1890年(明治23年)に創設された東京美術学校(現在の東京芸術大学)で教鞭を執り、後に漆工科の初代教授ともなった。同時期に柴田是真らと共に日本漆工会の設立にも携わった。没後は東京都台東区にある谷中霊園に松民の墓が建てられ、「松民居士」と諡号された。
受賞歴
妙技賞第三等 - 1881年(明治14年)、第2回内国勧業博覧会にて。
銀牌 - 1888年(明治21年)および1889年(明治22年)、日本美術協会美術展覧会にて。
妙技二等 - 1890年(明治23年)、第3回内国勧業博覧会にて。
主な作品
『模造 片輪車蒔絵螺鈿手箱』- 東京国立博物館所蔵。原品(東京国立博物館所蔵)
平安時代作、国宝。
『模造 片輪車螺鈿手箱』- 東京国立博物館所蔵。原品(東京国立博物館所蔵)
松江藩主松平家伝来で、鎌倉時代作、国宝。
『模造 浮線綾蒔絵螺鈿手箱』- 東京国立博物館所蔵。原品(サントリー美術館所蔵)
鎌倉時代作、国宝。
『布引滝蒔絵硯箱』- 東京国立博物館所蔵。
『三夕蒔絵香棚』
『熨斗若松蒔絵盆』- 東京芸術大学所蔵。
名工しか掲載されない蒔絵博物館の資料にも掲載されています。
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参考作品には下記の作品があるようです。
参考作品
布引滝蒔絵硯箱
明治時代、19世紀、東京国立博物館蔵
小川松民作、布引の滝が描かれた硯箱
さてこのお盆・・、かなり稀有なもののような気がします。20客のうち10客の入手のようです。探してみましたが当方のおとこの隠れ家の所蔵庫には他作品はありませんでした。
先祖には漆器類の好きな御仁がいて、蒐集していたような気配です。タンスや棚のような大きな作品の多くは手放しているようですが、日用使われていたものは遺されているようです。
郷里との距離が遠いので調べるのにはタイムラグが生まれ、作品整理はもどかしい作業であり、退職したらと思いながらもまだ仕事を続けているのでなかなか思うように整理が進みません。本日は週末に付きじっくりと調べもの・・・。