夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

不染鉄 色紙 2点 & 川端龍子 色紙

2018-09-22 00:01:00 | 掛け軸
自宅に思文閣から入札会のカタログが届きました。竹内栖鳳の作品を落札して以降はしばらく入札していないのですが、現在の価格を知る上でも参考資料となりますので思文閣さんから届けていただいています。



その中に現在話題の不染鉄の色紙の作品がありました。最近、ステーションギャラリーで展覧会があったり、日曜美術館で紹介されたりして話題になっている画家です。



前々から不染鉄の作品は欲しくて、数年来なんどかチャレンジしているのですが、値段が高くまだ入手していない画家の一人です。
今回は家内が「入札してみよう」と言い出したので、試しにと思って入札してみたら、後日「落札しました。」という電話連絡がありました。色紙2枚まとめての落札です。

蓬莱仙島之図 不染鉄筆
紙本着色色紙 タトウ入
画サイズ:縦270*横240



「蓬莱仙島之図」という不染鉄の代表的な大きな作品がありますが、こちらは色紙に描かれ、残念ながら好きな海の表現は描かれていません。



思文閣の出品作品ですからきちんとした作品のようです。



もうひとつの作品は「茅屋図」とカタログには題されていましたが、小生は「破屋風涼図」としました。

破屋清涼図 不染鉄筆
紙本着色色紙 タトウ入
画サイズ:縦270*横240



不染鉄自身を描いた作品でしょう。いい作品です。



この作品は気に入っています。



不染鉄についてはいろんな記事で紹介されいますが、下記にその記事を投稿しておきます。

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不染鉄:(ふせん てつ)1891年6月16日 - 1976年2月28日。大正から昭和にかけて活動した日本画家。

1891年(明治24年)6月16日、東京・小石川の光円寺住職であった不染信翁の子として生まれる。本名は哲治。のち哲爾に改める。別号に鉄二。「不染」の名字は、平民苗字必称義務令にあたり父・信翁自らが名乗ったものだという。

当時一般には僧侶の妻帯を認められておらず、母との関係はふせられたまま不染は光円寺で育てられたが、こうした複雑な境遇から、不良少年とみなされていたという。小学4年の春に千葉県富浦の西方寺で修行させられた後、芝中学校、攻玉社中学校、大正大学などで学ぶ。

画を志し、山田敬中に師事。20歳代初めに日本美術院研究生となった。 写生旅行のため伊豆大島と式根島に行き、突然そこで漁師となって三年間滞留した。

本土に戻った後、京都市立絵画専門学校(現在の京都市立芸術大学)に入学して、在学中に特待生となり、1919年(大正8年)の第1回帝展で「夏と秋」が初入選した。1923年3月、京都絵専を首席で卒業した。

在学中は10歳以上年が離れた上村松篁と親しく、彼を「都の公達」と呼び、『孟子』や『万葉集』を薦めたという。松篁によると、当時流行していた写実主義による写生を好まず、学校の図書館で『一遍上人絵伝』を模写していたという。帝展には伊豆を題材にした作品を度々出展。日本美術展では銀牌を受賞した。

第二次世界大戦後の1946年には、かつて図画の教員を務めていた縁から奈良県の正強中学校理事長に招かれ、ついで正強高等学校(現・奈良大学付属高等学校)校長を務める。以後、他界まで奈良に過ごした。

1952年に正強学園理事長を退任した後は画業に専念。画壇は離れたが、奈良を題材とした作品や、青年時代の思い出に連なる海を題材とした作品を描き、奈良女子大学の学生達との交流を楽しみつつ、悠々自適の晩年を送った。 1976年(昭和51年)2月28日、直腸癌により死去。84歳だった。遺体は、遺志により奈良県立医科大学で献体され、遺髪が光円寺の母の墓に埋葬された。弟子に上田道三、養女となった野田和子など。

