下記の作品を美人画に合うような表具に改装しました。
杜鵑一聲 時代美人図 岡本大更筆 その4 大正10年(1921年)頃
絹本着色軸装 軸先陶器 共箱
全体サイズ:縦2080*横560 画サイズ:縦1160*横410
本来は染み抜きまで依頼したつもりでしたが、行き違いで染み抜きなしの改装のみとなりました。ちょっと残念・・。
共箱誂えの作品です。
さて本日は古くから所蔵している2作品を飾ってみましたので紹介します。
扇面竹之図 福田平八郎筆
紙本着色扇面額装 タトウ+黄袋
額サイズ:185*245~545
タトウが古くなっていたので新しくしました。
共シールや共箱などの資料のない作品です。まずは手彩色の版画か否か・・。タトウを頼んだ神田の老舗の額装店で観てもらいましたが、解らないそうです。
「手彩色の版画か否か」が論点になるのは、印章と落款については間違いないからです。
肉眼ではまったく判断がつきませんね。
写真を撮って、その写真を拡大して観てみると、どうも基本線の輪郭部分も肉筆のようです。
なお水を垂らした跡は前述のお店でも消えないようです。
ともかく古くからある作品なので、飾って愉しむことにしています。当方では手彩色の作品としておけば問題なかろうという判断となりました。
晩年の福田平八郎が行きついた画境が小品とはいえ、たとえ手彩色木版であろうと伝わってくる作品です。
この作品を観て、真贋を先に考えてはいけませんね。
本日のこの2作品には制作の道の行きつくところがあるように思います。
こちらも古くから作品で三越からの購入作品です。
柿釉赤絵扁壺 浜田庄司作
共箱
高さ200*幅173*奥行100
氏素性はしっかりした作品で、購入当時から浜田庄司と先人は交流があったようです。
沖縄で製作した赤絵が浜田庄司の作品では抜群の人気ですが、その由縁は力強さにあるのでしょう。
「春去春来」という浜田庄司の作品は色紙や茶碗にもあるようです。たしか浜田庄司が工房を留守の際は「春去春来」の札を掛けていたとか、ともかくご存知のように有名な言葉ですね。元としたのは下記の漢詩でしょうか? 杜甫の死の前年、大暦四年(769)、五十八歳の作だそうです。
此身飄泊苦西東 此の身飄泊へうはくして西東さいとうに苦しむ
右臂偏枯半耳聾 右臂うひは偏枯へんこして半耳はんじは聾ろうす
寂寂繋舟雙下涙 寂寂せきせき舟を繋げば涙双ならび下おつ
悠悠伏枕左書空 悠悠枕に伏して左ひだりてに空くうに書す
十年蹴鞠將雛遠 十年蹴鞠しうきく雛すうを将ひきゐて遠し
萬里鞦韆習俗同 万里鞦韆しうせん習俗同じ
旅鴈上雲歸紫塞 旅雁雲に上り紫塞しさいに帰る
家人鑽火用青楓 家人火を鑽きるに青楓せいふうを用う
秦城楼閣鶯花裏 秦城の楼閣鶯花あうくわの裏うち
漢主山河錦繍中 漢主の山河錦繍きんしうの中うち
春去春來洞庭闊 春去り春来りて洞庭どうてい闊ひろし
白蘋愁殺白頭翁 白蘋びやくひん愁殺しうさつす白頭翁
ともかく今と違って当時の陶芸家にしろ、画家にしろ、学識がともかくあったようです。たとえば棟方志功のついてもかなりの学識があったそうです。今の陶芸家や画家は技術も学識もないから、作品も逸話もつまらない・・
「春が去りまた訪れて、洞庭湖の水面は広々とし、うら白い水草はこの白頭翁を愁いに死なしめる。」・・・、この晩年の赤絵の作品は力強さというより、浜田庄司の作風の極致にある逸品と言えるのでしょう。
手彩色であろうとなかろうと、このふたつの作品を当方に遺してくれた先人には感謝しかありません。
