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振り返ると本ブログを始めてら4000日以上経過したようです。ということは11年以上・・。日曜日や帰省した日は休稿していいますが、それでも10年、ひと昔。まだ整理が終わらないというのは自分でも驚きです。小生はよほど要領が悪い人物らしい。それでもあと一息・・・、その後は気に入ったものだけにして処分にかかります。
さて100点前後となる寺崎廣業の作品を本ブログで紹介していますが、さらに牡丹を描いた作品は本日紹介する作品で四点目となります。
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本ブログを読まれている方は同じような作品の紹介で辟易としているでしょうが、当方は寺崎廣業が描いた「牡丹図」の作品が好きなので、ご容赦で願います。
牡丹図 寺崎廣業筆 大正3年(1914年)頃
絹本着色軸装 軸先象牙 合箱+タトウ
全体サイズ:縦1510*横710 画サイズ:縦480*横510
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墨絵で描いた「牡丹図」で著名なのは村上華岳の作品です。その著名な作品は下記の作品でしょうか。
参考作品
墨牡丹之図
昭和5頃 絹本墨画・軸 34.5×42.0
京都国立近代美術館 蔵
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むろん近代巨匠と比べるべくもない作品ですが、寺崎廣業が長い期間描いてきた水墨画の「牡丹図」の中で本作品は最晩年にあたる大正3年頃に描いた作品です。
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牡丹の派手さが和らいで、すっきりと仕上がっています。今までの牡丹の作品は長条幅の作品でしたが、この作品は大きめの大幅の作品となっています。
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近代作品の「牡丹図」のようなくどさがなく、数える程度の筆数で描いた朦朧体のような描き方は寺崎廣業の水墨画の真骨頂と言えるでしょう。
なお本作品には下記の書付が同封されています。要は羽織のような衣服に横山大観、山岡米華らとともに描いた作品のようです。このようなことはよくあったようで、当方でも祖母が福田豊四郎氏に羽織の裏地の描いていただいた作品や帯に描いた作品、袱紗に描いた作品など数々の作品が遺っています。
横山大観、山岡米華らが描いた作品も一緒に遺っていると面白かったですね。なお後日堅山南風に観ていただいたと書付にありますが、堅山南風は横山大観を師としており、戦時中には山梨県山中湖湖畔に一緒に疎開しています。
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ちなみに明治43年(1910) に寺崎廣業は横山大観、山岡米華とともに6月7日に新橋駅を出発し、同月11日に日本郵船加茂丸で神戸港を出港、上海、蘇州、南京、洞庭湖、万里の長城、北京などを訪問し、長江の舟行も体験して、7月25日に帰京しています。各地でスケッチを残し、この旅行は寺崎廣業、横山大観の画業に多大な影響を与え。共に帰京後にはみずみずしく雄大な山水画を制作しています。
さらには横山大観や山岡米華と共作した「草花」の作品は最近、秋田県立美術館にて開催された展覧会で公開されています。なお記述にある長野の渋温泉の近くには角間温泉の安代館別館(旧横山大観別荘)、上林温泉の寺崎廣業の別荘があります。
*これらの記録からこの書付の信憑性は高いものと判断されます。
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この後の大正元年に寺崎廣業と横山大観は偶然にも共に「瀟湘八景」という同題の作品を文展に出品し。大きな話題になりましたが、本作品は横山大観との関連を示す重要な作品のひとつでもありましょう。
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*なお手前の作品は「ちがい輪窯」の福島善三作と思われる小鹿田焼の大皿です。
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ともに大輪の作・・・。
さて100点前後となる寺崎廣業の作品を本ブログで紹介していますが、さらに牡丹を描いた作品は本日紹介する作品で四点目となります。
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本ブログを読まれている方は同じような作品の紹介で辟易としているでしょうが、当方は寺崎廣業が描いた「牡丹図」の作品が好きなので、ご容赦で願います。
牡丹図 寺崎廣業筆 大正3年(1914年)頃
絹本着色軸装 軸先象牙 合箱+タトウ
全体サイズ:縦1510*横710 画サイズ:縦480*横510
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墨絵で描いた「牡丹図」で著名なのは村上華岳の作品です。その著名な作品は下記の作品でしょうか。
参考作品
墨牡丹之図
昭和5頃 絹本墨画・軸 34.5×42.0
京都国立近代美術館 蔵
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むろん近代巨匠と比べるべくもない作品ですが、寺崎廣業が長い期間描いてきた水墨画の「牡丹図」の中で本作品は最晩年にあたる大正3年頃に描いた作品です。
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牡丹の派手さが和らいで、すっきりと仕上がっています。今までの牡丹の作品は長条幅の作品でしたが、この作品は大きめの大幅の作品となっています。
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近代作品の「牡丹図」のようなくどさがなく、数える程度の筆数で描いた朦朧体のような描き方は寺崎廣業の水墨画の真骨頂と言えるでしょう。
なお本作品には下記の書付が同封されています。要は羽織のような衣服に横山大観、山岡米華らとともに描いた作品のようです。このようなことはよくあったようで、当方でも祖母が福田豊四郎氏に羽織の裏地の描いていただいた作品や帯に描いた作品、袱紗に描いた作品など数々の作品が遺っています。
横山大観、山岡米華らが描いた作品も一緒に遺っていると面白かったですね。なお後日堅山南風に観ていただいたと書付にありますが、堅山南風は横山大観を師としており、戦時中には山梨県山中湖湖畔に一緒に疎開しています。
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ちなみに明治43年(1910) に寺崎廣業は横山大観、山岡米華とともに6月7日に新橋駅を出発し、同月11日に日本郵船加茂丸で神戸港を出港、上海、蘇州、南京、洞庭湖、万里の長城、北京などを訪問し、長江の舟行も体験して、7月25日に帰京しています。各地でスケッチを残し、この旅行は寺崎廣業、横山大観の画業に多大な影響を与え。共に帰京後にはみずみずしく雄大な山水画を制作しています。
さらには横山大観や山岡米華と共作した「草花」の作品は最近、秋田県立美術館にて開催された展覧会で公開されています。なお記述にある長野の渋温泉の近くには角間温泉の安代館別館(旧横山大観別荘)、上林温泉の寺崎廣業の別荘があります。
*これらの記録からこの書付の信憑性は高いものと判断されます。
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この後の大正元年に寺崎廣業と横山大観は偶然にも共に「瀟湘八景」という同題の作品を文展に出品し。大きな話題になりましたが、本作品は横山大観との関連を示す重要な作品のひとつでもありましょう。
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*なお手前の作品は「ちがい輪窯」の福島善三作と思われる小鹿田焼の大皿です。
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ともに大輪の作・・・。