不染の作品は、「克明な描写と、古絵巻に学んだ大和絵的手法を融合した作品」と評され、「俯瞰と接近の相まった独創的な視点」も特徴として挙げられる。その自由な表現と一つのものへのこだわり方からアウトサイダー・アートを思わせ、生き方は同時代の田中一村や高島野十郎を想起させる。

現代の日本画家でもまず用いない、サインペンやボールペンを使い、かつその道具なりの表現を達成できている。弟子の野田和子は思わず「先生、サインペンなんかで描いていいんですか」と尋ねると、「考えてもみてごらん。北斎がいま生きていたら、サインペンみたいに便利なものを使わないわけがないだろう」と答えたと言う。

絵の中に、細かい字で言葉を書き込むのも不染鉄の特徴である。しかも、内容は和歌や漢詩、教訓ではなく、他愛もない普通の内容を現代人が読める字で書いている。弟子によると不染から、絵がわからない人も文字を読んだらわかるように文章を書けばよいし、文字が読めない人でもわかるような絵を描きなさい、と教わったという。

「芸術はすべて心である。芸術修行とは心をみがく事である」を信条とし、「きれいでなくても小さくても。立派でなくても。淋しいんだから淋しい一人で眺める画を描こうと思った…野心作だの大努力作よりも小さな真実をかこう」という芸術観をもち、「いヽ人になりたい」という言葉を残している。

その画業をまとめて観ることのできる大規模な展覧会は、1976年に奈良県立美術館で回顧展が開催されて以来、長らく開催されず、「幻の画家」などと評される所以となった。2017年、絵画のほか晩年の絵はがきや陶器など約120点を展示する回顧展が東京ステーションギャラリーで開催され、奈良県立美術館にも巡回した。 展示会の図録などを除けば初の本格的な画集である『不染鉄之画集』(求龍堂)が2018年に刊行されるなど、再評価されている。

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入札会の金額は6万円の開始価格に対して、11万円で札を入れました。入札後の手数料などを入れて12万円ほどでの入手です。

高いか安いかはその人次第・・。大切にしたい作品なので下記のように収納箱に入れて保管することにしました。タトウも自分で誂えました。



ときおり色紙の作品では大家の作品の掘り出し物に挑戦しています。色紙程度の作品には掘り出し物が多く、手頃な値段で入手できることや、たとえ失敗しても金額的な被害が少なくすみます。またそれを契機にいろいろ調べて鑑識力が付きます。

今までに横山大観や下村観山、小倉遊亀、高山辰雄などの作品を入手いました。むろん大家でない作品にも面白い作品が数多くあります。いままでに100作品はらくに超えた数の作品がありますが、さらに同数ほど男の隠れ家にもあります。

下記の作品は最近5000円で入手した作品です。

黎明の富士 色紙 川端龍子筆
色紙 タトウ
画サイズ:横240*縦270



川端龍子の作品を購入に際して注意すべき点は工芸作品が多い点です。複製された作品で非常に精密にできていて肉筆画とすぐには判別できない作品が多々あります。基

本的には印章には「工芸」という文字で押印されていますが、まるで「龍子」の印に近似させているかのように似ている?ので、ネットオークションにも「肉筆画」として出品されていることもあります。



工芸作品には手彩色を加えたものもありますので、素人には工芸作品と肉筆画の判別は難しいでしょう。古くは寺崎廣業や平福百穂の作品に精密な印刷作品があります。

こちらは落款も印章もそのまま本物と同一のものを使用していますので、墨や画彩色で判別しなくてはいけません。大塚工芸社などの工芸作品はすぐに判別できるのですが、精巧なものは小生も間違って購入したことがあり、何点か破棄した作品があります。

本作品の落款と印章を文献資料と比較してみました。

  

工芸作品は落款も印章も絵の出来も本物そのものですから、本物と思って工芸作品を購入した時には「観る眼があるね~」と嫌味を含めた鑑識眼への評価が下ります

なにはともあれ、「一流どころ」と「真贋玉石混合したところ」・・・、両方に触手を伸ばすのが小生の蒐集・・。




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