休日故、ちょっとした愚痴。
人の住む空間は四畳半から・・、小生は学生時代の下宿は洗面所、トイレ共同の四畳半からスタート。就職後は相部屋から、結婚後はアパートから・・・・・、住まいにおいても人生は若い時から贅沢は禁物です。
もともと親元からの通学、通勤などは早く卒業すべきです。ましてや勤めてらの親からの資金援助、家事まで親に依存するなどもってのほかです。18歳を過ぎたら自立するように人はできているのです。
ひとりで暮らすことによって他人のありがたみも解るものもの。贅沢を味わってしまい自立しない状況と社会状況と相俟って、結婚もしないで、30過ぎても自立できていない「子供」がたくさんいるようになっている思います。
少子高齢化になにも手を打ってこなかった政策にも問題はあります。名ばかりの無能な女性大臣を適用した政策は目を覆うばかりの、世界でダントツの福祉にお金のかかる高齢化社会、借金まみれの国の経済破綻がすぐそこにきている状況を作り出してしまっています。
会社の経営もそうだそうですが、崖を転げ落ちるように破綻する時には落ちるところまで落ちないと先は見えないそうです。今、国民ができることは自己保身の道しかないように思えます。苦労を経験せず、贅沢をしてきた国民自ら招いた結果でもあり、なんとも歯がゆい状況です。
さて、本日は家内が購入した作品の紹介です。小生は茶掛になる書は全くの門外漢。よってこの分野は家内の力量に依存しており、この点では小生はまったく苦労を知らない子供・・
松下塵 辻宗範筆
紙本水墨軸装 軸先木製 合箱
全体サイズ:縦1125*横527 画サイズ:縦266*横498
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辻 宗範:(つじ そうはん)宝暦8年(1758年)~天保11年(1840年))は、江戸時代中期の茶道家。近江国出身。宝暦8年(1758年)、近江坂田郡国友村(現滋賀県長浜市国友町)に生まれ、幼時から漢学を学び、成人後は小室藩(現長浜市小室町)の茶頭を務めていた冨岡友喜から遠州流茶道の奥義を究め、茶道、華道、礼法、和歌、俳句、絵画、書道、造庭など多方面にわたり豊かな才能を発揮した。
辻家は室町時代の文明年中(15世紀)以来、国友の郷士として活躍し、代々又左衛門を襲名。 宗範は、10代目の名前で、壮年期は、又之進と号し、妻(モン)は浅井町小室の高橋権太友ごんだゆうの娘。
小室藩は田沼意次失脚に伴う田沼派大名粛清から天明8年(1788年)に改易となり、遠州流茶道も廃れかかっていた。文化6年(1809年)、宗範は後に小堀家(旗本として再興)当主となる遠州流8代小堀宗中に奥義を再伝授した。遠州流茶道ではこれを「返し伝授」と呼び、遠州流では今なお宗範を「中興の立役者」と称えている。
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茶道、礼法、書道では奥義を極め、多くの門人を養成し、その後、徳川将軍家の茶道師範を務め、晩年は尾張藩から高禄での招聘を受けたが断り、晩年は国友の地に暮らした。
*参考資料との印章の比較は下記写真のとおりです。
参考資料(当方は門外漢ゆえ手持ちの資料が乏しく、乏しい参考資料はあくまでも参考資料であって、資料として正しいかどうかをよく吟味する必要があるようです)
本作品の印章。
いろいろな人と交わりをもち、浄土真宗の信仰を深めるなどして、天保11年(1840年)に生涯を閉じた。茶道を始めとして華道・書道・礼法、和歌、俳句、南画、造園など多方面に才能を発揮し、勝元鈍穴の他多くの門人を育てており、現在も、国友町に辻宗範の自宅跡地が残っている。
叔父(父の弟)丹治は彫金師の臨川堂充昌、国友藤兵衛一貫斎は甥(姉みわの子)に当たる。
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茶室に映える茶掛けと悦に入っていますが、肝心の「松下塵」とはどういう意味でしょうか?
「松の枝は風に吹かれ、その枝の陰はまるで箒のごとく松の下の塵を掃くようだが、塵は全く動かない。何事にも動じない不動心のようだ。」という意味かと門外漢は勝手に考えたのですが、家内は「ん~」だと・・。
手前の織部志野獅子香炉も大口開いて笑っている・・・
「松風」(釜の湯が沸く音)というように松は釜を意図するのか? どなたか解る方はおられますでしょうか?
金属製では面白くないので茶掛をかけるには竹の道具で吊っています。
茶掛けはどうも豪華な表具は合わないようで、紙表具がお似合いですね。
風鎮もちょっとお洒落に象牙と黒柿に組み合わせ。
*基本的に掛け軸に風鎮は使わないほうがいいのですが、エアコンが入っているときは掛けています。
はてさて、愚痴に戻って、日本の国に「返し伝授」を行って「中興の立役者」となる者はいないのだろうか?