杜鵑一聲 時代美人図 岡本大更筆 その4 大正10年(1921年)頃
絹本着色軸装 軸先陶器 共箱
全体サイズ:縦2080*横560 画サイズ:縦1160*横410
本来は染み抜きまで依頼したつもりでしたが、行き違いで染み抜きなしの改装のみとなりました。ちょっと残念・・。
共箱誂えの作品です。
さて本日は古くから所蔵している2作品を飾ってみましたので紹介します。
扇面竹之図 福田平八郎筆
紙本着色扇面額装 タトウ+黄袋
額サイズ:185*245~545
タトウが古くなっていたので新しくしました。
共シールや共箱などの資料のない作品です。まずは手彩色の版画か否か・・。タトウを頼んだ神田の老舗の額装店で観てもらいましたが、解らないそうです。
「手彩色の版画か否か」が論点になるのは、印章と落款については間違いないからです。
肉眼ではまったく判断がつきませんね。
写真を撮って、その写真を拡大して観てみると、どうも基本線の輪郭部分も肉筆のようです。
なお水を垂らした跡は前述のお店でも消えないようです。
ともかく古くからある作品なので、飾って愉しむことにしています。当方では手彩色の作品としておけば問題なかろうという判断となりました。
晩年の福田平八郎が行きついた画境が小品とはいえ、たとえ手彩色木版であろうと伝わってくる作品です。
この作品を観て、真贋を先に考えてはいけませんね。
本日のこの2作品には制作の道の行きつくところがあるように思います。
こちらも古くから作品で三越からの購入作品です。
柿釉赤絵扁壺 浜田庄司作
共箱
高さ200*幅173*奥行100
氏素性はしっかりした作品で、購入当時から浜田庄司と先人は交流があったようです。
沖縄で製作した赤絵が浜田庄司の作品では抜群の人気ですが、その由縁は力強さにあるのでしょう。
「春去春来」という浜田庄司の作品は色紙や茶碗にもあるようです。たしか浜田庄司が工房を留守の際は「春去春来」の札を掛けていたとか、ともかくご存知のように有名な言葉ですね。元としたのは下記の漢詩でしょうか? 杜甫の死の前年、大暦四年(769)、五十八歳の作だそうです。
此身飄泊苦西東 此の身飄泊へうはくして西東さいとうに苦しむ
右臂偏枯半耳聾 右臂うひは偏枯へんこして半耳はんじは聾ろうす
寂寂繋舟雙下涙 寂寂せきせき舟を繋げば涙双ならび下おつ
悠悠伏枕左書空 悠悠枕に伏して左ひだりてに空くうに書す
十年蹴鞠將雛遠 十年蹴鞠しうきく雛すうを将ひきゐて遠し
萬里鞦韆習俗同 万里鞦韆しうせん習俗同じ
旅鴈上雲歸紫塞 旅雁雲に上り紫塞しさいに帰る
家人鑽火用青楓 家人火を鑽きるに青楓せいふうを用う
秦城楼閣鶯花裏 秦城の楼閣鶯花あうくわの裏うち
漢主山河錦繍中 漢主の山河錦繍きんしうの中うち
春去春來洞庭闊 春去り春来りて洞庭どうてい闊ひろし
白蘋愁殺白頭翁 白蘋びやくひん愁殺しうさつす白頭翁
ともかく今と違って当時の陶芸家にしろ、画家にしろ、学識がともかくあったようです。たとえば棟方志功のついてもかなりの学識があったそうです。今の陶芸家や画家は技術も学識もないから、作品も逸話もつまらない・・
「春が去りまた訪れて、洞庭湖の水面は広々とし、うら白い水草はこの白頭翁を愁いに死なしめる。」・・・、この晩年の赤絵の作品は力強さというより、浜田庄司の作風の極致にある逸品と言えるのでしょう。
手彩色であろうとなかろうと、このふたつの作品を当方に遺してくれた先人には感謝しかありません。