*2018年7月12日追記
「松下塵」:「松」は茶室のことらしい。茶そのものと言ってもいいのだろうと考えると「茶」の下(もと?)には塵がない(迷いがない)という意味か?(家内からのアドヴァイスによる解釈)
人の住む空間は四畳半から・・、小生は学生時代の下宿は洗面所、トイレ共同の四畳半からスタート。就職後は相部屋から、結婚後はアパートから・・・・・、住まいにおいても人生は若い時から贅沢は禁物です。
もともと親元からの通学、通勤などは早く卒業すべきです。ましてや勤めてらの親からの資金援助、家事まで親に依存するなどもってのほかです。18歳を過ぎたら自立するように人はできているのです。
ひとりで暮らすことによって他人のありがたみも解るものもの。贅沢を味わってしまい自立しない状況と社会状況と相俟って、結婚もしないで、30過ぎても自立できていない「子供」がたくさんいるようになっている思います。
少子高齢化になにも手を打ってこなかった政策にも問題はあります。名ばかりの無能な女性大臣を適用した政策は目を覆うばかりの、世界でダントツの福祉にお金のかかる高齢化社会、借金まみれの国の経済破綻がすぐそこにきている状況を作り出してしまっています。
会社の経営もそうだそうですが、崖を転げ落ちるように破綻する時には落ちるところまで落ちないと先は見えないそうです。今、国民ができることは自己保身の道しかないように思えます。苦労を経験せず、贅沢をしてきた国民自ら招いた結果でもあり、なんとも歯がゆい状況です。
さて、本日は家内が購入した作品の紹介です。小生は茶掛になる書は全くの門外漢。よってこの分野は家内の力量に依存しており、この点では小生はまったく苦労を知らない子供・・
松下塵 辻宗範筆
紙本水墨軸装 軸先木製 合箱
全体サイズ:縦1125*横527 画サイズ:縦266*横498
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辻 宗範:(つじ そうはん)宝暦8年(1758年)~天保11年(1840年))は、江戸時代中期の茶道家。近江国出身。宝暦8年(1758年)、近江坂田郡国友村(現滋賀県長浜市国友町)に生まれ、幼時から漢学を学び、成人後は小室藩(現長浜市小室町)の茶頭を務めていた冨岡友喜から遠州流茶道の奥義を究め、茶道、華道、礼法、和歌、俳句、絵画、書道、造庭など多方面にわたり豊かな才能を発揮した。
辻家は室町時代の文明年中(15世紀)以来、国友の郷士として活躍し、代々又左衛門を襲名。 宗範は、10代目の名前で、壮年期は、又之進と号し、妻(モン)は浅井町小室の高橋権太友ごんだゆうの娘。
小室藩は田沼意次失脚に伴う田沼派大名粛清から天明8年(1788年)に改易となり、遠州流茶道も廃れかかっていた。文化6年(1809年)、宗範は後に小堀家(旗本として再興)当主となる遠州流8代小堀宗中に奥義を再伝授した。遠州流茶道ではこれを「返し伝授」と呼び、遠州流では今なお宗範を「中興の立役者」と称えている。
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茶道、礼法、書道では奥義を極め、多くの門人を養成し、その後、徳川将軍家の茶道師範を務め、晩年は尾張藩から高禄での招聘を受けたが断り、晩年は国友の地に暮らした。
*参考資料との印章の比較は下記写真のとおりです。
参考資料(当方は門外漢ゆえ手持ちの資料が乏しく、乏しい参考資料はあくまでも参考資料であって、資料として正しいかどうかをよく吟味する必要があるようです)
本作品の印章。
いろいろな人と交わりをもち、浄土真宗の信仰を深めるなどして、天保11年(1840年)に生涯を閉じた。茶道を始めとして華道・書道・礼法、和歌、俳句、南画、造園など多方面に才能を発揮し、勝元鈍穴の他多くの門人を育てており、現在も、国友町に辻宗範の自宅跡地が残っている。
叔父(父の弟)丹治は彫金師の臨川堂充昌、国友藤兵衛一貫斎は甥(姉みわの子)に当たる。
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茶室に映える茶掛けと悦に入っていますが、肝心の「松下塵」とはどういう意味でしょうか?
「松の枝は風に吹かれ、その枝の陰はまるで箒のごとく松の下の塵を掃くようだが、塵は全く動かない。何事にも動じない不動心のようだ。」という意味かと門外漢は勝手に考えたのですが、家内は「ん~」だと・・。
手前の織部志野獅子香炉も大口開いて笑っている・・・
「松風」(釜の湯が沸く音)というように松は釜を意図するのか? どなたか解る方はおられますでしょうか?
金属製では面白くないので茶掛をかけるには竹の道具で吊っています。
茶掛けはどうも豪華な表具は合わないようで、紙表具がお似合いですね。
風鎮もちょっとお洒落に象牙と黒柿に組み合わせ。
*基本的に掛け軸に風鎮は使わないほうがいいのですが、エアコンが入っているときは掛けています。
はてさて、愚痴に戻って、日本の国に「返し伝授」を行って「中興の立役者」となる者はいないのだろうか?
*2018年7月12日追記
「松下塵」:「松」は茶室のことらしい。茶そのものと言ってもいいのだろうと考えると「茶」の下(もと?)には塵がない(迷いがない)という意味か?(家内からのアドヴァイスによる解釈)